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文字数 2,670文字

 僕はそのままの竹邉がいい。
 高村くんの言葉を再生しながら、なんとか期末試験を乗りきることができた。その結果、全ての教科で中間試験の結果を大きく上回る快挙を成し遂げた。赤点がないなんてもはや奇跡だよ。前回赤点だった世界史はなんと六十点、点数が倍になったの。特に苦手な数学では初めて五十点を超えて、私より飯田先生の方が感極まっていた。
 この素晴らしき試験の結果をどうにか活かすことはできないか。そう思った私はいてもたってもいられず、試験が終わって活動を再開した写真部を訪ねた。高村くんが平子刑事に「テトリスやりたい」と引っ張られながら帰っていったのは確認済みだ。
 そして写真部の面々に相談したところ、
「頭撫でてもらうとかどうすか?」
「天才の発想ですか。それ採用」
 一年生の有馬くんの意見に心が躍った。
 大塚先輩が善は急げと急かすので、早速次の日に「頭撫でてもらう作戦」を実行することにした。楽しみだなあ、今から顔がにやけちゃうな。高村くんがちょっと頭を撫でてくれるだけで、軽く百年は幸せだ。
「高村くん! 今回の試験、私は優秀な成績を収めました!」
 作戦は、試験の結果を持ち出し、真正面から撫でてもらう案でまとまった。下手なことをするよりも効果があるだろうという有馬くんの見解だ。加藤くんと森久保さんは「そんな単純な作戦でうまくいくのかな」と心配していた。でも大塚先輩は賛同していて、男は単純なんだから単純なやり方でいいんだよ、と熱く語っていた。その熱さに発案者である有馬くんですら引いていたっけ。
「勉強頑張ってたもんね。すごいよ竹邉」
 私の答案用紙を見ながら高村くんは笑った。ああ、やっぱりいいなあ。その笑顔が見れるだけで胸がいっぱいだよ。しかも褒めてくれた。私が勉強を頑張った姿を見てくれていたなんて。なんだか想像以上に嬉しいや。
 でも、やっぱり頭は撫でてもらいたい。答案用紙を見て「ここ惜しかったな」とか「あの解き方応用できてるじゃん」と褒めてくれる高村くんの方へ、私はさりげなく頭を傾けていく。これだけ褒めてくれて、なおかつ近くには私の頭がある。これで撫でないわけがない。さあ、どうぞ! 思う存分!
「……どうしたの?」
 そうだった、これで撫でないのが高村くんだった。
 作戦は見事失敗に終わった。ちょっと大塚先輩、男は単純な生き物なんじゃないの?
「なんでもないです」
 私は頭を傾けるのをやめ、高村くんから答案用紙を受け取った。単純な作戦なのにうまくいかないなんて。これは私が下手だったのか、それとも高村くんが鈍すぎるのか。どっちもどっちな気がするなあ。不意に感じた視線の方を見れば、平子刑事が笑いをこらえていた。作戦も私の気持ちもバレているみたい。
 なんで高村くんには伝わらないの。そのままの竹邉がいい、と言われただけで浮かれた罰だろうか。じゃあ私はあと何度浮かれればいいの? やっぱり、頭を撫でてもらうなんて無茶だったんだ。試験の結果がよくて褒めてもらえるのは小学生までかあ。ていうか赤点がなくて褒められるなら、平子刑事は全身を撫で回してもらわないと割りに合わないよね。
「いった」
 ため息を我慢して答案用紙を折りたたんでいると、左手の指に小さな痛みを感じた。見ればうっすらと線ができていて、その線からは血が滲んでいた。どうやら紙で指が切れてしまったらしい。痛い。どうしてこういう小さな傷って見ちゃうと痛くなるんだろう。
 私は生徒手帳に挟んでいた絆創膏を取り出す。そして絆創膏を貼ろうとしたとき、
「なにが痛いの」
 高村くんが眉をひそめて振り向いた。私は痛そうな顔を作りながら左手と、右手に持っていた絆創膏を見せる。すると高村くんは私から絆創膏を奪い「指」と言う。
 え? と思いながらも私は切れた指を差し出す。そしてうっすら血が滲む傷に、高村くんは絆創膏を貼ってくれた。
 え! と思いながらも私は「ありがとうございます」を絞り出す。別に、と呟いた高村くんは、自販機行ってくるね、と足早に教室を出て行った。
「ひ、平子刑事……鈍感な高村くんもいいですよね」
 私は思わず両手で顔を覆う。単純な作戦なんかより、思いがけない出来事の方が何十倍も心が躍るものだと実感した。してしまった。
「ごめん、男には萌えない主義だから」
「あー、触れたいです、あわよくば手を繋ぎたいです」
「ここで手繋ぐのは流石にどうかと思うけど」
「私にだって理想くらいありますよ。夏祭りの人混みの中、はぐれたくないからと健気さをアピールしつつ手を繋ぐ……憧れません?」
「憧れません」
「平子刑事は女の浪漫がわかってませんねえ。あれは手錠です、緩い拘束なんです」
「わからない浪漫なんだけど」
 それで我慢しなよ、と平子刑事は私の左手を顎で指す。
 切れた指は薬指だった。つまり、高村くんが絆創膏を貼ってくれたのは薬指。私の薬指に、高村くんは絆創膏を貼ってくれた。
「これって結婚指輪ですか?」
「安い女だねえ。安すぎるでしょ」
 平子刑事は笑窪を作って豪快に笑うけど、私はこの事実に満たされていた。絆創膏ひとつで満たされる安い女。でも、高村くんが絆創膏を貼ってくれたという事実があれば、私の中では価値の高いものになるんだ。あれ、やっぱり私って安い女?
 しばらくして高村くんが教室に戻ってきた。いつも飲んでいるりんごジュースと、何故かバナナオレを持っていた。高村くんがバナナオレを買うなんて珍しい。私は好きだけどね。二つも飲み物を買うなんてよっぽど喉が渇いているんだなあ。
 なんて呑気に思っていると、高村くんはバナナオレを私に差し出してきたではありませんか。
「試験頑張ったから、ご、ご褒美的な」
 写真部の皆様、相談に乗ってくれたのにごめんなさい。男が単純なのかはわからなかったけど、私は単純だったみたい。単純な私が作戦を企ててもうまくいかなくて当然だ。だって頭を撫でてもらえなかった悲しみが、絆創膏とバナナオレで打ち消されたんだもん。打ち消されて、満たされた。今度はもっと分相応な作戦を立てようかな。
「そういえば高村くん、昨日の晩ご飯はオムライスでしたね。実は我が家もだったんですよ。高村くんはハヤシライスソースとケチャップ、どっち派ですか?」
「僕はケチャップかな。やっぱりシンプルなのが一番美味しいし。竹邉は?」
「私もケチャップなんです。ちなみに千春ちゃんもケチャップ派ですよ」
「ケチャップ派閥すごいな」
 バナナオレはなんだかぬるかったけど、こうやって高村くんと過ごせるなら、なにも気にならないや。
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