第12話 <また俺の負け!!>

文字数 1,497文字


その日は雨だったせいか、店は空いていた。

レジも暇だったので、熊坂さんは売り場の棚の掃除をしていた。

俺も発注や果物の袋詰め作業などが終わり、
手が空いていたので、バックヤードでPOPを書いたりしていた。

「佐伯さーん!」

板林さんが、興奮気味に俺を呼んだ。

「お客さんが呼んでます!
たぶん中野智巳です!」

「えーー」

売り場に出て店内を見回すと、
ラフなパーカーにキャップ帽をかぶった中野がいた。

「おう! 約束通りまた来たよ!」

「今日はプライベートか?」

「うん、こないだは店内ゆっくり見れなかったから」

そう言って近くの棚の一六タルトを手にとって眺めた。

「そうか、まぁゆっくり見てけよ」

そう言ってバックヤードに戻ろうとした時、熊坂さんが

「佐伯さーん、これもう賞味期限切れてますよーー」と、

じゃこ天を手にやって来た。

と、同時に中野が叫んだ。

「美咲!!!」

熊坂さんははっとなり、中野の顔を見て血相を変えた。

「あ……」

そう言うと踵を返してバックヤードの裏口から
外に走って出て行ってしまった。

「熊坂さん!」

って言うか勤務中なんだが……!!!

「美咲、あいつここで働いてるのか!?」

普段物腰の柔らかな中野も、顔を強張らせ強い口調で俺に言った。

「あぁ、でもここでは熊坂よしえさんとして働いてる」

「なんで!?」

「それはこっちが聞きたいよ!」

お互い「むむ……」と口をつぐんで見合った。

このただならぬ感じ。
このままやり過ごせない。

「中野、彼女と知り合いなのか?」

「あぁ」

「だったら彼女のことでは聞きたいことが色々ある。
俺、もうすぐ休憩入るから、詳しい事教えてくれ」

俺は中野にそう言ってエプロンを外し、
二人で近くのコーヒーショップに行くことにした。

熊坂さんはどこかに行ったまま戻って来なかった。

店長にはひとまず熊坂さんは体調不良で帰ったと伝え、
熊坂さんには「早退したことにしてある」とメールを打った。

コーヒーを前にして、何から聞いたら良いのか考えを巡らせていると、
中野の方から口を開いた。

「前に話した忘れられない女性って、あいつなんだ」

「マジか……」

なんとなく嫌な予感はしたが……。

「あいつ、本当は南美咲って言って、
アイドルグループのひとりだったんだ。
バラエティ番組で一緒になる機会が時々あってさ、
アイドルなのに自分だけ抜きん出ようとかガツガツした所がなくて、
そんなだから全然目立たないんだけど、そんな所が目が離せなくて」

そう言ってふっと笑った。

「真面目で不器用で、でもそんな所が俺と波長が合ったんだ。
なかなかガードが固かったけど、俺らは付き合う事になった」

中野は人目を気にしてキャップ帽を深くかぶり、
抑えめのトーンで話した。

「俺は下積みからやっと仕事が増え始めた頃で、
あいつの存在が励みになってた。
売れたら結婚を申し込もうって思ってて、
『深川町工場物語』がヒットしてやっと知名度も上がって
メジャーになったって時に、あいつ突然いなくなったんだ。
芸能界からも俺の前からも」

中野が熊坂さんと付き合っていたとは……。

俺は何から何まで中野に負けてるじゃねぇか……。

って言うか、ん? 待てよ!?

落ち込む間もなく俺はあのことが引っかかった。

ってことは拓海くんは中野の子か?

言われてみればよく似ている。

中野はそれを知らないって事か。

俺は今ここでその事を知らせるべきか?

思いがけず葛藤が生まれた。

「あいつ、またこのまま消えちゃうって事あるかな?」

中野は心配そうに聞いた。

「わかんないけど……、まぁでも真面目な人だし、
たぶんこのまま消えることはないんじゃないかな?」

「もしあいつが戻って来たら、連絡するように言ってくれ!」

すがるような目で中野は言った。
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