第33話 エラー映画館

文字数 8,600文字

 八喜子(やきこ)は困惑した。
ここは映画館。シネマコンプレックス、いわゆるシネコンではなくビル街の間にひっそりとあった小さなビルの中だ。
高校の先輩の斗瀬(とせ)に誘われ、友人の朱珠(しゅしゅ)と放課後に立ちよったのだが、ふたりはいない。
正確には消えたのだ。
八喜子(やきこ)は目をぱちぱちさせて、あたりを見回しながら映画館に入った時のことを思い出した。

 ビルの入り口はガラスの観音開きのドアだ。横の壁には飾り窓があり上映作品の色あせたポスターがある。
ドアを押して入り半円にくりぬかれたアクリル板の前のトレイに料金を斗瀬(とせ)が3人分、払った。
その横の階段をのぼると木製の重厚な扉がある。重さを感じながら、棒状の取っ手をつかんで扉を押し開くと赤いカーペットに赤いカバーのいすがずらりと並んでいた。
床より一段高くなっているスクリーンの前は舞台のようになっている。
斗瀬(とせ)のすすめで1番、後ろの席に座った。後ろの壁の上が横長に四角い穴が空いている。斗瀬(とせ)に映写機があると教えてもらった。
穴の奥で映写機がかりかりと鳴りブザー音とともに場内が暗くなった。

 八喜子(やきこ)は、そこから先が思い出せなかった。
館内は今、明るい。映画を観た覚えがなかった。
ふたりは先に帰ったのだろうか。
あまりありえない可能性を信じて八喜子(やきこ)は扉を押し開き外に出た。出たつもりだった。
すーっと空気を動かして彼女の背後で扉が閉まる。扉の外はまたスクリーンのある館内になっていた。
八喜子(やきこ)は眼鏡を外して目を凝らした。出入り口は後ろの扉しかない。彼女はまた扉を押し開き外に出た。出たつもりだった。
ぱたりと背後で扉が閉まる。やはり目の前にはスクリーンといすが並んでいた。



 2時間後。映画館前。空は暗くなり始めていた。
朱珠(しゅしゅ)は泣きじゃくりながら雪輝(ゆきてる)に謝り続けている。

「映画を観て帰ろうとしたら、八喜子(やきこ)ちゃんがいなかった……ごめんなさい」

斗瀬(とせ)も困惑しながら映画館のビルを見上げていた。

「私の隣に九重(ここのえ)さん、その隣がフェリーシャだったのよ。映画が終わって金扇(かねおうぎ)さんが寝てたから先にふたりでトイレに行ったの」
「戻ったらいなかったんですね?」

雪輝(ゆきてる)にきかれ斗瀬(とせ)は頷く。

「ほかにお客は誰もいなかったわ。だから気持ちよさそうに寝てたフェリーシャを起こすのも悪いかと思って。あの子、暗くなるとすぐ寝るのね」
「昔から寝つきはいいんで」

雪輝(ゆきてる)は困ったように映画館の入り口を見た。朱珠(しゅしゅ)から連絡があり、すぐに駆けつけたが、ここは電車で5駅の隣の市だ。
彼が来た頃には散々、中を探し回った朱珠(しゅしゅ)斗瀬(とせ)のふたりが閉館だ、と追い出されていた。
映画館はビル街の主要道路からは少し離れたところにあるため、すぐ目の前の道路は空いている。そこに矢継早(やつぎばや)の車と逢魔(おうま)の車がやってきたのは、ほぼ同時だった。



「本当にあの子はトラブルに巻きこまれる星の下に生まれてるよ……」

樹楼尓(じゅろうじ)が開けたドアから車を降りるなり逢魔(おうま)は右手に持った鉄扇を頭にあてながら嘆いた。彼はまだ子供の姿だ。
朱珠(しゅしゅ)は、ぽかんとしながら雪輝(ゆきてる)にきく。

「何でちっちゃくなってんの? 八喜子(やきこ)ちゃんのサイズに合わせたの? アレがおっきくて怖くて、えっちできないって言ってたから?」
「声でけぇよっ! それに俺にそれを言うな!」
「あ! ごめん! 雪輝(ゆきてる)よりおっきいから怖いって」
「だから言うなよ!」

斗瀬(とせ)がギョッとして雪輝(ゆきてる)を見る。

「海綿体を妹に見せてるの?」
「違います! 今はどうでもよくないですか?」
「あとで詳しくききたいわ。金扇(かねおうぎ)さんに性的な虐待をしているのか、いないのか。はっきりきかせてもらいましょうか」

斗瀬(とせ)はきっと目つきを鋭くした。朱珠(しゅしゅ)がげらげら笑いながら斗瀬(とせ)に言う。

「とっ先! 雪輝(ゆきてる)がオナってるの見ちゃっただけですよ!」
「だーかーらっ! 声でけぇし俺の前で言うなっ! 本当にお前はがさつだな
!」
「は?! 誤解をといたげたんでしょっ!」

ぱん、と逢魔(おうま)が手のひらに鉄扇を打って鳴らす。

八喜子(やきこ)がいなくなった時のことを詳しくききたいんだけど? 今は雪輝(ゆきてる)君のが小さいとかどうでもいいでしょう?」
「……やっぱり身長と関係があるのかしら?」

斗瀬(とせ)が腕組みをする。矢継早(やつぎばや)が手をあげた。

「そういうのは彼氏たくさんつくって比べてください。わたしたちも詳しく話をききたいです」

鷹司(たかつかさ)征士郎(せいしろう)はぐるりとビルの周りを見て回っていた。樹楼尓(じゅろうじ)は眉間にしわをよせて映画館を見ている。
仙南(せんなん)はあちこちに電話をかけていた。


 逢魔(おうま)矢継早(やつぎばや)朱珠(しゅしゅ)斗瀬(とせ)から話をきき終わり映画館へと目を向けた。

「ビルの持ち主は?」

ビルを見たまま逢魔(おうま)が言うと仙南(せんなん)がこたえる。

「お年をめしていて耳が遠いので交渉が難しいです。経営はほぼ道楽のようなもので、従業員も縁故採用です。そのため交渉できないままですと従業員が鍵を開けには来ないでしょう」
「ああ、そう」

逢魔(おうま)はつかつかとビルの入り口に歩みより鉄扇でガラス戸を叩き割った。すぐさま鷹司(たかつかさ)が言う。

「お前、犯罪だぞ?」
「そのための君たちでしょう? おいで、雪輝(ゆきてる)君。実友(みとも)も来て」

階段をのぼりだす逢魔(おうま)雪輝(ゆきてる)は小走りで、仙南(せんなん)はすべるようになめらかに歩いて続いた。



 階段は2階で終わっていた。目の前に木製の扉がある。扉から右手奥にはトイレがあった。反対側には上へと続く階段があり逢魔(おうま)仙南(せんなん)をそちらへ行かせた。
雪輝(ゆきてる)が扉を引いて開ける。扉を開けると目の前にいすがならび右手にスクリーンがあった。誰もいない。雪輝(ゆきてる)は耳をすませた。だんだんと険しい顔つきになる彼に逢魔(おうま)がきく。

八喜子(やきこ)はどこ?」
「いるんだけど、いない。お前、なんとかできないのか? ていうか、なんで八喜子(やきこ)が、こういうのに巻きこまれるんだよ!」

大丈夫じゃなかったのか! と声を荒げる雪輝(ゆきてる)逢魔(おうま)はため息まじりこたえる。

八喜子(やきこ)から入ったら無理だよ。向こうから手は出さないから身の安全は保障される。だけど彼女から入られたら入らないようにはできないよ」
「入るって、どういうことだよ」
「この映画館自体がお客を出したくないんだろうね。見ての通りさびれてる」

逢魔(おうま)は鉄扇でぐるりと劇場をしめす。雪輝(ゆきてる)は質問を続けた。

九重(ここのえ)たちは出てきただろ?」
「そこなんだよね。彼女たちと何かが違う。力ずくで出してもいいけれど、建物が崩れたら危ない。雪輝(ゆきてる)君、八喜子(やきこ)はどこ?」
「いるんだけど、どこかまでは俺もわからない」



 八喜子(やきこ)雪輝(ゆきてる)逢魔(おうま)に向かって手をふり、ふたりの名前を呼んだが何の反応も返ってこなかった。
ふれてみようと手をのばしてもとどかない。透明な幕にはばまれ彼らの姿がゆらぐだけだ。
映画みたいだな、と八喜子(やきこ)は思った。観たわけではないが目の前で話しているが向こうから、こちらのことは見えていない。彼らの声も聞こえている。だけど声はとどかない。



 雪輝(ゆきてる)は腕組みをして劇場を見回した。

「身の安全って、早く見つけてやらないと」
「ずっと閉じこめられてたら餓死するだろうね」
「それよりも、トイレ。そろそろきつそうだ」

(なんでそういうのはわかるの?!)

「まあ、切羽詰まったら隅でするしかないんじゃない?」

(しーなーいー!!!)

「頼むからひかないでやってくれ。生理現象はどうしようもない。……まさかと思うが、お前は八喜子(やきこ)の尿もうまいと思うのか?」
「ノーコメントだね。実友(みとも)

(……はっきり違うって言ってほしい)


 逢魔(おうま)は壁の穴の向こう、映写機のある部屋へ声をかけた。
穴から仙南(せんなん)が顔をのぞかせる。彼の頰にふたつずつ小さな穴が空き肉の色をのぞかせた。彼はいつものように淡々とした口調で言う。

「います。霞末(かすえ)様の目の前です」
「ここ?」

逢魔(おうま)は手をのばしたが何の手ごたえもなかった。

「はい。そこです。わかりますか?」
「わからないな。どうなっている?」

仙南(せんなん)の頰の穴がうごめく。

「そちらに立っているのですが、ずれます。そして尿意を我慢していらっしゃいます」
「早く出してあげたほうがよさそうだね。八喜子(やきこ)が隅の方に言ったら何も言わないであげて」

(しませんー! そういうのがわかるのはいいですから! どうやったら、ここから出られるの?)

「ずれるって、どういうことだ?」
「なんらかの条件で八喜子(やきこ)は、ずれた世界にいる。ずれた世界をつくったのは、この映画館の不思議パワーだね。付喪神(つくもがみ)って知ってる?」
「なんか物が魂もつとかいうのか?」
「ああ、そう。それ。映画館が付喪神(つくもがみ)になって八喜子(やきこ)をずれた世界に閉じこめている」

逢魔(おうま)は鉄扇をあごにあてながら劇場を見回す。

「俺たちも外に出ようか。出られなければ八喜子(やきこ)に会えるし何も困らない」
「……飲むのか?」

(それは気持ち悪い)



 雪輝(ゆきてる)が扉を引いて開ける。目の前には階段が見えた。
彼らが廊下へと出ると、後ろで扉が閉まる。しばらく閉まった扉を見ていたが誰も出てこなかった。
廊下の奥の階段から仙南(せんなん)がやってくる。彼は扉へ目を向け頰の穴をうごめかせた。

八喜子(やきこ)奥様は扉の前にいらっしゃいますが、出られないようです。また劇場の中に戻られました」
「俺たちと何が違う?」

逢魔(おうま)にきかれ仙南(せんなん)は姿勢を正してこたえる。

「性別以外はわかりません。あとは尿意を我慢していらっしゃることですね」

雪輝(ゆきてる)が頭を抱える。

「この映画館って、そういう趣味なのか? もらさせて飲みたい、みたいな。レベル高ぇ……」
「それは君の方がわかるはずだけど、どう?」

子供の姿のため背の低い逢魔(おうま)雪輝(ゆきてる)を見上げる。

「いや、わからない。なんにもわからない。静かすぎる」
「映画館だからね。君とは相性が悪いようだ」
「だから八喜子(やきこ)を閉じこめてるのか?」
「そうかもしれないよ。『怪異』って見てもらえると嬉しいものだからね。ましてや映画館だし」

雪輝(ゆきてる)は奥の階段へと目を向け仙南(せんなん)へきく。

「あっちに映写機があるんですか?」
「はい」
「映画を八喜子(やきこ)に見せたら出られるかもしれない」
実友(みとも)、頼むよ」

 主人に命令された仙南(せんなん)が再び映写室に向かい雪輝(ゆきてる)逢魔(おうま)は劇場に入った。
彼らが席につくと館内の明かりが落ちる。からからと映写機の音が後ろから響いてきてスクリーンが明るくなった。
スクリーンに大きく八喜子(やきこ)の姿がうつり雪輝(ゆきてる)は立ち上がった。名前を呼んであたりを見回すが妹の姿は見えない。
逢魔(おうま)は足を組み、鉄扇をあごにあて、じっとスクリーンを見ている。銀幕の中で八喜子(やきこ)はあたりをきょろきょろと見回していた。彼女がいるのは同じ館内。ただし明るく雪輝(ゆきてる)逢魔(おうま)の姿はうつっていない。
彼女の口は動いていたが声はきこえない。いすの位置から八喜子(やきこ)は彼の近くに立っているのがわかった。
彼は振り返り映写室に呼びかける。

実友(みとも)。上映しているフィルムは何がうつっている?」

奥の壁の、横に長い四角い穴から声が返ってきた。

「何もうつっていません。空のフィルムばかりです」

ああ、そう、と逢魔(おうま)雪輝(ゆきてる)へと目を向ける。

八喜子(やきこ)の友達は何を観たの? 雪輝(ゆきてる)君、きいてる?」
「なんか古いサスペンス映画だとか言ってた気がする。入り口の横にポスターがあっただろう?」
「見てないな。鷹司(たかつかさ)にきいてみて」

逢魔(おうま)に言われ雪輝(ゆきてる)は携帯を取り出した。鷹司(たかつかさ)に電話をかける。彼は何度か言葉をかわして電話を切った。

「タイトルは『奥』。日本が舞台の推理モノらしい。ただ、最後はノイズがひどくて観れなかったそうだ」
「どんな話?」
「資産家の意地悪ばあさんが殺されて親族同士で殺人犯が誰か疑い合う話。主人公は孫の女子高生」

逢魔(おうま)はスクリーンの中の八喜子(やきこ)に目を向ける。彼女は不安そうにじっと目の前を見ていた。目線の先にいるのは彼だ。逢魔(おうま)は優しくほほえむ。

「大丈夫だよ。もし、もらしても俺は引かないから。車で来てるから脱いで帰ればいい」

(違います!)

スクリーンの中で八喜子(やきこ)は顔を赤くして、ぶんぶんと勢いよく首を横に振っている。逢魔(おうま)は、あはは、と無邪気に笑った。

「こっちの声はきこえるんだね。八喜子(やきこ)。まだ大丈夫そう?」

銀幕の中で彼女はこくこくと頷いた。
逢魔(おうま)はスクリーンを見ながら話しかける。

「君は映画を観た?」

(観てません)

実友(みとも)。映画のフィルムは本当にない?」

奥の壁の穴から、ありません、とこたえが返ってくる。

八喜子(やきこ)に見てほしいのは映画じゃないのかな」

逢魔(おうま)は鉄扇を持った手の指をこめかみにあてる。ちらちらとしたスクリーンの明かりが彼と雪輝(ゆきてる)を照らしていた。
スクリーンの中の八喜子(やきこ)が映写室のある奥の壁へと目を向ける。彼女は目を見開き後ずさった。ぱっと背を向けて駆け出そうとしたが踏み止まり胸の下までのびた髪が大きくゆれる。カメラがあるとすればスクリーンの中の八喜子(やきこ)がぐーっと小さくなり彼女を上から映した。
八喜子(やきこ)の周りを巻芯からのびたフィルムがぐるぐると蛇のように取り囲んでいた。フィルムは八喜子(やきこ)を中心に輪をせばめようとしたが白い光が弾け、はねのけられる。

八喜子(やきこ)!」

雪輝(ゆきてる)が叫び、座ったままの逢魔(おうま)を見下ろす。

「おい!」
「大丈夫。八喜子(やきこ)は俺のものだ。危害は加えられない。見たでしょ? どうにかして向こうにいかないとだね。入り口はー」

逢魔(おうま)は出入り口へと目を向ける。

「出口にもなるはずだけど」

逢魔(おうま)は立ち上がり扉の前に立った。鉄扇を顎にあて思案する。雪輝(ゆきてる)はスクリーンを見つめたままだ。わかった、という逢魔(おうま)の声に彼が目を向けた時には扉が閉まるところだった。彼が外に出た逢魔(おうま)を追って扉を開けたが目の前には階段があり逢魔(おうま)の姿は見えない。彼が暗い劇場にとって返すとスクリーンの中では逢魔(おうま)がフィルムを鉄扇で切り裂き八喜子(やきこ)を助け出していた。



 八喜子(やきこ)は、ばらばらと床に落ちたフィルムを踏みつけて逢魔(おうま)にとびついた。

逢魔(おうま)さん、逢魔(おうま)さん! 怖かったです……」

逢魔(おうま)は、よしよし、と八喜子(やきこ)の背中をなで彼女を見上げて笑う。

「大丈夫だよ。さあ、帰ろう」
「でも……」
「俺となら大丈夫」

逢魔(おうま)八喜子(やきこ)の手をとり扉を引いて開けた。目の前には階段がある。すーっと彼らの背後で扉がしまると同時に八喜子(やきこ)はトイレに駆け出した。その背中を見送ると逢魔(おうま)は扉を引いて開け劇場の中へともどる。
暗闇を真っ白なスクリーンからの明かりがちらちら照らし雪輝(ゆきてる)がぽかんと立ちつくしていた。

「……どういうことだ?」

逢魔(おうま)は鉄扇で背後のドアを指し示しながら口を開きかけたが、ぎょっとしてスクリーンを見た。雪輝(ゆきてる)も彼につられてスクリーンを見ると声をあげた。
トイレに入っている八喜子(やきこ)が大写しになっている。音こそしないものの彼女が開放感に満ちているのは表情からわかった。ぽかんとしていた逢魔(おうま)がはっとして叫ぶ。

実友(みとも)! とめろ!」

すぐに明かりがつき映写機がとめられた。しばらく沈黙が続いたが雪輝(ゆきてる)から口を開く。

「……忘れよう」
実友(みとも)! なんで、すぐとめないの?」

奥の壁の穴からは、ご命令がありませんでしたから、と返ってきた。

「この映画館、壊そう。むしろ雪輝(ゆきてる)君、君は忘れて。八喜子(やきこ)が俺以外に痴態を見せるのは許しがたい」
「お前も忘れろよ!」

雪輝(ゆきてる)がドアを引いて開け彼らは外に出た。



 仙南(せんなん)が運転する逢魔(おうま)の車の中は沈黙が続いていた。
助手席に樹楼尓(じゅろうじ)、後部座席には八喜子(やきこ)を真ん中にして逢魔(おうま)雪輝(ゆきてる)が座っている。
顔を赤くしてうつむいたままの八喜子(やきこ)の耳には、ふたりが自分をどうなぐさめようか思案している声がきこえていた。


『……今日はミントグリーンだったなぁ。ピンクとか暖色系の方が似合うと思うんだけど』


「!? どこを見てたんですか!」

心の声をきいた八喜子(やきこ)につめよられ逢魔(おうま)は、あはは、と無邪気に笑う。雪輝(ゆきてる)もあきれたように彼を見ていた。

「どこだと思う?」
「知りません!」

八喜子(やきこ)は、ぷい、と横を向いた。

「なあ、どうして逢魔(おうま)八喜子(やきこ)のところにいけたんだ?」

雪輝(ゆきてる)が言うと逢魔(おうま)は、にこにこしながら話しだした。

「映画館のドアってスクリーンのあるところから、外に出る時に、どっちに開くと思う?」

八喜子(やきこ)は目をぱちぱちとさせて彼を見る。逢魔(おうま)は柔和な笑みを浮かべながら続ける。

「こう考えて。たとえば火事なんかが起きて逃げなくてはいけない。そういう時はどっちに開く方がいい?」

雪輝(ゆきてる)がぽんと手を打つ。

「外側か」
「ああ、そうだよ。大勢の人間が外へ出ることを考えて、外開きになっているはずだよ。でも、あの映画館はおかしかった」

八喜子(やきこ)は首をかしげた。いまひとつ、ぴんとこない妹のかわりに雪輝(ゆきてる)が、ああ、と声をあげる。

「取っ手の形が変だ。どっちからも引くドア用の棒だった」
「ああ、そう。だから、雪輝(ゆきてる)君、君や八喜子(やきこ)の友だちは引いて(、、、)開けた」

八喜子(やきこ)はまだ首をかしげている。逢魔(おうま)は彼女に優しく笑いかけた。

八喜子(やきこ)、君は小さくて力が弱いから押して開ける方が楽なんだよね。だから、いつも無意識にそうやっている。うちのドアだって、引き戸と樹楼尓(じゅろうじ)が、うるさく引いて開けろって言ってるところ以外、全部押して開けているだろう?」

はい、と八喜子(やきこ)は頷いた。
雪輝(ゆきてる)が納得したように頷きながら言う。

「それで八喜子(やきこ)は、ずれた方の映画館に入ったのか?」
「ああ。あとこれは俗説なんだけど、外開きのドアっていうのは、招き入れるって意味があるらしいよ」

八喜子(やきこ)雪輝(ゆきてる)はへー、と感心した。

「それでね、思ったんだけど」

逢魔(おうま)は柔和な笑みを浮かべながら続ける。

斗瀬(とせ)と関わるのは禁止。ろくなことにならない気がする」

雪輝(ゆきてる)が顔をしかめる。

「友達づきあいまで口を出すのか?」
「この間もろくなことにならなかったでしょう? それに彼女は受験生じゃないの?」
「でも、逢魔(おうま)さん」

逢魔(おうま)八喜子(やきこ)の口の前に鉄線を開いて、彼女の言葉をさえぎった。

「『だって映画代を出してくれたから、いい人です』って言うつもりなら言わなくてもいいよ。それで、俺が言うことは、ひとつ」

逢魔(おうま)は鉄扇をたたんだ。

「だってじゃないよ」
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