そろばん刑事

文字数 1,955文字

 俺至上困難を極めた捜査において、ついに俺は容疑者までたどり着いた。容疑者の名前は広田。もうすぐ時効を迎えつつあるこの凶悪事件はチームの協力があってようやく最終章と相成ったのである。で、目の前にいるのが、広田。無職で昼間からふらふらしているところを、首元をひっ捕まえて「ちょいお話聞かせてくれる?」っちう、既にこちらの刑事っていう身分を見せて威圧的に追い詰めていくことにしたのだった。
 広田にしたら、俺が目の前に現れるのは想定内のことだったようで、あ、はい、なんて間の抜けた表情を見せながら、まだ事の重大さを認識していない馬鹿な若者らしい反応だった。着ていた服装にしても上下灰色のスウェットで、ぼさぼさな頭髪、今寝起きですって感じの、おそらくコンビニに行く途中だったようだ。
 そして俺は許さない。被害者は、そろばんの角で頭をかち割られ絶命していた。操作を進めていくにつけ、どうやらそれは、被害者が自身の祖母から譲ってもらった、大切なそろばんであったようだ。広田は、家に侵入するなり、被害者に対し、テーブルの上においてあった、昔のそろばんなので割と大きなサイズのそろばんを見つけ、私怨で被害者を殴りつけたのである。この事件は物取りの犯行ではなく、広田が被害者に対して、歪んだ没頭(distortional addicct)を抱いた、誇大妄想的な動機に由来するストーカー殺人と言えた。俺は事件のあらましを聞くにつけ、被害者が何よりも大切にしていたそろばん、これは大正時代のもので、粒の大きい割と大きめのサイズのそろばんであり、唯一無二のもの、おそらく被害者はとても大事にしていたと思われるものを、広田自身の自分勝手な凶行に使う非情さと冷酷さと短絡さ。この上なく度し難く。
 「広田。このそろばんについてどう思う」
 私は広田に、証拠物である被害者のそろばんを見せた。広田は、寝ぼけた声で
 「そっすねえ」
 といった。実家がそろばん屋を経営している俺の心に今まで感じたことのない火が付いた。
 「これは被害者の分!」
 振り下ろした俺の右手から、広田の頭めがけて、そろばんの角が突き刺さった。そろばんはシャン!と鋭い、それでいて、全国の小学生が正座をしながら何十桁の計算をしている姿が青空に浮びながら、広田の額の上で爆ぜた。そろばんの粒はスローにはじけ飛び、全国の正座をした小学生たちは涙に打ち震えていた。俺は申し訳なさと、悪を打ち崩す使命とを天秤にかけ、小さな子供たちと、また被害者の祖母への思いなどを、とりあえずはうっちゃることにした。
 「くはぁ」
 広田は大きな悲鳴を上げながら、額から噴水のように血液を噴射し、青空には綺麗な虹がかかった。その時、後ろから追いかけてきた後輩の宮田が、俺の凶行を見ながら「そこまで!!」と言いこれ以上の追い詰めを割って入ってきた。後輩のくせに先輩である、そろばん刑事であるこの俺にタメ口を吐き静止してくるところを見るにつけ、つい興奮状態にあったそろばん刑事である俺は、空中に散っていたそろばんの粒の中に右手を瞬間的に泳がせ、ある程度のそろばんの粒を拳の中に収めた矢先、そのままのスピードを維持したまま、そのまま拳を後輩の顔面に思い切りうずめてやった。
 後輩の顔面はスロウに柔らかく形態を変化させながら、トッピングのそろばん粒が思いの外効いているようで、粒が後輩の顔面に深く突き刺さり、めり込みながら、3メートル先の方まで、人間の身体というものはこんなにも遠くに吹き飛ぶのかと思うくらい、遠くに飛んでゴミ捨て場のごみに突っ込んでいった。これは一体何が何やら、この怪力は俺にしては異常すぎる。一体俺の身体に何が起こっているのだ、と憎き広田と我が後輩が気絶している凄惨な現場に一人佇んでいた矢先、近くから唐突に大きな発砲音が聞こえた。
 俺の五感は一体いつから、このような変化を始めていたのだろう。よくぞ身体が反応してくれた。心から、俺は自身の五感に感謝した。この非常事態に獣のような瞬間的反応のおかげで、俺は俺に今、自身の命を救われている。つまり、顔面をすんでのところで左に避けたところで、頬を、紅蓮をまとったマグナムの銃弾が通り過ぎていった。人体にマグナム?御冗談を。日本でこんな、普通じゃない、穏やかじゃないぞ、といった俺の声は何故かひどくしゃがれていた。
 「…怪物め。」
 見上げたビルの3階から、俺を狙っていた素性の知れない男が言った。身体を特殊武装で包み、両手には特別製のロケットマグナムが保持されていた。
 俺は身体が妙に大きくなっていくのを感じていた。背中の服がみるみる破れていって、背びれが大きく浮き上がってきた。息が荒くなる。血が沸き立つのを感じる。
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