第7話 きらめきロンリネス
文字数 15,821文字
R市。ドーナツショップ。
九重 朱珠 が手を合わせる。
「それじゃ、いただきまーす」
それにならって声を出し金扇 八喜子 と大上 るる子もトレイの上のドーナッツをほおばりだす。
「てか、彼氏じゃなかったんだ」
朱珠 がつまらなそうに八喜子 へ向かって言う。
「違うよ、全然違う」
八喜子 は今日になってもう何度もした否定を繰り返した。朱珠 はカフェオレを口にして続ける。
「今日は掃除のバイトは? 」
「しばらくお休み」
「赤点で追試あるもんね! 」
明るく笑う朱珠 の横でるる子はドーナッツを弄んでいる。
『ドーナッツには穴が……』
「るる子ちゃん! 食べないの? 」
八喜子 は慌てて、るる子へ話しかけた。
そもそも放課後にこのドーナッツ屋へ立ちよることになったのは、るる子が原因でもある。
1時間ほど前。高校の教室でるる子は残念そうに八喜子 にきき返した。
「あの人と付き合ってるわけじゃなかったの? 」
「うん」
「そうなんだ……じゃあ、どういう関係? 」
「どういうって……」
八喜子 はかつて母と見たドラマの一場面を思い出した。
「旦那様」
あいにくと八喜子 の語彙の中に雇用主、雇い主、といった言葉はまだなかったからだ。八喜子 がその言葉を口にした瞬間にるる子の周りに濃いショッキングピンク色に包まれた妄想が広がったのが八喜子 の目に見えた。
『この夏はこれでいけるっ! 』
「どの夏! ? 」
「ドーナッツ? 食べに行くならあたしも行く! 」
八喜子 は思わず口に出してしまったが朱珠 によってごまかされたことに心の底からほっとしたのだった。
るる子はぱくりとドーナッツを頬ばるとまだ笑っている朱珠 へ向かって言った。
「あなたも追試だけどね」
「そういう言い方するから友達いないんじゃん」
「あなたもね」
九重朱珠 には敵が多い。家は魚屋を営み、きっぷのよい両親譲りのものおじのしなさせで初めは友人ができそうになるが裏表のない物言いに距離をおかれがちだ。八喜子 にとってはよき友人である。
妄想をしていない時のるる子も。
『旦那様、と妖艶な笑みをうかべて少女はー』
八喜子 の目はるる子の周りに見えるショッキンピンク色でちかちかとしていた。
「る、るる子ちゃん、るる子ちゃんはアルバイトしないの? 」
「興味はあるけど親が禁止してる」
「そうなんだ」
「彼氏みたいだったんだけどな」
「あれは彼氏でしょう? 普通、学校まで迎えに来る? てか」
「「鷹司 先生どうしてるんだろう? 」」
るる子と朱珠 の声がそろう。鷹司 は、おうまの乗ってきた車を追い払った一件から生徒たちの間ではちょっとした注目の的となっていた。
「元気だったよ」
「八喜子 ちゃん、なんで知ってるの? 」
朱珠 の目が好奇心で輝き、るる子の周りではまた濃いショッピングピンク色で輝いていた。
楽しいはずの夏休みは追試のせいで気が重いものとなっていた。終業式まであと少し。すっかり夏、といった天気の日。
八喜子 は掃除のアルバイトのためにおうまの屋敷を訪れていた。
大広間へ入ると、おうまがぐったりとした様子でソファに座りこんでいる。
「大丈夫ですか? 」
「……ああ、うん。なんだろうね、疲れる」
「夏バテじゃないですか」
窓は開いていて涼しい風が吹きこんでくる。おうまはこたえず目をとじていた。
寝たのかな? またがちゃがちゃ騒がしいって言うから、掃除どうしよう。
八喜子 はなるべく音を立てないように掃除をはじめた。
『ーーーーーーーいーー』
声がきこえた気がして八喜子 はおうまを振り返ったが先ほどと同じように目を閉じたままだ。
『ーーたーーーーー』
「? おうまさん、大丈夫ですか? 」
八喜子 はおうまへと歩みよった。
『ーーーーーたーーー』
近づくたびに声のようなものが大きくなるがはっきりしない。
もう一度、八喜子 がおうまに声をかけようと口を開いた時に八喜子 の視界から厚みが消えた。
頭がぼんやりとして頰が熱くなる。自分の体がふわふわとしていて、どうやって動いているのかわからない。八喜子 はおうまの口に吸いつこうと少し唇を開いて顔を近づけた。頭の中に大きく声のようなものが響いている。
食べたい、と。
顔に熱い息がかかり、おうまは目を開けた。八喜子 を受け入れようと彼女の顎へ、そっと手をそえたが一瞬動きをとめると反対の手で八喜子 の額を軽く叩く。
途端に八喜子 の視界に厚みがもどった。同時に自分が何をしていたか恥ずかしさと混乱で顔を赤くし口をおさえて後ずさる。
「ごめんなさい」
「いいよ。もう一回、ちゃんとしよう」
おうまが優しく八喜子 の手をつかんで引き寄せようとすると八喜子 はぎゃあ、と悲鳴をあげた。
「しません! 」
「えぇ……据え膳我慢したのに」
「……スエゼーってなんですか? 」
『この子、やばいな』
「どうせバカですよ! 」
むくれる八喜子 を、おうまはいつものように、くすくす笑いながら見ている。
周りにはピンク色の光が見えていた。
「ーつまり、強い思いが見えすぎると君は、それに飲まれる。操られる、と言った方がいいかな」
八喜子 の隣に座りながら、おうまは続けた。
「この前の夜のことは雪輝 君からきいた? 」
「ずっと変な言葉を繰り返してて変だったって言ってました」
「そうだね。あれは彼ら余元 、今は特課 か。特課 の彼らが強い思いを持っていて君はそれに操られていたからなんだよ」
「どうして早く教えてくれなかったんですか? 」
あの晩、ほかのアルバイトをしないように、おうまからきつく説教されただけだったことを思い返しながら八喜子 は抗議した。
「君たちが危ないことをするからだろう! そんなにお金に困ってないでしょ? 」
「だってー」
「だってじゃない。学校だってまだ早いって言ってただろう? 若い個体ほど思いは強い。歳をとれば自分の心と折り合いをつけることを覚えて君を操るほど強い思いをもてないものさ。疲れるからね」
「だって……」
「だってじゃないよ」
八喜子 はおうまの目をまっすぐ見る。
「だって、おうまさんが雪輝 のバイト探しを邪魔するからじゃないですか。お金っていくらあってもいいもので、いくらでもあればもっといいです」
ぷいとそっぽを向いた八喜子 の後ろから、おうまの気まずそうな声がかけられる。
「……悪かったよ。ごめん。もうやめるから」
「よかっです」
八喜子 はおうまの目を見てにこりと笑った。ふと思いあたり八喜子 は慌てて立ち上ると、おうまから離れ、ほうきを構える。
「じゃあ! じゃあ! さっきの食べたいってなんですか! ? 」
「それは……」
おうまは言葉につまり困ったような顔をしている。陶器のような肌はいつもより血色が悪く話すのもどこかつらそうだ。
「おうまさん、もしかして」
おうまは天を仰ぎ見て目を閉じた。
「そんなにお腹すいてるんですか? 夏バテには梅干しがいいんですよ」
思わぬ答えにおうまは吹き出した。八喜子 は続ける。
「雪輝 もお腹すかせてるとすごいんです! 」
八喜子 は目をきらきらと輝かせたあとに、ふぅとため息をつく。
「今は前ほど食べてくれないですけど」
「そうだね。もう時間だ。またね」
ひとしきり笑った後のおうまが言うと同時に大広間の扉が仙南 によってノックされた。
「お大事に。さようなら」
八喜子 を送り届けた仙南 が戻っても、まだおうまは大広間のソファにぐったりと座りこんでいた。きっちりとしたスーツ姿の仙南 はおうまの側に姿勢正しく立つ。
「お食事はどうされますか」
「あー……いいや」
「どうなさったのでしょうか。皆さま、アヤマ様と同じようになられている方が多いそうです」
「なんだろうね」
「アガマ様が心配されてました」
「そう……」
「さとりの娘がいるのですから食べてしまえばいいのではないでしょうか」
「そういうつもりで来てもらってるわけじゃないから。もう言わないでね」
おうまはいつもよりは生気のない笑みを浮かべる。仙南 は表情をくずさないまま深々と頭を下げた。
「出すぎたことを申し訳ありません」
「いや、いいよ。いつもよくやってくれてるし。……やっぱり食べよう。頼むよ」
「かしこまりました」
「梅干しがいいんだってさ。よろしく」
「はい」
少し嬉しそうに表情をゆるませ仙南 は退出した。
もうすぐ夏休み、ということで楽しそうな色にあふれた高校の教室で八喜子 は頭を抱えていた。容赦なくるる子が続ける。
「はい、どうぞ、ともらう時いらなかったら? 」
「いりません」
「ご遠慮します。はい、言ってみて」
「……ご遠慮します」
『……いいっ! この夏はこれでっ! 』
八喜子 に言わせるたびにるる子の周りにショッキングピンク色の光と妄想が見えた。八喜子 の語彙力改善ノート、とるる子が作成してきた課題を2人はこなしている。
「八喜子 ちゃんって髪型変だよね」
見ていたが飽きた朱珠 が割って入る。
「もっとこうちゃんとしたら? 前髪のびたのピンで横にとめてるだけだし。前みたいにお化けよりはいいけど」
「おでこが出てるのもいいじゃない。よく見えるし」
『そっと手の平で目を閉じられ少女は視界を奪われながらっていうシチュエーションが成り立たないじゃない』
「……トイレ行きたい」
八喜子 はちかちかする目をおさえながら言った。
トイレで手を洗う八喜子 の背後からとげとげしい声がぶつけられる。
「彼氏イケメンだからって見せびらかしてんの? うざーい」
八喜子 が振り返ると同じクラスメイトだが名前を覚えていない女生徒が声と同じくとげとげしい視線を投げかけてくる。
「いいじゃん。八喜子 ちゃん、美少女なんだし。ひがみブスより全然まし! 」
朱珠 が言い返すと田子睦 も負けずに言い返す。
「貧乳は黙ってて! 」
「はぁ! ? あたしはモデル体型なんですぅ! お前は腹ひっこめろ! 」
「ただのデカ女でしょ! 」
真っ赤な光を周りに飛び散らせながら言い争う2人に八喜子 は首をかしげた。
「みんな言うけどイケメン、なのかな」
「はぁ? 自慢? 」
睦 が吐き捨てる。
「だってイケメンって雪輝 みたいなこと言うんでしょ? 違うと思う」
だよねー、と朱珠 がにまにまと笑う。すかさず睦 が言い返した。
「あいつチビじゃん! 」
「はあぁぁ! ? 」
朱珠 の声がひときわ大きくなる。
「チビじゃないし! 」
「デカ女よりちっちゃいじゃん! 」
2人の声がさらに大きくなる。とめなくては、と八喜子 は駆けよった。
「るる子ちゃん、るる子ちゃん! 大丈夫! ? 」
『きつく罵られ少女はっ! ああ、お兄様、と吐息のとともにっ! 』
るる子の入った個室のドアからはショッキングピンク色があふれんばかりに輝いている。朱珠 と睦 の言い争いは激しさを増しながら続いていた。
個室から出てきたるる子が鼻血を出していたため一旦場はおさまり4人は廊下へ出た。
「好みは色々だから、ほかの人を否定するのはよくないと思う」
鼻をティッシュでおさえながら、るる子が睦 をたしなめる。
「チビはチビじゃん! 」
「はぁっ! ? 」
朱珠 がまた大声をあげるのを、るる子がなだめるが効果は薄い。
窓の外へ目を向けた八喜子 は小さく嬉しそうな声をあげると睨み合う朱珠 と睦 の横をすり抜け窓を開け身をのり出す。
3人もそれに続くと校庭でクラスメイトたちが野球をしているのが見えた。
ピッチャーは良 、バッターは雪輝 だ。
2人とも真剣な面持ちで構えている。八喜子 の目には雪輝 の周りに黄色い光とはっきりとした強い思いが浮かんで見えた。
『色即是空栄枯盛衰諸行無常沙羅双樹! 』
良 が振りかぶって投げる。雪輝 のスイングが投球をとらえ小気味の良い音と歓声があがった。良 が悔しそうに地団駄を踏む。打球はぐんぐんと空に吸いこまれていきフェンスを越えた。
「雪輝 ー! 」
八喜子 が叫んで手を振ると雪輝 が手を振り返しながら、ゆっくりとホームへと戻っていく。八喜子 の目には雪輝 の周りにきらきらと濃い黄色が散っているのが見えていた。
「ね! ね!雪輝 かっこいいでしょ! 」
八喜子 はとびあがって、はしゃぎながら朱珠 と睦 へと笑顔を向ける。
「そうかもね」
「小さいけどやるじゃん」
朱珠 と睦 はすましてこたえたが八喜子 の目には2人の周りにピンク色が見えた。頷くるる子の周りにはショッキングピンク色が見えている。
同時刻。おうまの屋敷には来客が来ていた。大広間の応接用のソファにおうまと向かい合って座っている。黒いきっちりとした服装の陶器のような肌の男だ。仙南 が退出し扉が閉じられると男が口を開いた。
「具合はどうだ? 」
「……疲れてる」
おうまはぐったりとソファに腰掛けたままこたえる。
男は表情のない目でしばらくおうまを見ていたが、やおら立ち上がると優雅な動きでおうまの口の中へ自分の右手を押しこんだ。おうまの抗議の声はうめき声にしかならず抵抗は彼よりはるかに強い力でむなしく抑えられる。
「食べろ。わけてやる」
おうまはぶんぶんと首を横に振った。
男は嘲笑するかのように目を細め、尚もおうまの口の中へ手を押しこんでいく。おうまは苦しそうな声をあげ耐えた。唾液が口の端からつうっとこぼれ落ちる。
しばらくそうしていた男はまた優雅な動きで自分の手を引き抜き、唾液にまみれたその手をゆっくりとなめた。
「ねえ、兄さん。汚いと思わないの? 」
「いらん知恵だ……よくわからない」
口の端をぬぐいながら問いかけるおうまに男はやはり表情がないままこたえると今度おうまのは口にかぶりつくようにして吸いついた。今度もおうまの抵抗はむなしく押さえこまれる。舌をからめられ吸いつかれ、ようやく解放された時におうまは大きく息をついた。
「男同士で気持ち悪い……」
「いらん知恵だ。やはり、よくわからない。……さとりの娘がいたな」
「兄さんも食べろって言うの? 」
「まさか」
おうまは感心するような声をあげたが彼の期待はすぐに打ち消された。
「女なら股の泉からいくらでも飲めばいい。食うのは愚か者のすることだ」
「ああ……もうっ! 」
おうまは顔を赤くして両手でおおう。
「考えないようにしてるのにっ! なんでそうはっきり言うかなぁ……」
「それもいらん知恵だな。調べる」
男は養生しろ、との言葉を残して扉へと向かって歩きだす。
男が扉を開けると仙南 がいた。帰ることを伝えた男に「はい、アガマ様」と仙南 は姿勢を正した。
同じ頃。R高校の廊下に男の叫び声が轟いた。八喜子 たちが声のもとへ目をむけると両手を突き上げて若い男が叫んでいる。
「女! ・子! ・校! ・せぇ……っ! 」
男の最後の言葉は走ってきた美術教師の鷹司 によるラリアットでかき消された。
「不審者だから気にしないように」
ざわざわとしている生徒たちにそう言いながら鷹司 は足の先で円戸 を転がしていった。
美術準備室へと鷹司 に連行された円戸 はぶーぶー不満を言いながら紙コップのコーヒーを飲んだ。
「タカ兄、ひどくない? 」
「ひどいってのはお前のことか? 」
とんとんとドアがノックされ金扇です、との声がする。鷹司 が入れ、と声をかけると八喜子 が入ってきた。円戸 の姿を見てびくりと体を震わせる。
「女子校っ……っ! ! ! 」
円戸 は鷹司 に熱いコーヒーをかけられ床を転げ回った。
「金扇 妹、何だ? 」
「先生、よくなったんですね! よかったです! 」
八喜子 は輝かんばかりの笑顔で鷹司 に両手を差し出した。
「バイト代ください! 」
鷹司 はため息をつきながら新しいスーツの内ポケットから財布を取り出した。
円戸 が床でひどい、としくしく嘆いている。
夜。自分たちの家で八喜子 とつくった夕飯を食べながら雪輝 は今日のことを話していた。
「八喜子 の方はどうだった? 何かあったか? 」
「先生からバイト代をもらえたくらいで何も……あっ! 」
「どうした? 」
「今日じゃないけど最近ひどい人がいる! オキ様の周りにね、ゴミがすごくて」
「オキ様ってあの祠か」
オキ様とは町外れの古い木の根本にある小さな祠で2人の母親が毎日お参りしていた。オキ様とは母がそう呼んでいたので2人もそれにならっている。
ほかに誰かが来ることもないので今は八喜子 が代わりにお供えをかかさぬようにしていた。
「ペットボトルの空が何本もあるんだよ! 」
「あんなとこで飲むか? 誰も通らないだろう? 」
「でもあるんだよ」
「明日から俺も一緒に行く」
「雪輝 も走るの? また野球するの? 」
「草野球だけどな」
八喜子 は嬉しそうに笑った。
雪輝 が不思議そうに言う。
「先生、ずいぶん早く治ったんだな」
「そうなの? 」
「骨折だろ? 早くても夏休みが終わるくらいまでかかるんじゃないか」
「そうなんだ。まだちゃんと治ってないのかな」
「きいた話じゃ治ってそうだけどな。不審者倒したんだろう? 」
「うん。先生ってすごいね」
翌日。終業式も無事終わり明日から夏休みだという開放感のある日もいい天気だった。追試のことはひとまず忘れることにしたはずなのに八喜子 は九重 魚屋で絶望した。
「今日はタイムセールがないんですか! ? 」
「ごめんね、八喜子 ちゃん。タイムセールどころか営業もできない感じだよ」
朱珠 の母がすまなそうにうなだれる。
「なんだか検疫とかで魚が入ってくるのにえらい時間がかかるもんだから、うちの人が怒っちゃって。鮮度が命なのにそんなもんいらんっ! って」
朱珠 の母は声をひそめる。
「ここだけの話だけど肉屋も八百屋も全部そう。営業しないのはうちくらいだけどさ」
朱珠 の母は娘と同じように豪快に笑う。
「そうなんですか……大変ですね」
「ごめんね、またね」
八喜子 はぺこりと頭を下げ家路につくことにした。おうまの具合も悪いままのようで今日は何の予定もない。
郷土博物館の特別展が無料、という話をるる子からきいたことを思い出し涼をとるためにも八喜子 はそこへ向かった。
【 きつねのおはなし 】
むかし、むかし。あるところにいっぴきのきつねがいました。
きつねはひとのことがしりたくてたまりません。
あるとき、きつねはひとのむらへいきました。
なんだ、おまえ。そのみみは。
きつねはあわててみみをかくしました。
なんだ、おまえ。しっぽがある。
きつねはあわててしっぽをかくしました。
なんだ、おまえ。へんなやつだな。
きつねはむらにはいれませんでした。
きょうだいとやまでくらします。
こんこんきつねがないている。
みみもしっぽもないきつね。
夕方になり草野球を終えてきた雪輝 に夕飯を出しながら八喜子 は博物館で見たきつねのはなしをした。
「かわいそう……ちょっと人と違うくらいで」
「……八喜子 」
雪輝 はにっこりと笑う。
「追試の勉強はしたのか? 」
「これからします! 」
雪輝 の周りには怒りの赤い光がちらついていた。
翌日も晴れ。雪輝 を草野球へ送り出した八喜子 は時間をもてあましていた。
オキ様をゴミ捨て場代わりにしている人間はもしかしたら今頃来ているのかもしれない。そう思った八喜子 はオキ様のところへ向かうことにした。
八喜子 が思った通りオキ様の周りには朝に片づけたはずのペットボトルのからがまた散らばっている。もう! と怒りながら片づけ始めた八喜子 は誰かによばれた気がして振り向いた。
そこから八喜子 の意識と消息は途絶えることとなった。
久しぶりに暑さのゆるんだ日の夜。公園でベンチに座りながら鷹司 と円戸 は缶コーヒーを飲んでいた。街灯に虫が群がっている。
「タカ兄。疲れた」
「そうだな」
「さとりに見てもらっちゃダメなの? 」
「お前が書類を144枚書くなら頼もう……! 」
遠くにふらふらと歩く人影を見つけ鷹司 と円戸 の目つきが鋭くなる。
「……人だな。学生服のせいで上が白い」
「なんだ」
円戸 は露骨にがっかりし缶コーヒーを飲み干した。ふらりと人影が倒れこむ。
「めんどくせぇ」
円戸 は立ち上がると人影に向かって歩きだし鷹司 も後に続く。人影の顔が見えると鷹司 が驚きの声をあげた。
「金なし金扇 。どうした? 」
「……先生。八喜子 がいない。俺のせいだ……」
鷹司 はやつれて目の下に色濃くクマをつくった雪輝 の肩を励ますように叩くと円戸 に命令した。
「運べ」
「えぇー! ? なんかくさいしやだ! 」
「うるせぇ」
鷹司 と円戸 は明かりのない金扇 家へ雪輝 を連れてきた。ひとしきり事情を話した雪輝 は力なくダイニングのイスにもたれかかっている。
鷹司 はぼりぼりと頭をかいた。
「それっきりいなくなったってことか」
「警察にも行った。いろんな奴にもきいた。だけど誰も知らない」
「この暑さであちこち探し回ってよく死ななかったな」
「くせぇから風呂入れよ」
円戸 が鼻をつまみ、えずいてみせる。
「金扇 、俺のせいってのはどういうことだ? 」
「朝に……追試の勉強しろって怒ったんだ。博物館行ったりするから……母さんの時も」
雪輝 はほとんど叫ぶようにして続けた。
「母さんの時も! 喧嘩してそれっきりだった! だから、だからもうしないようにって決めたのに……っ」
声をあげて泣き出した雪輝 を鷹司 は静かに見守った。円戸 は眠そうにあくびをしている。雪輝 の泣き声がすすり泣きにかわると鷹司 は口を開いた。
「仕方ない。次の日に突然いなくなるなんて、特に若けりゃ考えるはずがない」
なぐさめるわけでもなくただ静かに言うと鷹司 は立ち上がった。
「見つけるぞ」
顔をあげた雪輝 に奥の部屋を親指で指差す。
「その前に風呂だ。ついでに寝ろ」
鷹司 が事情を説明すると電話の向こうの矢継早 が矢継早 に言った。
[ はぁ! ? 行方不明って警察の仕事でしょ? まあ、わたしたちも警察みたいなものですけど。ていうかあれじゃないですか? やっぱりあれしかないんじゃないですか? ]
矢継早 の声がひときわ大きくなる。
[ 携帯のGPS! ]
「家に忘れてる」
[ はぁっ! ? 現代っ子ですよね? いつでもどこでもスマホ時代の今にのろしでも使ってんですか? 貧乏すぎません? 国は何してんですかね、本当。雪輝 君はどうしてるんですか? ]
「今は寝てる。すぐ起きるだろうが」
[ どうしてわかるんですか? ]
「お前がきくか? そういうもんだったろう? 」
電話の向こうで矢継早 がどこか自嘲気味に小さく笑う。
[ そうですね。……生きてますかね? ]
「さあな。どっちでも見つける」
[ できることはこっちでやってみます。では、また! ]
電話が切れると鷹司 は寝ている円戸 を蹴り起こした。
「ひとっ走りあちこち探して来い」
「へーい。死体? 生きてる方? どっちの探し方? 」
鷹司 は声をひそめた。
「死体の方だ」
数日たっても依然として八喜子 の行方はわからなかった。
『ーーーーーーーーーでー』
『ーーなーーーーーーーー』
『ーーーーーーいーーーー』
誰かの声がきこえた気がして八喜子 は目を開けた。暗くて何も見えない。体が火照り、ふわふわとしてくすぐったいような感覚が全身を甘く痺れさせる。口の中いっぱいを何かがぬるぬるとまさぐっている。声を出そうにも熱を帯びた吐息としかならない。
『ーーーいーーーーー』
声が大きくなった気がした。途端に誰かが八喜子 の腕をつかみ、のぼるように視界へと顔を突き出す。肩のあたりで髪を切りそろえた白い顔の同じくらいの年頃の少女がぐいと八喜子 のを目を覗きこむ。その少女の瞳は黒く内側から黒い棘が無数に突き出していた。ぼっかりと開けた口の中も暗闇でその奥からぎいぎいと木をこすりあわせる音がけたたましく響いてくる。
ああ、笑っているんだ、と八喜子 はぼんやりする頭で思った。
少女の棘が八喜子 の顔をちくちくとなでていく。暗闇の中にはぎいぎいという音が響き続けていた。
憔悴しきった雪輝 の顔を見ると朱珠 は言葉につまった。様子をみてこい、と父母にいいつかって彼の家に着くまでは何を言おうか散々考えてきたはずなのに。
おばさんが亡くなった時よりひどい。
あたりまえか。あたしバカじゃない?
……バカだ。
何を言うべきか黙りこんでしまった朱珠 に円戸 がめざとく声をかける。
「差し入れ? ちょうだい! 」
「あんたにじゃない! てか、なんで鷹司 先生がいるの? 」
「探す手伝いができるかと思ってな」
「あたしもきいてみるから! 商店街の人たちとかお客さんとかに! 」
「案外、お前になら話すこともあるかもな。頼む」
「おうよ!雪輝 ! 」
言わなくては。自信も根拠も何もない。だけど、言わなくてはいけない。
だから、言うんだ。
「絶対に見つかるよ! 」
朱珠 に雪輝 は力なく頷く。朱珠 は泣きそうになるのをぐっとこらえ別れを告げた。外へ出ると走りだす。
怖かった。友達がいなくなるかもしれないのが。
怖かった。変わってしまうのが。
恐怖を振り払うかのように朱珠 は走り続けた。
朱珠 を見送った鷹司 は続く来客に顔をしかめた。きっちりとしたスーツ姿の表情のない男、仙南 《せんなん》の姿を見て。
おうまは自分の屋敷でぐったりと寝こんでいた。寝こんだまま仙南 からの報告を受けて訊き返す。
「携帯は? 」
「自宅に忘れています」
「GPS、あるでしょ? 」
「ですから自宅に忘れています」
「だから、GPS……」
おうまは口を開くのもやっとだった。
仙南 はじっと次の言葉を待っている。
「設定から一番行ってる場所見れるから……もしかしたらそこで何かわかる」
「かしこまりました」
仙南 は八喜子 に持たせていた携帯を操作しだした。
「……アヤマ様、わかりました。タタリギのところです」
町外れの人気のない雑木林の中に古い大木がある。根元に小さな祠のあるその木の前に仙南 の肩を借り、おうまは立っていた。
「ここですね。私には開けられません」
「……タタリギ、俺のこと覚えてるかな? 」
「忘れるはずはないかと思います」
「悪いんだけどね」
おうまは仙南 の肩を借りながら大木へ手をつくとめきめきと音をたてながら皮を裂いていく。木の中に八喜子 の姿が見えると仙南 も手伝い2人で皮を剥がしていった。八喜子 が通れるくらいの穴をあけると、おうまは彼女を腕の下から抱き上げ引っ張り出す。これがいけなかった。
おうまはぐらぐらとめまいを起こして八喜子 を抱えたまま地面へ座りこんだ。
ぼんやりとしていた八喜子 の目の焦点が合い何度かゆっくりと瞬いた後、驚きの声をあげる。おうまは突き放すように八喜子 を遠ざけ顔をそむけた。
「え? なんで? これなんですか? 」
「待って! 待って! ちょっと待って! 落ち着くから! 」
『かきかたきかわらわまらわいわいらわいいれいなれいかるかいたかわらわたくわいれいいいい』
おうまは顔を赤くして熱を帯びた目を伏せ荒くなる息を整えようとしていた。八喜子 の目には彼の周りに白い光が見えている。苦しそうなその様子が八喜子 には何だかかわいいようにも見えた。
「おうまさん、いいですよ」
「は! ? 」
八喜子 は右手の甲をおうまへ見せた。すっと一筋の傷が入り血が滲んでいる。
「さっき切っちゃったので」
「ああ、そっち」
「? 違うんですか? 」
少し落胆したようなおうまに八喜子 がきき返すとおうまは勢いよく首を横にふる。突然、彼に強く抱きしめられ八喜子 は小さな悲鳴をあげた。
「ありがとう! 」
「そういうのいいですから! 私、今絶対にくさいし! 」
「そんなことないよ」
おうまは押し戻そうとする八喜子 の右手を優しく掴むとゆっくりと傷口に舌をはわせていく。
『かわいいかわいいかわいいおいしいかわいいかわいいかわいいたまらないかわいいわかいいかわいいかわいい』
熱い息がかかる。ざらりと生温かい舌の感触。愛おしげに傷口に口づけをされる。目がくらむような白い光。すべてが八喜子 をぞくぞくとさせた。白い光。母と同じ、母以外にももう1人と同じー
「雪輝 のご飯! 」
突然、叫ぶと八喜子 はおうまから自分の手を引き離した。
「おうまさん、今何時ですか? ご飯つくらなきゃ」
「それは何日のってことも? 」
「何日の? 」
おうまから日付をきき八喜子 はぽかんとした。
「……え? 」
ようやく出た言葉はそれだけだった。
「じゃあ、帰ろうか」
八喜子 は抱きしめようとしてくるおうまを手で制する。
「えぇ……もうちょっと余韻とか大事にしたい」
「ご遠慮します」
八喜子 はきっぱりと言い放った。
笑ったような声がきこえた気がして振り向くといつものように表情のない仙南 がいる。八喜子 は顔を赤くした。
夜。二つ並んだ病室のベッドにそれぞれ寝転びながら雪輝 と八喜子 はひそひそと話をしていた。明かりを落とした室内の壁際にイスに座った鷹司 が壁に体を預けて眠っているのが見える。
あの後、おうまたちによって送り届けられた八喜子 を見て雪輝 は号泣し2人で抱き合って泣いた。不思議パワーで助かってよかったです、と車のシートを汚さないかと心配する八喜子 を笑いとばしながら矢継早 がこの病院へ連れてきてくれたのだ。検査のあと念のために一晩泊まることになった。
「ーそれでね、おうまさんが助けてくれたんだって」
「そうか。よかった」
『もしー』
「ごめんね、心配かけて」
『どちらか片方が死ぬなら』
「本当によかった」
『俺が死のう。無理なら一緒に』
「……そういうの好きじゃない」
「? 」
「死ぬ時ってどうなるかわからないけど、すごく痛くて怖いのかもしれないし、そんなことないとかも、でもそういうの好きじゃない」
雪輝 は静かに八喜子 を見返す。
「それじゃ悲しかったことしか残らない。楽しかったことあるでしょ? いっぱい」
雪輝 は頷く。
「急には無理だけど楽しかったことを覚えててほしい。お母さんもそうしてほしいと思うよ」
「……そうだな。先生にはずいぶん世話になった。ほかの人たちにも」
「うん。みんなー」
八喜子 の脳裏にあの時のことが浮かんだ。
『化物だから死ね』
赤黒い炎のようにゆらめく光を皆が身にまとっている。
ーーーきつねはむらにーーー
ーーーこんこんきつねがないているーーー
ーーーみみもしっぽもないきつねーーー
ぼろぼろと泣き出した八喜子 を見て雪輝 が体を起こす。悲しいのか怖いのかなぜ涙が出るのか八喜子 はまだよくわからなかった。
翌日。家に帰った雪輝 と八喜子 を朱珠 が待っていた。
「八喜子 ちゃん、よかった! 」
朱珠 は八喜子 に抱きついた。目には涙が浮かんでいる。
「ごめんね、心配かけちゃって」
「ううん……熱中症で林の中にずっといたってきいたけど」
朱珠 は顔をしかめる。
「ばーちゃんとかさ、神様の嫁になっただとかでジジババが盛り上がっちゃってるよ」
「神様? 」
「なんかそういう昔話あるんだって。あと、これ! 」
「ありがとう! 」
「あー……あたし魚屋の娘だし、売り物にならないの持ってきてあげてもいいかなって思うんだけど。だからちょくちょく来れるかなーって」
「本当!雪輝 ! よかったね! 」
「いや、いい」
「は! ? なんで? 」
「魚は嫌いだ」
「はぁ! ? DNAなめんなっ! 」
「DHAだろ」
一方的に言い争う朱珠 の周りにはピンク色の光が散っているのが八喜子 の目には見えていた。八喜子 はふうとため息をつく。
「雪輝 って女の子の気持ちわからないよね」
「八喜子 も男の気持ちの何がわかるんだよ」
「全然わかんない」
雪輝 はその言葉に安心した。
数日後。窓を開けると気持ちのいい風が吹きこんでくる。今日も晴れだ。
八喜子 は掃除のアルバイトにおうまの屋敷に来ていた。ベッドの中でまだ寝ているおうまへと声をかける。
「おうまさん、いい天気ですよ」
「ああ、そう」
おうまは伸びをして起き上がる。
「具合はどうですか? 」
「いいよ」
おうまは嬉しそうに笑うが周りには何の色も見えない。
「よかったです。ありがとうございました」
「どのこと? 」
「色々全部です。今までもずっと助けてもらってましたから」
「そう。かわいげがあってよろしい」
「……嘘でも嬉しいです」
八喜子 はにこりと笑うと部屋を出ていった。
ー 楽しいことだと思うなら楽しいことを見ましょう ー
ー 悲しいことばかり見てたら何も残らないから ー
掃除をしながら今朝見た母の夢を思い出す。昨日、雪輝 と話したせいだろうか。
何も思われていなくても言葉にしてもらうと嬉しい。変な意地は捨てて、それを受け入れよう。そう思った。
ベッドの上でおうまは苦笑していた。
八喜子 が出ていったことにほっとする。
「急にかわいいなぁ」
彼女がいたら見えていただろう。
白とピンクの光が周りに散っていることを。
とあるオフィスの一室。黒いスーツ姿の部下たちと自室に入った中年の男はぎくり、とした。高級品であつらえた応接用のソファに黒い服装の男が座っている。
「これは、霞末 の色なし様。どうされました」
「……検疫、らしいな」
黒ずくめの男は水の入ったペットボトルをテーブルの上に置く。
「聖水、とでも言うべきものか? それをあらゆる食品に微量だが混入させる」
中年の男は冷や汗をかいた。部下たちが身構える。
「その食品を摂取すれば、人間で言えば少しずつ毒が蓄積されるかのように弱る。そういうことだな」
「なんのことか。異物が混入したのはお気の毒でしたね。それは事故です」
「そうだな、事故だ」
黒ずくめの陶器のような肌をした男は指を鳴らす。
「悪意をもって水を飲まされなければ」
肩を叩かれ中年の男はふりむいた。黒い瞳に内側から無数の棘をはやした和服の少女いる。少女がぽかりと口をあけると口の中の暗闇からはぎいぎいと木をこすりあわせる音がけたたましく響いてくる。
ひっと悲鳴をあげ中年の男は尻餅をついた。立ち上がることができない。
少女の背中からは無数の枝がのび、枝は部下たちを貫き枝先にぶら下げている。
つーっと血が枝を伝い少女の背を赤く染めていく。
断末魔をききつけてドアが開かれたがそこには誰もおらず誰も戻って来なかった。
「それじゃ、いただきまーす」
それにならって声を出し
「てか、彼氏じゃなかったんだ」
「違うよ、全然違う」
「今日は掃除のバイトは? 」
「しばらくお休み」
「赤点で追試あるもんね! 」
明るく笑う
『ドーナッツには穴が……』
「るる子ちゃん! 食べないの? 」
そもそも放課後にこのドーナッツ屋へ立ちよることになったのは、るる子が原因でもある。
1時間ほど前。高校の教室でるる子は残念そうに
「あの人と付き合ってるわけじゃなかったの? 」
「うん」
「そうなんだ……じゃあ、どういう関係? 」
「どういうって……」
「旦那様」
あいにくと
『この夏はこれでいけるっ! 』
「どの夏! ? 」
「ドーナッツ? 食べに行くならあたしも行く! 」
るる子はぱくりとドーナッツを頬ばるとまだ笑っている
「あなたも追試だけどね」
「そういう言い方するから友達いないんじゃん」
「あなたもね」
九重
妄想をしていない時のるる子も。
『旦那様、と妖艶な笑みをうかべて少女はー』
「る、るる子ちゃん、るる子ちゃんはアルバイトしないの? 」
「興味はあるけど親が禁止してる」
「そうなんだ」
「彼氏みたいだったんだけどな」
「あれは彼氏でしょう? 普通、学校まで迎えに来る? てか」
「「
るる子と
「元気だったよ」
「
楽しいはずの夏休みは追試のせいで気が重いものとなっていた。終業式まであと少し。すっかり夏、といった天気の日。
大広間へ入ると、おうまがぐったりとした様子でソファに座りこんでいる。
「大丈夫ですか? 」
「……ああ、うん。なんだろうね、疲れる」
「夏バテじゃないですか」
窓は開いていて涼しい風が吹きこんでくる。おうまはこたえず目をとじていた。
寝たのかな? またがちゃがちゃ騒がしいって言うから、掃除どうしよう。
『ーーーーーーーいーー』
声がきこえた気がして
『ーーたーーーーー』
「? おうまさん、大丈夫ですか? 」
『ーーーーーたーーー』
近づくたびに声のようなものが大きくなるがはっきりしない。
もう一度、
頭がぼんやりとして頰が熱くなる。自分の体がふわふわとしていて、どうやって動いているのかわからない。
食べたい、と。
顔に熱い息がかかり、おうまは目を開けた。
途端に
「ごめんなさい」
「いいよ。もう一回、ちゃんとしよう」
おうまが優しく
「しません! 」
「えぇ……据え膳我慢したのに」
「……スエゼーってなんですか? 」
『この子、やばいな』
「どうせバカですよ! 」
むくれる
周りにはピンク色の光が見えていた。
「ーつまり、強い思いが見えすぎると君は、それに飲まれる。操られる、と言った方がいいかな」
「この前の夜のことは
「ずっと変な言葉を繰り返してて変だったって言ってました」
「そうだね。あれは彼ら
「どうして早く教えてくれなかったんですか? 」
あの晩、ほかのアルバイトをしないように、おうまからきつく説教されただけだったことを思い返しながら
「君たちが危ないことをするからだろう! そんなにお金に困ってないでしょ? 」
「だってー」
「だってじゃない。学校だってまだ早いって言ってただろう? 若い個体ほど思いは強い。歳をとれば自分の心と折り合いをつけることを覚えて君を操るほど強い思いをもてないものさ。疲れるからね」
「だって……」
「だってじゃないよ」
「だって、おうまさんが
ぷいとそっぽを向いた
「……悪かったよ。ごめん。もうやめるから」
「よかっです」
「じゃあ! じゃあ! さっきの食べたいってなんですか! ? 」
「それは……」
おうまは言葉につまり困ったような顔をしている。陶器のような肌はいつもより血色が悪く話すのもどこかつらそうだ。
「おうまさん、もしかして」
おうまは天を仰ぎ見て目を閉じた。
「そんなにお腹すいてるんですか? 夏バテには梅干しがいいんですよ」
思わぬ答えにおうまは吹き出した。
「
「今は前ほど食べてくれないですけど」
「そうだね。もう時間だ。またね」
ひとしきり笑った後のおうまが言うと同時に大広間の扉が
「お大事に。さようなら」
「お食事はどうされますか」
「あー……いいや」
「どうなさったのでしょうか。皆さま、アヤマ様と同じようになられている方が多いそうです」
「なんだろうね」
「アガマ様が心配されてました」
「そう……」
「さとりの娘がいるのですから食べてしまえばいいのではないでしょうか」
「そういうつもりで来てもらってるわけじゃないから。もう言わないでね」
おうまはいつもよりは生気のない笑みを浮かべる。
「出すぎたことを申し訳ありません」
「いや、いいよ。いつもよくやってくれてるし。……やっぱり食べよう。頼むよ」
「かしこまりました」
「梅干しがいいんだってさ。よろしく」
「はい」
少し嬉しそうに表情をゆるませ
もうすぐ夏休み、ということで楽しそうな色にあふれた高校の教室で
「はい、どうぞ、ともらう時いらなかったら? 」
「いりません」
「ご遠慮します。はい、言ってみて」
「……ご遠慮します」
『……いいっ! この夏はこれでっ! 』
「
見ていたが飽きた
「もっとこうちゃんとしたら? 前髪のびたのピンで横にとめてるだけだし。前みたいにお化けよりはいいけど」
「おでこが出てるのもいいじゃない。よく見えるし」
『そっと手の平で目を閉じられ少女は視界を奪われながらっていうシチュエーションが成り立たないじゃない』
「……トイレ行きたい」
トイレで手を洗う
「彼氏イケメンだからって見せびらかしてんの? うざーい」
「いいじゃん。
「貧乳は黙ってて! 」
「はぁ! ? あたしはモデル体型なんですぅ! お前は腹ひっこめろ! 」
「ただのデカ女でしょ! 」
真っ赤な光を周りに飛び散らせながら言い争う2人に
「みんな言うけどイケメン、なのかな」
「はぁ? 自慢? 」
「だってイケメンって
だよねー、と
「あいつチビじゃん! 」
「はあぁぁ! ? 」
「チビじゃないし! 」
「デカ女よりちっちゃいじゃん! 」
2人の声がさらに大きくなる。とめなくては、と
「るる子ちゃん、るる子ちゃん! 大丈夫! ? 」
『きつく罵られ少女はっ! ああ、お兄様、と吐息のとともにっ! 』
るる子の入った個室のドアからはショッキングピンク色があふれんばかりに輝いている。
個室から出てきたるる子が鼻血を出していたため一旦場はおさまり4人は廊下へ出た。
「好みは色々だから、ほかの人を否定するのはよくないと思う」
鼻をティッシュでおさえながら、るる子が
「チビはチビじゃん! 」
「はぁっ! ? 」
窓の外へ目を向けた
3人もそれに続くと校庭でクラスメイトたちが野球をしているのが見えた。
ピッチャーは
2人とも真剣な面持ちで構えている。
『色即是空栄枯盛衰諸行無常沙羅双樹! 』
「
「ね! ね!
「そうかもね」
「小さいけどやるじゃん」
同時刻。おうまの屋敷には来客が来ていた。大広間の応接用のソファにおうまと向かい合って座っている。黒いきっちりとした服装の陶器のような肌の男だ。
「具合はどうだ? 」
「……疲れてる」
おうまはぐったりとソファに腰掛けたままこたえる。
男は表情のない目でしばらくおうまを見ていたが、やおら立ち上がると優雅な動きでおうまの口の中へ自分の右手を押しこんだ。おうまの抗議の声はうめき声にしかならず抵抗は彼よりはるかに強い力でむなしく抑えられる。
「食べろ。わけてやる」
おうまはぶんぶんと首を横に振った。
男は嘲笑するかのように目を細め、尚もおうまの口の中へ手を押しこんでいく。おうまは苦しそうな声をあげ耐えた。唾液が口の端からつうっとこぼれ落ちる。
しばらくそうしていた男はまた優雅な動きで自分の手を引き抜き、唾液にまみれたその手をゆっくりとなめた。
「ねえ、兄さん。汚いと思わないの? 」
「いらん知恵だ……よくわからない」
口の端をぬぐいながら問いかけるおうまに男はやはり表情がないままこたえると今度おうまのは口にかぶりつくようにして吸いついた。今度もおうまの抵抗はむなしく押さえこまれる。舌をからめられ吸いつかれ、ようやく解放された時におうまは大きく息をついた。
「男同士で気持ち悪い……」
「いらん知恵だ。やはり、よくわからない。……さとりの娘がいたな」
「兄さんも食べろって言うの? 」
「まさか」
おうまは感心するような声をあげたが彼の期待はすぐに打ち消された。
「女なら股の泉からいくらでも飲めばいい。食うのは愚か者のすることだ」
「ああ……もうっ! 」
おうまは顔を赤くして両手でおおう。
「考えないようにしてるのにっ! なんでそうはっきり言うかなぁ……」
「それもいらん知恵だな。調べる」
男は養生しろ、との言葉を残して扉へと向かって歩きだす。
男が扉を開けると
同じ頃。R高校の廊下に男の叫び声が轟いた。
「女! ・子! ・校! ・せぇ……っ! 」
男の最後の言葉は走ってきた美術教師の
「不審者だから気にしないように」
ざわざわとしている生徒たちにそう言いながら
美術準備室へと
「タカ兄、ひどくない? 」
「ひどいってのはお前のことか? 」
とんとんとドアがノックされ金扇です、との声がする。
「女子校っ……っ! ! ! 」
「
「先生、よくなったんですね! よかったです! 」
「バイト代ください! 」
夜。自分たちの家で
「
「先生からバイト代をもらえたくらいで何も……あっ! 」
「どうした? 」
「今日じゃないけど最近ひどい人がいる! オキ様の周りにね、ゴミがすごくて」
「オキ様ってあの祠か」
オキ様とは町外れの古い木の根本にある小さな祠で2人の母親が毎日お参りしていた。オキ様とは母がそう呼んでいたので2人もそれにならっている。
ほかに誰かが来ることもないので今は
「ペットボトルの空が何本もあるんだよ! 」
「あんなとこで飲むか? 誰も通らないだろう? 」
「でもあるんだよ」
「明日から俺も一緒に行く」
「
「草野球だけどな」
「先生、ずいぶん早く治ったんだな」
「そうなの? 」
「骨折だろ? 早くても夏休みが終わるくらいまでかかるんじゃないか」
「そうなんだ。まだちゃんと治ってないのかな」
「きいた話じゃ治ってそうだけどな。不審者倒したんだろう? 」
「うん。先生ってすごいね」
翌日。終業式も無事終わり明日から夏休みだという開放感のある日もいい天気だった。追試のことはひとまず忘れることにしたはずなのに
「今日はタイムセールがないんですか! ? 」
「ごめんね、
「なんだか検疫とかで魚が入ってくるのにえらい時間がかかるもんだから、うちの人が怒っちゃって。鮮度が命なのにそんなもんいらんっ! って」
「ここだけの話だけど肉屋も八百屋も全部そう。営業しないのはうちくらいだけどさ」
「そうなんですか……大変ですね」
「ごめんね、またね」
郷土博物館の特別展が無料、という話をるる子からきいたことを思い出し涼をとるためにも
【 きつねのおはなし 】
むかし、むかし。あるところにいっぴきのきつねがいました。
きつねはひとのことがしりたくてたまりません。
あるとき、きつねはひとのむらへいきました。
なんだ、おまえ。そのみみは。
きつねはあわててみみをかくしました。
なんだ、おまえ。しっぽがある。
きつねはあわててしっぽをかくしました。
なんだ、おまえ。へんなやつだな。
きつねはむらにはいれませんでした。
きょうだいとやまでくらします。
こんこんきつねがないている。
みみもしっぽもないきつね。
夕方になり草野球を終えてきた
「かわいそう……ちょっと人と違うくらいで」
「……
「追試の勉強はしたのか? 」
「これからします! 」
翌日も晴れ。
オキ様をゴミ捨て場代わりにしている人間はもしかしたら今頃来ているのかもしれない。そう思った
そこから
久しぶりに暑さのゆるんだ日の夜。公園でベンチに座りながら
「タカ兄。疲れた」
「そうだな」
「さとりに見てもらっちゃダメなの? 」
「お前が書類を144枚書くなら頼もう……! 」
遠くにふらふらと歩く人影を見つけ
「……人だな。学生服のせいで上が白い」
「なんだ」
「めんどくせぇ」
「金なし
「……先生。
「運べ」
「えぇー! ? なんかくさいしやだ! 」
「うるせぇ」
「それっきりいなくなったってことか」
「警察にも行った。いろんな奴にもきいた。だけど誰も知らない」
「この暑さであちこち探し回ってよく死ななかったな」
「くせぇから風呂入れよ」
「
「朝に……追試の勉強しろって怒ったんだ。博物館行ったりするから……母さんの時も」
「母さんの時も! 喧嘩してそれっきりだった! だから、だからもうしないようにって決めたのに……っ」
声をあげて泣き出した
「仕方ない。次の日に突然いなくなるなんて、特に若けりゃ考えるはずがない」
なぐさめるわけでもなくただ静かに言うと
「見つけるぞ」
顔をあげた
「その前に風呂だ。ついでに寝ろ」
[ はぁ! ? 行方不明って警察の仕事でしょ? まあ、わたしたちも警察みたいなものですけど。ていうかあれじゃないですか? やっぱりあれしかないんじゃないですか? ]
[ 携帯のGPS! ]
「家に忘れてる」
[ はぁっ! ? 現代っ子ですよね? いつでもどこでもスマホ時代の今にのろしでも使ってんですか? 貧乏すぎません? 国は何してんですかね、本当。
「今は寝てる。すぐ起きるだろうが」
[ どうしてわかるんですか? ]
「お前がきくか? そういうもんだったろう? 」
電話の向こうで
[ そうですね。……生きてますかね? ]
「さあな。どっちでも見つける」
[ できることはこっちでやってみます。では、また! ]
電話が切れると
「ひとっ走りあちこち探して来い」
「へーい。死体? 生きてる方? どっちの探し方? 」
「死体の方だ」
数日たっても依然として
『ーーーーーーーーーでー』
『ーーなーーーーーーーー』
『ーーーーーーいーーーー』
誰かの声がきこえた気がして
『ーーーいーーーーー』
声が大きくなった気がした。途端に誰かが
ああ、笑っているんだ、と
少女の棘が
憔悴しきった
おばさんが亡くなった時よりひどい。
あたりまえか。あたしバカじゃない?
……バカだ。
何を言うべきか黙りこんでしまった
「差し入れ? ちょうだい! 」
「あんたにじゃない! てか、なんで
「探す手伝いができるかと思ってな」
「あたしもきいてみるから! 商店街の人たちとかお客さんとかに! 」
「案外、お前になら話すこともあるかもな。頼む」
「おうよ!
言わなくては。自信も根拠も何もない。だけど、言わなくてはいけない。
だから、言うんだ。
「絶対に見つかるよ! 」
怖かった。友達がいなくなるかもしれないのが。
怖かった。変わってしまうのが。
恐怖を振り払うかのように
おうまは自分の屋敷でぐったりと寝こんでいた。寝こんだまま
「携帯は? 」
「自宅に忘れています」
「GPS、あるでしょ? 」
「ですから自宅に忘れています」
「だから、GPS……」
おうまは口を開くのもやっとだった。
「設定から一番行ってる場所見れるから……もしかしたらそこで何かわかる」
「かしこまりました」
「……アヤマ様、わかりました。タタリギのところです」
町外れの人気のない雑木林の中に古い大木がある。根元に小さな祠のあるその木の前に
「ここですね。私には開けられません」
「……タタリギ、俺のこと覚えてるかな? 」
「忘れるはずはないかと思います」
「悪いんだけどね」
おうまは
おうまはぐらぐらとめまいを起こして
ぼんやりとしていた
「え? なんで? これなんですか? 」
「待って! 待って! ちょっと待って! 落ち着くから! 」
『かきかたきかわらわまらわいわいらわいいれいなれいかるかいたかわらわたくわいれいいいい』
おうまは顔を赤くして熱を帯びた目を伏せ荒くなる息を整えようとしていた。
「おうまさん、いいですよ」
「は! ? 」
「さっき切っちゃったので」
「ああ、そっち」
「? 違うんですか? 」
少し落胆したようなおうまに
「ありがとう! 」
「そういうのいいですから! 私、今絶対にくさいし! 」
「そんなことないよ」
おうまは押し戻そうとする
『かわいいかわいいかわいいおいしいかわいいかわいいかわいいたまらないかわいいわかいいかわいいかわいい』
熱い息がかかる。ざらりと生温かい舌の感触。愛おしげに傷口に口づけをされる。目がくらむような白い光。すべてが
「
突然、叫ぶと
「おうまさん、今何時ですか? ご飯つくらなきゃ」
「それは何日のってことも? 」
「何日の? 」
おうまから日付をきき
「……え? 」
ようやく出た言葉はそれだけだった。
「じゃあ、帰ろうか」
「えぇ……もうちょっと余韻とか大事にしたい」
「ご遠慮します」
笑ったような声がきこえた気がして振り向くといつものように表情のない
夜。二つ並んだ病室のベッドにそれぞれ寝転びながら
あの後、おうまたちによって送り届けられた
「ーそれでね、おうまさんが助けてくれたんだって」
「そうか。よかった」
『もしー』
「ごめんね、心配かけて」
『どちらか片方が死ぬなら』
「本当によかった」
『俺が死のう。無理なら一緒に』
「……そういうの好きじゃない」
「? 」
「死ぬ時ってどうなるかわからないけど、すごく痛くて怖いのかもしれないし、そんなことないとかも、でもそういうの好きじゃない」
「それじゃ悲しかったことしか残らない。楽しかったことあるでしょ? いっぱい」
「急には無理だけど楽しかったことを覚えててほしい。お母さんもそうしてほしいと思うよ」
「……そうだな。先生にはずいぶん世話になった。ほかの人たちにも」
「うん。みんなー」
『化物だから死ね』
赤黒い炎のようにゆらめく光を皆が身にまとっている。
ーーーきつねはむらにーーー
ーーーこんこんきつねがないているーーー
ーーーみみもしっぽもないきつねーーー
ぼろぼろと泣き出した
翌日。家に帰った
「
「ごめんね、心配かけちゃって」
「ううん……熱中症で林の中にずっといたってきいたけど」
「ばーちゃんとかさ、神様の嫁になっただとかでジジババが盛り上がっちゃってるよ」
「神様? 」
「なんかそういう昔話あるんだって。あと、これ! 」
「ありがとう! 」
「あー……あたし魚屋の娘だし、売り物にならないの持ってきてあげてもいいかなって思うんだけど。だからちょくちょく来れるかなーって」
「本当!
「いや、いい」
「は! ? なんで? 」
「魚は嫌いだ」
「はぁ! ? DNAなめんなっ! 」
「DHAだろ」
一方的に言い争う
「
「
「全然わかんない」
数日後。窓を開けると気持ちのいい風が吹きこんでくる。今日も晴れだ。
「おうまさん、いい天気ですよ」
「ああ、そう」
おうまは伸びをして起き上がる。
「具合はどうですか? 」
「いいよ」
おうまは嬉しそうに笑うが周りには何の色も見えない。
「よかったです。ありがとうございました」
「どのこと? 」
「色々全部です。今までもずっと助けてもらってましたから」
「そう。かわいげがあってよろしい」
「……嘘でも嬉しいです」
ー 楽しいことだと思うなら楽しいことを見ましょう ー
ー 悲しいことばかり見てたら何も残らないから ー
掃除をしながら今朝見た母の夢を思い出す。昨日、
何も思われていなくても言葉にしてもらうと嬉しい。変な意地は捨てて、それを受け入れよう。そう思った。
ベッドの上でおうまは苦笑していた。
「急にかわいいなぁ」
彼女がいたら見えていただろう。
白とピンクの光が周りに散っていることを。
とあるオフィスの一室。黒いスーツ姿の部下たちと自室に入った中年の男はぎくり、とした。高級品であつらえた応接用のソファに黒い服装の男が座っている。
「これは、
「……検疫、らしいな」
黒ずくめの男は水の入ったペットボトルをテーブルの上に置く。
「聖水、とでも言うべきものか? それをあらゆる食品に微量だが混入させる」
中年の男は冷や汗をかいた。部下たちが身構える。
「その食品を摂取すれば、人間で言えば少しずつ毒が蓄積されるかのように弱る。そういうことだな」
「なんのことか。異物が混入したのはお気の毒でしたね。それは事故です」
「そうだな、事故だ」
黒ずくめの陶器のような肌をした男は指を鳴らす。
「悪意をもって水を飲まされなければ」
肩を叩かれ中年の男はふりむいた。黒い瞳に内側から無数の棘をはやした和服の少女いる。少女がぽかりと口をあけると口の中の暗闇からはぎいぎいと木をこすりあわせる音がけたたましく響いてくる。
ひっと悲鳴をあげ中年の男は尻餅をついた。立ち上がることができない。
少女の背中からは無数の枝がのび、枝は部下たちを貫き枝先にぶら下げている。
つーっと血が枝を伝い少女の背を赤く染めていく。
断末魔をききつけてドアが開かれたがそこには誰もおらず誰も戻って来なかった。
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