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文字数 2,314文字

「美味しかったぞ、浅野たくみそかみ」
 期末試験も返却期間も無事に終わり、後は夏休みに入るのを待つのみになった七月中旬。帰るのですら嫌になる蒸し暑さにうなだれて、僕と平子は教室の天井に設置された扇風機の風を堪能していた。自販機にジュース買いに行けよ、と平子と押し付けあいながらダラダラしていたらミノリンが現れ、唐突にそう報告してきたのだ。
「駅んとこのでしょ? 俺が見かける限りわりと混んでるんだよね。いつ行ったの?」
「試験の最終日だ。学校出た足で真っすぐ」
「ずっと食べたいって言ってたもんね」
 浅野たくみそかみ、は駅前にあるラーメン屋だ。信州味噌や九州味噌など数種類の味噌から選べるのが特徴の味噌ラーメン専門店だ。それは試験前に話していた店でもあり、ミノリンは「試験が終わったら食べに行く」と会う度に宣言していたのだ。なんなら三人で行こうと話していたが、味噌ラーメン好きじゃないんだよなあ、と平子が呟いたため話は流れてしまったのだ。
「どうだったの、念願の味噌ラーメンのお味は」
 そのくせ意外にも平子は興味を示している。僕は食べたかったのに。
「味が濃くて美味しかったぞ。合間に飲む水がなにより美味しかった」
「……ミノリン的には、それでよかったの?」
「大満足だぞ。ラーメンの口だったからな」
 そんなに食べたかったのか。よく我慢できたなあと感心していると、ミノリンに伝わったらしく、自分へのご褒美と思えば苦にならないとの助言をいただいた。
「次は稲葉と一緒に行こうと思う」
 基本的に表情が変わらないミノリンが、心なしか穏やかな笑みを浮かべている。ミノリンのこんな表情は片手で足りるほどしか見たことがない。修学旅行で奈良の大仏を見たとき以来かもしれない。
 それほど、稲葉さんとの関係が良好だということがうかがえる。平子の言った通り、本当に時間の問題だったらしい。そういえば竹邉も同じことを言っていたっけ。相変わらず準備体操をしている僕は、二人の勘の鋭さに感心した。勘が働くのは過去の経験からか、それとも元々か。平子はあんな性格だし元々っぽいけど、竹邉はどうだろう。
「いいんじゃない? 稲葉さんも喜んでくれると思う」
「だろうねえ。稲葉ちゃんはミノリンと一緒なら喜ぶでしょ」
 平子はからかうように僕を見た。以前、竹邉から似たことを言われた記憶がふわっとよみがえる。僕が勇気を出して一緒に帰ろうと誘った日のことだ。
「稲葉が喜んでくれるなら、俺も嬉しい」
 結局、あれからも二人で帰った日は一度もない。そりゃそうだ。僕から誘ったこともないし、竹邉から誘われたこともない。ホームルームが終わると竹邉はそそくさと教室を出て、塩沢さん達と帰ってしまうからだ。
 そして話を聞く限り、ミノリンと稲葉さんは二人で遊びに行くようになったそうで。映画館で、キャラメルポップコーンを、分け合って、食べたとか。はあ。なんだよ。甘酸っぱく騒ぎやがって。まさしく僕の理想そのものじゃないか。
「ていうか高村、竹邉ちゃんの誕生日どうすんのさ」
「いつなんだ?」
「八月二十日。どうするのって言われても」
 竹邉の誕生日に関して、僕達はなにも約束をしていない。なんとなく、本当になんとなくだけど、どうせ一緒にいるんだろうとばかり思っていた。でも、僕から誕生日を祝いたいと言っていない。竹邉から祝ってほしいとも言われていない。それなのにだ。一緒にいると勝手に思う僕は、自惚れている大馬鹿者だ。
 竹邉が誘ってくれるのを待っている。僕から誘う勇気が湧くのを僕自身が待っている。夏休みは八月いっぱいまでだから、もしかしたら新学期が始まるまで会う機会はないかもしれない。なのに、呑気に待ちくたびれている。
「プレゼントくらいは、渡そうかな」
 へえ、と平子は聞いてきたくせにつまらなさそうな相槌を打つ。
「ハンカチとかどうよ。無難でよくない?」
「俺のおすすめはガーゼ生地だ」
「えー、高村の使用済みでいいじゃん。タダだよ」
 適当なことを口にする平子に、誕生日にあげるものじゃないだろう、と真面目にミノリンは返す。
「稲葉と塩沢に聞いてみるのはどうだ?」
「それするくらいなら高村が一人で選ぶべきでしょ」
 今度は平子が真剣な声色で言う。
「なんでよ、聞くよ。竹邉が欲しいものあげたいじゃん」
「だったら必死こいて一人で選べ。なんでわざわざ他人の手垢つけさせるわけ? 潔癖症じゃなくても気持ち悪くない?」
 おえーっとふざけた手振りを平子はつけた。ミノリンに助けを求めるが、平子の言う通りと言わんばかりに「頑張れ」と背中を押してくる。 
 平子の言うことはわからんでもない。塩沢さん達の意見が手垢になるのかは別として、竹邉は僕があげたものなら無条件に喜んでくれそうな気がする。だって髪の毛一本で唇を尖らせるような子だ。それこそ使用済みハンカチなんてあげた日には、小躍りするほど浮かれることだろう。
 でも、どうせなら本当に喜んでほしい。竹邉のために選んだもので浮かれてほしい。僕が竹邉のためにと選んだものを手にとって、そうして浮かび上がる笑顔が見たい。
 大人の階段があるとして、今の僕は何段目にいるのだろう。ミノリンと稲葉さんが親しくなっていくのを、近くでぼんやりと眺めているだけで、いいわけがない。シンデレラなんて柄じゃないけど、僕は竹邉を迎えに行かなければならない。ガラスの靴なんていらない。鐘も鳴らなくていい。魔法が解けちゃうとか解ける前にだとか、どうだっていい。
 これは義務なんかじゃない。義務と主張する権利すら、今の僕にはない。
 待たせ過ぎた時間を取り戻しに行こう。僕はいい加減、素直に答えなければならないのだ。
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