第6話 ゴリラ! ? ゴリラ? ゴリラ! 

文字数 15,431文字

※性的な表現があります※

 裸の男女がベッドの上でからみあっている。いや、正確には長身の男と少女と言うべき年齢の可憐な美少女だ。金髪の美しい男は人の悪い笑みを浮かべ少女の体を快楽で責め立てる。機嫌が悪いということではない。ただ少女に意地の悪い言葉をかけ悦ばせることが楽しいのだ。口では否定するものの少女の蜜壺は男を受け入れきゅうきゅうとしめつけている。ひときわ激しくのけぞって少女は嬌声をあげて達した。


  ー なんていいなぁ……

 大上(おおがみ)るる子は金扇(かねおうぎ)八喜子(やきこ)《かねおうぎやきこ》と合った目をさっとそらす。
八喜子(やきこ)は何が起きたかわからなかった。
高校へ登校しだして数日、梅雨の蒸し暑さに冷房を入れている教室で、ふとクラスメイトのるる子と目が合ったら目の前に濃いピンク色につつまれた濡れ場が見えたからだ。困惑してかたまる八喜子(やきこ)の目の前に朱珠(しゅしゅ)がぶんぶんと手を振る。

八喜子(やきこ)ちゃん、おーい。具合悪いの? 」
「……うん」

八喜子(やきこ)の視界のすみにちらりとるる子が入るとまた濡れ場の光景がみえてくる。八喜子(やきこ)はぶんぶんと勢いよく頭をふって廊下へ走りだした。

「保健室行ってくる! 」


 八喜子(やきこ)がかけこむと保健室は無人だった。八喜子(やきこ)はベッドに横になると大きく息を吐いた。


 ー あれ、さっきの私と……


羞恥と嫌悪が背中をぞくぞくさせる。しばらく頭を抱えて気持ちを落ち着かせ窓から外を見ると体育の授業がはじまっていた。クラスメイトたちが体操着で校庭を走っている。八喜子(やきこ)の視界にるる子が入ると今度は自分と体育教師が絡み合う光景が見えた。

「もうやめてー! 」

八喜子(やきこ)はベッドに突っ伏した。



 放課後、校門の前を通る生徒たちはざわついていた。校門のすぐ近くに黒塗りのリムジンがとまっているからだ。生徒たちはその筋かな? とささやきあいながら好奇の目を向けている。
体育教師の笹沢(ささざわ)が竹刀を持ちながら運転席の窓ガラスをこんこんとノックした。生徒たちがさらにざわついた。スーツ姿の男が降りてくる。

「すみません、ここに駐車は困ります」
「すぐに来ますから」
「生徒の名前は何ですか? 」

後部座席のドアがさっと開き派手な服装の見上げるほど背が高い男がおりてくる。
男は笹沢(ささざわ)に目もくれず校門から出てきた八喜子(やきこ)に手をふる。
八喜子(やきこ)は顔を赤くして逃げるように走り去った。
八喜子(やきこ)の後を雪輝(ゆきてる)がすぐに追いかける。

「笹沢先生、どうしたんですか? 」

くたびれたスーツ姿の美術教師の鷹司(たかつかさ)《たかつかさ》がやってくる。

「生徒を迎えに来たらしいですが、お帰りいただくところです」

表情がきつくなる笹沢を鷹司(たかつかさ)はなだめるようにさがらせると

「生徒の送迎は禁止だ! こらぁっ! 」

鬼の形相で車のタイヤを蹴りつける。

「さっさとどかせっ! 」
鷹司(たかつかさ)先生! ? 」

その筋だ! と生徒たちがどこか嬉しそうに騒ぎだした。


 一気に家の近くの公園まで走り抜けた八喜子(やきこ)は荒く息をしながらブランコへと座り息を整える。暑さのためか公園には誰もいない。
八喜子(やきこ)の背後から影が落ちた。見上げるとおうまが立っている。

「どうして逃げるの? 」
「学校に来るのやめてください」
「なんで? 」
「……言えないです」

顔を赤くする八喜子(やきこ)をおうまはにこにこと笑って見ているが何の色も見えない。

「今日は行かないって仙南(せんなん)さんに連絡したのに」
「いいの? 八喜子(やきこ)ちゃんに勉強を教えるって約束でしょ? あれじゃついていけてそうにないし」
「まだ大丈夫ですから! それに」

八喜子(やきこ)の顔つきがきっと引き締まる。

「それに? 」
「今日は15時から魚屋さんがタイムセールなんです」
「ああ、そう。水曜日じゃなかった? 雪輝(ゆきてる)君は魚が好きじゃないんでしょ? 」
「水曜日はお肉の日です。お肉はしばらく食べないので」
「へえ。なんで? 」
「……そういう気分の時もあるんです! 」



 ー 2年前に機嫌を損ねたら ー


矢継早(やつぎばや)に見せられた写真を思い出し八喜子(やきこ)は気分が悪くなった。
暑さのせいか額から汗が頰を伝って落ちる。

「そう」

おうまはかがむと口づけでもするかのように八喜子(やきこ)の頰の汗に吸いついた。突然のことに混乱する八喜子(やきこ)におうまは屈託のない笑みをうかべる。おうまの周りには白い眩しい光が見えている。暑さのせいか八喜子(やきこ)は頭がくらくらした。
そう思った時に学生鞄がとんできておうまの顔に命中する。

「何してんだ、コラ」

鞄が飛んできた先には能面のような顔をした雪輝(ゆきてる)がいた。おうまは雪輝(ゆきてる)に鞄を投げ返す。雪輝(ゆきてる)が鞄へ目線をうつした一瞬でおうまの姿は消えていた。
八喜子(やきこ)へまたね、という言葉を残して。


 タイムセールへも無事間に合い帰宅した八喜子(やきこ)雪輝(ゆきてる)に呼ばれ台所兼リビングの椅子に座った。

「なぁ、八喜子(やきこ)

雪輝(ゆきてる)は位牌がわりの母の写真立てをテーブルに静かに置いた。

「隠さないで言ってごらん? 」

雪輝(ゆきてる)の周りには怒りの色である赤い光がちらついているのが八喜子(やきこ)の目には見えていた。



 「ーーつまり」

雪輝(ゆきてる)は能面のように表情のない顔で続けた。

「あの男はなめてくる、ってことか」

八喜子(やきこ)は冷や汗をかきながら頷いた。雪輝(ゆきてる)は両手で顔をおおう。

「あのな、お兄ちゃんは八喜子(やきこ)にはいつか幸せな恋をしてほしいと思ってたんだよ、それが……」

雪輝(ゆきてる)は声をつまらせテーブルに突っぷす。

「レベル高ぇ……」
「今日のは私もびっくりしたからいつもってわけじゃなくてー」

雪輝(ゆきてる)は両手の平を八喜子(やきこ)へ向けて八喜子(やきこ)の言葉をさえぎると立ち上がり引き戸を開けて自分の部屋に入っていった。雪輝(ゆきてる)が戻ってくると手には愛用していた金属バットがある。

「お兄ちゃん、これから話してくる」
「それいらないよね! ? 」



 ファミレスでカモミールティーを飲みながら矢継早(やつぎばや)はけらけらと陽気な笑い声をあげた。いつも通り黒スーツの彼女の向かいにはくたびれたスーツの鷹司(たかつかさ)が座っている。

「それで教頭から叱られたんですか。見たかったなー」
「生徒へ悪影響だと」
「そうですねー、どっちがその筋かわかったもんじゃないですもんね。ていうか」

矢継早(やつぎばや)は一気にカモミールティーを飲み干した。

「なんであの暴虐ゴリラが外に出てきてんですか? しかも学校の前とか目立ちすぎじゃないですか! おまけに! 」
「誰も見たことを食われてない」
「どうすんですか、まずいですよ」
「よほどのお気に入りらしいな、さとりが」
「ゴリラがなんか弱みでも握られてんですかね? 」
「そんなに頭が回る子じゃない」

鷹司(たかつかさ)はきっぱりと断言した。



 翌日は晴れ。タイムセールもなく絶好の掃除日和だ。八喜子(やきこ)は放課後におうまの屋敷をおとずれ掃除のアルバイトに励んでいた。
広い屋敷だがあまり汚れていない。以前に不思議に思っておうまにきいてみたところ、ひとりだから、という返事があった。


 さびしくないのかな? うんと狭い家に三人、一人減っただけでも寂しくて家が広くなってたまらないのに


 大広間への扉を開けるとソファでおうまが眠っている。周りにはちかちかと白やピンクの光が散っているのが八喜子(やきこ)の目には見えた。


『ーーしーーてーー深ーー』


光が見えなくなると、おうまが目を開けたので八喜子(やきこ)は声をかけた。

「おはようございます」
「おはよう」


『がちゃがちゃ騒がしい』


おうまの周りに思いが見えた。

「掃除中なんですみません」
「そういうとこだよ」

おうまは笑っているが八喜子(やきこ)の目には周りに何の色も見えなかった。




 植物のように規則正しく穏やかで静かでも小さな喜びや楽しみはある
いつまでもずっと、いつまでもそう過ごすのだ
深く沈めよう、深く
川底の石がやがて砂になるように
砂が塵と消えるまで深く




 夜。街灯が照らすブロック塀に囲まれた道を仕事帰りの若い女性が歩いている。あたりは住宅地。時間は深夜。
家々は明かりが消え静かだ。女性の表情はかたくこわばり耳に全神経を集中しながら家路を急いでいた。彼女の耳には足音がきこえていたのだ。
ヒールでアスファルトをける自分の足音以外にもう一つ。ずるりずるりとはうような音が。勇気を出して何度も振り返ったが何も見えない。走ればはいずる音も早くなる。駆け出すのをこらえながら女性は急いだ。

コツコツコツ
ずるりずるりずるり

静かな住宅街に二つの足音がよく響く。

角をまがれば
あの角さえ曲がれば

女性歩調を早めほとんど走り出さんばかりの勢いで角を曲がる。
角を曲がった暗がりにそれはいた。
壁にはりつきじっとりとしたねばつく視線で女性を睨めつけゆっくりと近づいてくる。
ひっと小さく悲鳴をあげ女性は尻餅をついた。足が震えて立ち上がれない。

 あれはなんだ何故壁から落ちない何故手に鎌を持っている何故何故鎌を振り下ろそうとしてる何故なー

焼けるような痛みと同時に彼女の視界が真っ赤に染まった。




 私立R高校。梅雨らしく、しとしとと雨が降り続いている。高校の教室は長い昼休みをむかえ、ざわざわと騒がしい。自分の席に座りながら八喜子(やきこ)は頭を抱えていた。
少しでも顔をあげると同じ教室にいるるる子が想像する自分の濡れ場が目に入ってしまうからだ。
昨日より苛烈に鮮烈にるる子の想像はとまらない。妄想を包む濃いショッピング色で八喜子(やきこ)の目はちかちかとした。

八喜子(やきこ)ちゃん、今日も具合悪いの? 」

朱珠(しゅしゅ)が心配そうに八喜子(やきこ)に声をかける。

「……うん」

ふと解決できるかもしれないことに思い当たり八喜子(やきこ)は教室を飛び出した。



 美術室の隣の美術準備室。美術教師の鷹司(たかつかさ)は、よくここにいることをきいた八喜子(やきこ)は勢いよくドアをノックした。
怒声とともに怒りの真っ赤な強い光が見え八喜子(やきこ)はめまいを起こしうずくまる。

「あぁ! ? 誰だ? 」

ドアが開き眠そうな鷹司(たかつかさ)が姿を現した。うずくまっている八喜子(やきこ)の腕をやや手荒に引いて起こす。

「眠いんだよ、なんだ? 」
「ごめんなさい」

殺意に満ちた鷹司(たかつかさ)の目が徐々に落ち着いていく。

「そういえばお前がいたな」

鷹司(たかつかさ)の周りの怒りの赤は黄色へと変わりつつある。

「私も先生にききたいことがー」

鷹司(たかつかさ)の周りに凄惨な事件現場が見え八喜子(やきこ)はまたへたりこんだ。女性が切り刻まれ血まみれで臓物を撒き散らしている。
声にならない声で口が開いている八喜子(やきこ)鷹司(たかつかさ)は準備室の中へと招き入れた。


 準備室の中には応接用のソファとテーブルがあり八喜子(やきこ)はそこへ座るよう促され、おとなしく従った。

「何か見えてるのか? 」
「女の人が……」
「今まで見えたことは? 」
「ないです、前に話した通り、色でしかみえませんでした」
「あいにくと助けられないんだが霞末(かすえ)のゴリラのところへ行くのはやめたほうがいい」

鷹司(たかつかさ)は紙コップにコーヒーをいれながら続ける。

「あれが何で森にいるかというと活気づけるからだ。『怪異』どもを」
「? 」

八喜子(やきこ)はわけがわからず鷹司(たかつかさ)を見あげる。

「幽霊やおばけ、妖怪。そう言われるものがあいつが側に来ると元気になる。本当は『さとり』なんてそんなに脅威じゃない。前に話しただろう? 」
「私が見ちゃうから『怪異』がはりきって出てくるって」
「はりきっても疲れちまえばそれまでだ。また見えなくなる。ところがあいつは元気にするんだ」

鷹司(たかつかさ)はコーヒーを八喜子(やきこ)の前にもおくと、どっかりと向かいのソファに腰をおろし自分の分をすする。

「あいつが食ってくれればいいが食わない時は元気にする。要は疲れるまで時間がかかるし、それまで以上に暴れ出す。元気になるからな」
「私がアルバイトに行くなってどういうことですか」
「お前も『怪異』みたいなもんだから元気になってさとりの力が強くなるんだろう。とは言っても残念ながら俺たちに行くな、とは言えない」

鷹司(たかつかさ)はコーヒーを飲み干した。

「お前からクビになってくれ。お気に入りらしいお前を引き離して、あれが暴れたら手に負えない」
「前に先生は化け物退治をする機関にいるって言ってましたけどー」
「退治できるのなんてほんの一握りでほとんどできないさ」

鷹司(たかつかさ)の周りには赤黒い光がゆらめている。

霞末(かすえ)は……神様ってやつか? そうやって祭り上げられてる奴らの一人だ。お互いに利害が一致する時は手出しはしない。ずいぶん昔にそう決まって決まりを守ってる。なんか知らんがあいつらに決まりは絶対だ」

八喜子(やきこ)は昨日のことを思い出していた。おうまは言っていた。勉強を教える約束でしょ、と。

「だがお前の兄貴みたいに金属バットで殴りこんだら、こないだの写真みたいになるぞ」
「どうして知ってるんですか? 」
「今日、相談に来た。化け物退治のやり方をー」

鷹司(たかつかさ)は考えこみ言葉を切った。

「……二つの意味で食われてるんだよな? 何で見えるようになってんだ? 」

八喜子(やきこ)鷹司(たかつかさ)の周りに見える妄想を見て顔を赤くしながら勢いよく首を横にぶんぶんとふった。



「もういやっ! 」

八喜子(やきこ)は美術準備室を飛び出した。前も見ていなかったせいで廊下を歩いていた女生徒とぶつかる。二人仲良く床に転げたため八喜子(やきこ)は慌てて謝った。

「ごめんなさい」
「いった……金扇(かねおうぎ)さん。ここにいたんだ」

女生徒はるる子だった。後ろに髪をひとつにくくり、きちんとした印象を誰にでも与える。


『美術準備室から出てきたってことはっ! 』


るる子の周りに濃いピンク色が見え始める。

「わーっ! 大上(おおがみ)さんはどうしてここに? 」
「あなたを探しに。もう授業はじまってるから」
「え? チャイム鳴ってた? 」
「私、保健委員でもあるから、また具合悪いのかと思って」
「そうなんだ」

るる子の周りには心配していることをしめす灰色が見える。八喜子(やきこ)はにこりと笑った。

「ありがとう」


『……いい! 』


るる子の妄想が始まる前に八喜子(やきこ)は慌てて会話を続けた。

「お、大上さん! 大上さんも授業出れなくてごめんなさい」
「平気。授業なんてでなくてもわかるから」
「大上さん頭いいんだね。すごいなぁ」
金扇(かねおうぎ)さんは体が弱いからずっと学校に来てなかったって、お兄さんからきいたけど」
「うん……小4かな。小4からほとんど」

八喜子(やきこ)の体の成長に伴い向けられる思いに耐えられず学校は休みがちだった。

「もう大丈夫なの? 」
「うん、ありがとう」

今も向けられないわけではないが目を背けてしまえばどうにかやり過ごせた。


『ーー彼女の艶やかな唇にそっと教師のっ! 一糸まとわぬなめらかな肢体にこらえることはできずっ! 』


るる子以外は。
るる子の妄想が始まり八喜子(やきこ)は叫ぶように名前を呼んだ。

「大上さん! えーと、えーと、勉強教えて! 」
「勉強? 私が? 」
「学校来てなかったからわからなくて。大上さんがよかったらだけど」
「私でよければ」

るる子の周りに黄色の光が広がる。

「るる子ちゃんって呼んでもいい? 」
「うん。私も八喜子(やきこ)ちゃんって呼ぶね」



 放課後。生徒たちがまばらに残る教室でるる子と八喜子(やきこ)は机を並べていた。
るる子のシャープペンシルがさらさらとノートの上をすべっていく。

「それで、こうなればXの値がでるでしょ? 」

八喜子(やきこ)の顔を見て、るる子は顎に手を当てて考えこむ。

「わかんなかったか……どうやって言えばいいかな」
「え? どうしてわかったの? 」
「顔に書いてある」
「え? るる子ちゃん、何か見えるの? 」
「慣用句でね、顔に心の中が出ていることをそういうんだよ」

二人の様子を見ていた朱珠(しゅしゅ)が吹き出す。

「クラス一の秀才とびりっけつ! おっかしい! あははは」

朱珠(しゅしゅ)に笑われ八喜子(やきこ)はぷうっと頰をふくらませる。

八喜子(やきこ)ちゃん、なんかずれてるし勉強教えるのは大変だよ」
「私のノートを丸写しのあなたも似たようなものだけど」
「るる子先生にはいつもお世話になってます、てか」

朱珠(しゅしゅ)は力なく机に突っ伏している雪輝(ゆきてる)を指差した。

「あれ、どうしたの? 」

雪輝(ゆきてる)の横にいる(りょう)がこたえた。

「庄屋に娘を嫁にとられた父親の気持ちだって」



 3時間後。おうまの屋敷の大広間で八喜子(やきこ)とおうまと並んで座っていた。

「だから y=2x ということは (x,2x) と同じことだよね。どうしたの? 」

きらきらと目を輝かせている八喜子(やきこ)を不審に思ったおうまがきく。

あの後、るる子の説明をきけばきくほどわからず散々、朱珠(しゅしゅ)(りょう)に笑われ飽きてきた、るる子の妄想が始まったため解散となったのだ。
るる子の説明はいきなり難解な計算式が出現し何がわからないのかわからない状態におちいるため八喜子(やきこ)が理解するのは到底難しかった。現時点では不可能と言っていい。

「すごい! わかった気がする! 」

八喜子(やきこ)はにこにことしていて上機嫌だ。
おうまの場合はノートに呪文のような式を書かされることもなく、お茶を飲みながら話すだけ。するすると物語のように語られるのが八喜子(やきこ)は楽しかった。

「やっぱり学校行くの早いんじゃない? まだ中学生ぐらいのところだよ」
「学校ってのは勉強だけじゃないから」

向かい側に座っている雪輝(ゆきてる)がおうまを否定する。金属バットを置いていくことを条件に今日はついてきていた。

「友達をつくったり、ふっつーの! 恋したり大事なことがたくさんあるんだよ」 
「そう」

普通の、を強調する雪輝(ゆきてる)におうまは柔和な笑みを返した。

「腹減った。帰るぞ、八喜子(やきこ)
「うん! おうまさん、ありがとう! 」

八喜子(やきこ)は上機嫌のままにっこり笑って礼を言い雪輝(ゆきてる)と玄関へ向かった。またね、という言葉を背にうけて。


 雪輝(ゆきてる)八喜子(やきこ)の二人がのった車が家に着く。家の前にいつものくたびれたスーツ姿の鷹司(たかつかさ)《たかつかさ》といつもの黒いスーツ姿の矢継早(やつぎばや)《やつぎばや》がいた。見慣れない学生服の少年もいて竹刀袋を持っている。

「遅かったな」
「なんですか、先生」

鷹司(たかつかさ)雪輝(ゆきてる)ではなく八喜子(やきこ)を見て言う。

「これから見回りだ。ついてこい」
「飯まだなんで」
「ファミレス行きます? 鷹司(たかつかさ)さんがおごってくださるそうです」

矢継早(やつぎばや)がばんざいをした。



 ファミレスでおいしそうにパスタを食べる八喜子(やきこ)雪輝(ゆきてる)を見ながら鷹司(たかつかさ)が説明を続ける。

「つまり元気になってる『怪異』どもを狩らなきゃいけない。探すのを手伝ってくれ。自分が危ないと思うと隠れるくらいの知恵がついてる」
「いやー、もうしらみつぶしに歩き回らなきゃいけないんで疲れて疲れて。その点、さとりに見てもらえば早いですよね。昨日なんかすごかったですよ。なんか刃物でざっくりざくざくばっくりとされちゃった人がいて中身がずるずるーって。そう、そのパスタみたいに」
矢継早(やつぎばや)さん、食事中ですよ」

少年が諌めたが雪輝(ゆきてる)八喜子(やきこ)の食欲はもうなくなっていた。八喜子(やきこ)たちと同じ年頃の少年は千平(せんだいら)とだけ名のっていた。



 強制的な食後にカモミールティーが嫌いだという雪輝(ゆきてる)矢継早(やつぎばや)が言い争う横で鷹司(たかつかさ)が地図を広げた。

「昨日のずるずる現場がここ。ほかに何か気になるところはないか? 」

地図を見つめて黙りこくる八喜子(やきこ)鷹司(たかつかさ)が続ける。

「悪いが嫌でも協力してもらう。霞末(かすえ)のゴリラでも呼んで助けてもらうつもりか? 」
「……先生」

八喜子(やきこ)は顔をあげて鷹司(たかつかさ)を見返す。

「これってアルバイトですよね? 時給いくらですか? 」

八喜子(やきこ)の目はきらきらと輝いていた。

「お金って人の命がかかっているのに」

千平(せんだいら)が不平をもらすと八喜子(やきこ)はむっとした。

「親なしだから苦労してるんです」

千平(せんだいら)ははっとして、うろたえ謝罪の言葉を口にする。八喜子(やきこ)はしばらく彼を見つめたあと、にっと笑った。

「いいですよ。私たちには普通のことだから」

それでも千平(せんだいら)少年は謝罪を繰り返した。
灰色に深い青と黄色の混ざった光を周りにまといながら。



 街灯のない自然公園の駐車場に停めた車の中で雪輝(ゆきてる)八喜子(やきこ)鷹司(たかつかさ)たちを待っていた。
八喜子(やきこ)の目には窓の外に見える暗闇の奥にさらに黒いものがいくつも見える。ひとつ、またひとつ、と黒いものが消えていく。

「大丈夫か? 」

雪輝(ゆきてる)八喜子(やきこ)は頷いてみせたが表情は暗い。

「この間みたいに手伝ってやれればいいんだが……人が死んでるみたいだし」
「……うん」

八喜子(やきこ)の目に見えていた近くの黒いものが消えたと思ったら何かが車のすぐ横に跳んできてアスファルトに乾いた音を立て着地する。雪輝(ゆきてる)はとっさに車のドアをロックした。心配せずとも鍵は矢継早(やつぎばや)が持ちかかっていたが。
窓に男がはりつき中を覗きこむ。
八喜子(やきこ)は悲鳴をあげて雪輝(ゆきてる)にしがみついた。男の全身は血まみれで筋肉質だが、どこかあどけなさを残す目をしている。
男は巻き舌でドラムロールのような雄叫びをあげながらボンネットにとびのった。雄叫びを続けながら大きく体をゆするので車がぐらぐらと揺れた。雪輝(ゆきてる)も顔をこわばらせ、けれど力強く八喜子(やきこ)を抱きしめた。
雄叫びは続き、それに合わせるかのように車はぐらぐらと揺れている。誰かが駆けてくる音が雪輝(ゆきてる)の耳にとどいた。音の方へ目を向けると鷹司(たかつかさ)が見え雪輝(ゆきてる)は安堵した。
鷹司(たかつかさ)は走ってきた勢いのままボンネットにとびあがるようにして男を蹴りお落とした。男は間抜けな格好でアスファルトの上に転がり落ちる。
鷹司(たかつかさ)が車の窓ガラスを開けるように雪輝(ゆきてる)に促し雪輝(ゆきてる)はそれに従った。

「うちのゴリラの円戸(えんど)《えんど》だ」
「あはは! こんばんはー! エンドです! 」

男は異常な上機嫌さで地面に転がったまま言った。


 鷹司(たかつかさ)から連絡をうけて戻ってきた矢継早(やつぎばや)円戸(えんど)を見て露骨に嫌そうな顔をした。

「いや、あなたを車に乗せるの嫌なんですけど。水咲(みずさき)先輩はどこですか? 」
「知ーらない! おいてきちゃった」
「じゃあ、歩いてでも走ってでも跳んででもお好きなように帰ってください。なんでそんなに汚れてるんですか? 」
「だって引きちぎってきたから。あー、気持ちよかった。ちんこびんびん」
「気持ち悪いんですけど。子供もいるんだからちょっと黙っててください」
「女子校生! 」

円戸(えんど)は車内の八喜子(やきこ)をなめるように見つめる。八喜子(やきこ)の全身に鳥肌が立った。

「おっぱい大きい! あと二、三年だな。矢継早(やつぎばや)、俺あと三年生きてると思う? 」
「三年も待たずに今すぐ死ねばいいんじゃないですかね」

八喜子(やきこ)は青い顔をして口元をおさえている。それに気がついた矢継早(やつぎばや)が車内を指差した。

「ゲロはそこのゲロ袋に吐いて下さいね、ゲロ袋あるんでゲロはゲロ袋に」
「ゲロゲロ言い過ぎ〜」

円戸(えんど)はげらげらと笑い転げる。
雪輝(ゆきてる)のもの言いたげな視線をうけて鷹司(たかつかさ)が口を開いた。

「このゴリラは無視していい。金扇(かねおうぎ)妹、あと何匹いる? 」
「ちょっと休ませてください。八喜子(やきこ)だって疲れるんです」

抗議する雪輝(ゆきてる)を無視して鷹司(たかつかさ)は続けた。

「何匹だ? 」
「……もういないです、多分」
「多分じゃ困る。ちゃんと見ろ」
「だから! 休ませてください! 」
「見逃せばまた誰か死ぬ。こうなった原因は霞末(かすえ)のゴリラだが、そいつが森から出てきたのは誰のせいだ? 」

雪輝(ゆきてる)が口を開きかけるよりも矢継早(やつぎばや)の方が早かった。

「はぁ? はぁ? はぁ? 誰のせいって霞末(かすえ)のゴリラ一択じゃないですかぁ? もともと誰かに言われて出てくるものじゃないしなんなんですか。子供にあたってみっともない。おっさんはみっともないと思わないんですかぁ? だからいっつもそんなぼろっちいスーツなんですかぁ? 」
「喧嘩なら殴り合おう! 」

円戸(えんど)があおり険悪な沈黙が続く。
もどってきた千平(せんだいら)は困惑した。





    「化物だから死ね」




雪輝(ゆきてる)はぎょっとして八喜子(やきこ)を見た。うつろな目で呪詛のように呟き続けている。呼びかけても頰を軽く叩いても同じように繰り返す八喜子(やきこ)雪輝(ゆきてる)の焦りは大きくなっていった。

「なんですか? どうしたんですか? これなんですか? 」
「知らん」

車内を覗きこむ鷹司(たかつかさ)矢継早(やつぎばや)の背後の温度がすうっとさがる。

「誰が言われたことなんだろうね。それとも思っていることかな」

二人が振り返るとおうまがにこにこと笑いながら立っている。
鷹司(たかつかさ)が叩きつけてきた拳をおうまは軽々とかわし腕をひねりあげると放り投げた。駐車場に重い音が響く。
雄叫びをあげながら円戸(えんど)もとびかかったが腕の一振りでふっとばされた。

「話し合いませんか? 」

矢継早(やつぎばや)はホールドアップの姿勢をとったが無言で襟首をつかまれ先の二人と同じように放り投げられた。
抜刀した千平も斬りかかる間もなく円戸(えんど)の上に着地し円戸(えんど)が変な声をあげる。

「だから学校はまだ早いって言ったのに」

おうまは車内をのぞきこみながら言った。

八喜子(やきこ)が変だ! どうしたらいい? 」
「とりあえず」

おうまはくるりと振り返った。

「彼らに死んでもらえばいいんじゃないかな」

顔は無邪気に笑っている。

「それで八喜子(やきこ)は戻るのか? 」

おうまは雪輝(ゆきてる)に向き直る。

「ああ、そうだね」
「じゃあ、お前は八喜子(やきこ)から嫌われる」
「なんで? 」
「俺の妹だから絶対にそうだ」

おうまは困ったように眉をよせ左手にもった閉じた扇で後ろをさす。

「彼にその気がないみたいだけどね」

おうまの背後には円戸(えんど)がゆっくりと近づいてきていた。

「夜も遅いし、このまま帰ったら? 」
「ざっけんな! 」

おうまはつかみかかってきた円戸(えんど)の腕を扇で叩き落とした。ごきりという音と同時に血が地面にふきだし、その中に円戸(えんど)の手首がべしゃりと落ちる。
呆然と手首の先がなくなった腕を見つめる円戸(えんど)の胴をなおも容赦なく扇で薙ぎ払う。奇妙な音と悲鳴をあげ円戸(えんど)は吹っ飛んでいった。叩きつけられた地面の上で奇怪な呼吸を繰り返し起き上がらない。
おうまはゆっくりと円戸(えんど)に近づいていった。顔には表情がない。
見覚えのあるその様子に鷹司(たかつかさ)が叫んだ。

「とめろ! 」
「はい! 」

鷹司(たかつかさ)は前からおうまの胴にしがみつき足で踏ん張る。矢継早(やつぎばや)千平(せんだいら)も後ろから同様にする。大の男と女だが成人と少年とはいえ三人。しかし三人がいないかのようにおうまは進んでいく。



  ー 2年前に機嫌を損ねたら ー



雪輝(ゆきてる)の脳裏にあの写真が浮かんだ。

「やめろ! もう死ぬ! 」
「とまって! 見逃してください! 」

鷹司(たかつかさ)矢継早(やつぎばや)が叫んでいる。

雪輝(ゆきてる)八喜子(やきこ)の頰を強めに叩いた。徐々に目の焦点があってくる。はっと気がついた八喜子(やきこ)の手を引き彼は外に飛びだした。



 奇妙な形に体を折り曲げ、ひゅーひゅーと呼吸を繰り返す円戸(えんど)とおうまの間に雪輝(ゆきてる)八喜子(やきこ)を連れて立ちはだかった。いつもと違い表情のない顔は人形のようで不気味さをより一層引き立たせる。
八喜子(やきこ)の目におうまの周りはあたりの暗闇よりも黒く深い闇が見えていた。

「……やだ」

八喜子(やきこ)の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。

「やだ、やだ、いやだ! 帰りましょう! 嫌です! 嫌です! 」

泣きじゃくる八喜子(やきこ)を見ておうまの足がとまる。鷹司(たかつかさ)たちを邪魔そうに振り払い次々に軽々と投げ飛ばすと八喜子(やきこ)の顔をのぞきこむ。地面に叩きつけられる嫌な音が三回した。

「何が? 」

そこにはいつもの笑顔もなければ何もないはずなのに暗闇が周りに見えている。

「嫌です……帰りたい」

どうしてこんなに涙が出るのか八喜子(やきこ)は自分でもよくわからなかった。

「勉強」

八喜子(やきこ)の背中をさする雪輝(ゆきてる)がぽつりと呟き、しばらく沈黙したあと続けた。

「勉強を教えてやってくれる約束だ。俺じゃあんなに根気よくは無理だ。このまま進むなら、それも無理になる」

うながすように八喜子(やきこ)の背中を軽く叩く。八喜子(やきこ)はこくこく頷くと涙をぬぐい言った。

「帰りたいです。勉強教えてください。約束です」

表情のないままのおうまを見ていると悲しくてたまらなかったが理由はよくわからなかった。すーっとおうまの周りの濃い暗闇が消えていき、いつものように笑みを浮べる。

「じゃあ、帰ろうか。疲れただろう」

ほっとした八喜子(やきこ)の目からまた涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。おうまの目が輝いて周りに白い光が見える。
八喜子(やきこ)は口を近づけてくるおうまを押し戻した。

「嫌です」
「えぇ……一口だけでも! 」


『かわいいかわいいかわいいなめたいかわいいかわいいかわいいかわいいたまらないかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい』

「い・や・です」

矢継早(やつぎばや)の声と手があげられる。

「あのー、お引き取りになる前に救急車お願いします。みんなやばいです」

矢継早(やつぎばや)の手がばたりと地面に落ちた。



 数日後。陽光のさしこむ病室の窓を矢継早(やつぎばや)は開けた。気持ちのいい風が入ってくる。

「いやー、梅雨も明けて暑くなってきましたね。これからとろけるような暑さが続くんですよね」
矢継早(やつぎばや)
「なんですか? 尿瓶ですか? ナースコール押しましょうか? 」

振り返った矢継早(やつぎばや)はベッドに拘束着やらで固定されている鷹司(たかつかさ)へ目を向ける。鷹司(たかつかさ)の隣のベッドでは円戸(えんど)が豪快に寝ていた。

「来客だ」

ドアのところを見ると困ったような顔をした八喜子(やきこ)雪輝(ゆきてる)が立っていた。


 雪輝(ゆきてる)八喜子(やきこ)は応接用の椅子に腰かけ矢継早(やつぎばや)から紙コップを受け取った。口を開いたのは雪輝(ゆきてる)からだった。

「先生、そんなに大怪我なんですか? 」
「1回目であばらと鎖骨にヒビが入って2回目で完全にいきましたねー。私も。ほか、擦り傷多数」

矢継早(やつぎばや)も紙コップを持って椅子に座りギブスをつけた左足をつきだす。

「それなのに動くからああなりました。何もしないと病院抜け出しちゃうんで」

ベッドから落ちかけた円戸(えんど)が目覚め八喜子(やきこ)を見ると大声を出した。

「女子校生! 」
「命の恩人ですよ、気持ち悪いんで黙っててください。あれらは気にしないでください、本当に。いらんことしいの大大大大大馬鹿野郎のせいでこっちも大怪我なんですからね。大大大大大大馬鹿野郎のせいで提出書類も12ダース! 1ダースいくつかわかります? 」

矢継早(やつぎばや)八喜子(やきこ)に向かって深々と頭をさげた。

「遅くなりましたがありがとうございました。おかげで命拾いしました。いやー、もう」

矢継早(やつぎばや)は紙コップの中のお茶をぐいと飲み干して続ける。

「あなたが壊滅的におバカなおかげで霞末(かすえ)のゴリラと家庭教師契約を結んでたから、おさまったんですよね! 本当によかったです! どうかこれからもおバカでいてください! むしろおバカのままでお願いします! 恥ずかしいことじゃなくて誇るべきですよ! 」

顔を赤くしてうつむく八喜子(やきこ)の代わりに雪輝(ゆきてる)が疑問を口にする。

「ゴリラの人の手がくっついたんですか」
「救急車呼んでもらえましたからね。ゴリラなんで、すんごい丈夫なんです。そういうもんなんです」
「エンドだ! ゴリラじゃない! 女子校生! 言いたいことがある」

円戸(えんど)に呼ばれ八喜子(やきこ)は彼に視線を向ける。

「あんだけ力が強いとすんげぇ激しく×××を突かれるんだろうなぁ……そのちっこい体でどうやってんの? 」

円戸(えんど)の周りには濃いピンク色に包まれた激しく営みをする八喜子(やきこ)とおうまの妄想が見えている。
八喜子(やきこ)は小さく叫んで真っ赤になり両手で顔をおおった。

「うちのゴリラは無視してください、無視で。さあさあ、我々のことはいいので勉強を教わりにいって霞末(かすえ)のゴリラを森から出さないでください」
金扇(かねおうぎ)妹」

鷹司(たかつかさ)に呼ばれ八喜子(やきこ)は顔をあげた。

「そういう勉強は教わるなよ」

鷹司(たかつかさ)の周りには熱をおびた目で扇情的に誘う八喜子(やきこ)の妄想が見えていた。
八喜子(やきこ)は顔を赤くして叫んだ。

「そういう勉強はしません! 」



 さらに数日後もいい天気だった。夏を感じさせる蒸すような暑さが続いていたが、おうまの屋敷は冷房もないのに窓を開けていれば風が通り抜けて涼しい。
森があるせいだろうかと思いながら八喜子(やきこ)は大広間の開け放たれた窓を見ていた。

「きいてる? 」
「……」

おうまに問われ八喜子(やきこ)は無言で首を横に振った。
彼はいつものように楽しそうに笑い八喜子(やきこ)の横に座っている。周りには何の色もみえない。これまたいつもの通りに。

「俺は不出来な生徒を諌めているつもりなんだけど? 」

おうまはにこにこと嬉しそうに笑っている八喜子(やきこ)を不思議そうにながめた。
八喜子(やきこ)はにっこりと笑って言う。

「好きです」
「は! ? 」
「おうまさんに教えてもらうの」

お茶を飲みながら物語のように話をきき、るる子のように呪文は書かされないし淫らな妄想もされないし休憩には食べたことがない食べることもなさそうなおいしいお菓子が食べられるしで八喜子(やきこ)にとって幸せな時間だった。

「ああ、そう。そういう意味か……っ! 」

おうまの顔が赤くなり八喜子(やきこ)の目には周りにピンク色の光が見えた。

「ここで終わり! 八喜子(やきこ)ちゃん、しばらく来ないで! 」
「え? 」


『いい匂いだ。血の匂い。ああ、たまらない』


八喜子(やきこ)は顔を赤くしたが、おうまの方がもっと顔が赤かった。瞳も潤んでいる。

「でも、もうすぐテストが……」
「無理! この間、君だって嫌だって言っただろう? 俺も嫌な時は嫌だ! 」

おうまは逃げるように窓から外へと出て行く。自分の体をうらめしく思いながら八喜子(やきこ)はがっくりと肩を落とした。
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