第13話 <天使と悪魔のせめぎあい>

文字数 1,209文字


コーヒーショップで話をした後中野と別れ、
その日俺は遅番だったので一人で閉店後の作業をしていると、
そっと裏口のドアが開いて、熊坂さんが戻って来た。

「今までどこ言ってたの? 心配したよ」

俺が言うと、

「佐伯さん、すみませんでした……
一度家に帰ってたんですけど、きちんとお話しようと思って……
閉店後ならと思って戻ってきました」

力なく彼女は言った。

「とりあえず、話し聞かせてよ」

「はい」

熊坂さんは観念したように頷いた。

パイプ椅子に二人腰掛け、
俺はこれまでのいきさつを熊坂さんから聞いた。

「私、昔アイドルグループにいたんです。
それで智巳と知り合って付き合い始めました」

膝に置いた手をぐっと握りながら熊坂さんは話を続けた。

「付き合い始めてしばらく経った頃、
お腹に赤ちゃんがいることに気がつきました。
その時の智巳はドラマが当たって、人気も右肩上がり、
あちこちからオファーが来るような状態でした。
真面目で誠実、地に足がついているイメージが視聴者にも好評で、
ファンも爆発的に増えました。」

俺は黙って熊坂さんの話の続きを聞いた。

「そんな時期にアイドルを妊娠させたなんて事が世間に知れたら、
あの人の今後に影響すると思ったんです。
落ち着いた、スキャンダルの匂いのない
クリーンな雰囲気が売りの智巳のイメージに傷がつく。
智巳、メジャーになるために血の滲むような努力をしてたんです。
舌ったらずな話し方がネックで、
オーディションもなかなか受からなかったけど、
同じセリフを何百回、何千回と練習して、やっと直って仕事ももらえて。
そんな彼の努力を無駄にしたくないって思ったんです」

「それで、ひとり芸能界を去って拓海くんを生んだの?」

「はい……。
怖かったんです、私があの人の可能性を潰してしまうのが」

そう言って熊坂さんはうなだれた。

俺は……どうしたらいいんだ?
何て言ったらいいんだ?

「もし、ご迷惑でなければ智巳に伝えてもらえませんか?
私はもうやり直す気は無い、
顔も見たく無いから会いにも来ないでくれと」

「拓海くんの事はずっと黙っておくの?」

「智巳は知らなければそのままでしょうし、
拓海にとっても父親がいなかったのはこれまでと変わらないですし、
今後もあの子なりに納得いくように言い聞かせます」

俺は首の後ろをさすりながら「うーん」と考え込んだ。

熊坂さんはそう言うが、それでいいとは思えない。

しかし、同時に俺の中の悪魔もささやく。

このまま中野に
「熊坂さんはもうやり直す気がないから会いたくないと言っている」
と告げれば、拓海くんの事を知らない中野は諦めるかもしれない。

そして俺が熊坂さんを支え続ける事ができる。

中野が全てに気づく前に、熊坂さんの心を捕らえる事が出来たら……。

「わかった、
とりあえず中野には会いたくないって事だけは伝えておく」

そう言うと

「ありがとうございます」

と彼女は目に涙を滲ませて言った。

そんな目をすんなよ……。

なんだか胸が締め付けられる思いがした。
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