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文字数 4,740文字

 事件が発生した。
 作戦四を実行し始めた頃から、竹邉とミノリンが一緒にいるのを見かけるようになったのだ。しかもそれは僕がトイレに行った帰りや、僕と平子が自動販売機から戻ってきたときが多い。つまり、二人きりで会っている、ということになる。どうやら竹邉は、僕がいないときを狙ってミノリンに会いに行っているらしい。バナナオレの謎も解けた。
 これは密会だ。紛うことなき密会だ。
 まあ、別に、僕には竹邉の交遊関係を制限する権利はないし。別に、竹邉が誰と仲よくしていようが僕には関係ないことだし。
 だけど気になるかと聞かれたら気になるのは事実だ。今まで竹邉とミノリンは二人きりで話したことがないから尚更。しかもこの間、ミノリンが夢に出てきたと竹邉は楽しそうに話していた。夢の中で二人はバレーボールをして遊んだらしい。夢に出てきたってことは、まさか、好きってことじゃあないよね? そう平子に聞けば「平安時代かよ」と笑われた。でも僕は気が気じゃなくて。
 第一に、ミノリンは稲葉さんが片想いしている相手だ。目的はなんにせよ、こうして竹邉が積極的にコミュニケーションをとりにいった挙げ句、ミノリンも竹邉を好意的に思ってしまっては困る。竹邉と稲葉さんはいい関係だ。落ち着きのない妹と、それを見守るしっかり者の姉のようで。そんな二人の仲が拗れることを誰が望む?
 それに、よく考えてほしい。作戦四は稲葉さんとミノリンを二人きりにさせるためのものだ。そのために僕達は理科室の勉強会から抜けたというのに、竹邉の行動はあまりにも矛盾していると思わないか? 二人きりにさせる作戦を実行しておきながら、自分がミノリンと二人きりになるなんて、キューピッドの風上にも置けない裏切り行為に等しい。
 それに、僕が森久保さんと一緒に帰っていることを責められるのならば、ここは僕の責めどきではなかろうか。
 竹邉の言葉を借りるなら、これは「浮気」になるのではないか。
「ねえ、どうにかしなよ」
「わかってるよ」
 試験まで残り二日。ミノリンと稲葉さんが昼休みにも勉強会をするようになったので、僕と平子は二人寂しく教室にいた。試験なんて余裕だと言わんばかりにクロスワードを満喫する平子の指摘は、まさに発生した事件への対処のことだった。そう、竹邉の浮気である。ちなみに、当の竹邉は呑気にいつも通り塩沢さんと中庭で過ごしている。
 平子の指摘もとい僕が責めどきを感じたのは、またも竹邉の様子がおかしいと気付いたからだった。水を打ったように静かなのだ。これはミノリンと密会し始めたのと同じ頃からの違和感で、まさしく密会イコール浮気の公式が成立しようとしている。それに平子刑事も気付いたらしい。この四日ほど僕はまともに竹邉と話しておらず、竹邉によく似合う柔らかい笑顔を見ていないことがなによりの証拠だ。
 この状況は、森久保さんにいらぬ喧嘩を売った日と似ている。似ているけど、ここ最近の方が明らかに静かだ。朝のおはようと帰りの「また明日」は絶対に忘れないのに、僕の椅子に嫉妬することや晩ご飯の話、授業中に僕の背中をペンでつつくことを忘れている。休み時間の度に「高村くん」と僕を呼ぶことも。笑い方だってそうさ、最近の竹邉の笑みには効果音がつかない。塩沢さんみたいに小さく笑うのだ。大人っぽさを感じる、フフッという笑い方。竹邉には全く似合わないその笑顔を、僕は好きじゃない。
 森久保さんに喧嘩を売った日は僕には素っ気なくても、平子と話しているときは明るくて騒がしい竹邉のままだったのに。今回は平子ですらこの違和感を気にしている。廊下で会った塩沢さんからは「咲記の調子がおかしいんだけど」と、さも僕が悪いような口振りで尋問された。ごめんなさいの一点張りで逃げた自分が情けなかったあ。あと、飯田先生も珍しく勉強熱心な竹邉を奇妙なものに向ける目で見ていたし、窪木先生には「なにかあったのかい?」と僕越しに竹邉の心配をされる始末。
「今回も僕が原因だと思う?」
「だと思う。竹邉ちゃんといったら高村だし」
「嫌な公式だなあ」
「ごめんごめん、言葉のあや」
 憎たらしい笑窪を作り、平子は完成したクロスワードを見せてくる。やはり片手間の悪徳刑事に相談したところで解決はしない。どうしてミノリンがいないんだ、といつもなら思うところだけど、ミノリンは今回の密会及び浮気事件の重要参考人である。そのミノリンが今は稲葉さんと仲よく勉強をしているのだから納得がいかない。胸がざわつく。そして羨ましい。いくら準備運動をしても辿り着かない僕の理想を地で行くミノリンが羨ましくてしょうがない。
「平子、僕なりに頑張ってみるけど、うまくいくかわからないし、多分うまくいく可能性の方が低い。どうなるか予想ついてない。だから僕なりにやってみようと思うんだけど」
「長いよ、もっと短く」
「……なにかあったらフォローお願い」
 協力を要請した僕に、平子は目を丸くして、そっとペンを机に置いた。「任せなさい。俺はキューピッドですから」と僕の肩をポンと叩く。僕が僕の理想に辿り着くには、まずこの事件を解決しなければ始まらない。
 静かに意気込めば、竹邉が教室に戻ってきた。昼休みが終わるまで、あと十分。
 竹邉は口を結んだまま静かに席に腰を下ろし、静かに五時間目の古典の準備をし、静かに授業が始まるのを待っている。なんという静寂。事件が起きる前は、塩沢さん達と過ごした昼休みのことを話してくれたし、昨日のテレビや最近気になる漫画についての話に花を咲かせていたのに。
 かといって、僕から振り向いて話しかけるつもりはない。浮気者にかける情けは持ち合わせていないからね。僕はそこまで大人じゃないし、心が広くないのだ。
 かといって、竹邉が静かなままでいるのも嫌だ。あの似合わない、大人びたフフッという笑い方も嫌だ。嫌だと言ったら嫌だ。とにかく嫌だ。僕が好きな竹邉は、しつこいくらいに構ってきたり、ふにゃっとした効果音がつきそうな笑みを浮かべる竹邉なのだから。
 さて、十分のうちに事件に決着をつけるべきか。横目で平子に尋ねる。いけ、と顎で指示された。傲慢なトレーナーの手持ちポケモンにされた気分だ。
 事件に決着をつけると決めたものの、どんな言葉を持ち出せばいい? いきなり「浮気者め」なんて言っても混乱させるだけ。なら窪木先生みたいに「なにかあった?」と聞こうかな。いやいや、その「なにか」を引き出すのが僕に課せられた使命じゃないか。
 目を閉じて考える。
 とにかく要点をまとめよう。
 気になるのは、ミノリンとの密会及び浮気の疑惑。
 知りたいのは、また竹邉の様子がおかしい理由。
 伝えたいのは、そんな竹邉は嫌だということ。
 後ろの席が静かだと落ち着かないんだ。
 心配で振り向きたくなる。
 授業でわからない問題があるなら背中をペンでつつけ。
 遠慮なくつつけ。
 電子辞書なんかに頼るな。
 あと平子にも頼るな。
 塩沢さんみたいに笑わないで。
 似合ってないんだよ。
 お高くとまるな。
 ふにゃっと笑ってよ。
 だから、だから。
 そして目を開ける。
「ああ、もう! うるさいなあ!」
 声を上げて振り向くと、竹邉は静かに驚いていた。身体は固まっていて口は半開きで、目を丸くして僕をじっと見ている。何故かつられるように僕の身体も固まって、ほんの数秒目が合っただけなのに、とても長く感じられた。
「ちょっとー、いきなりなにー?」
 嫌そうに言葉を挟む平子がいなければ、僕はどうしていただろう。
「沈黙がうるさい。耳障りなんだよ、この静けさが! え、なんで黙ってるの」
「怒る理由があまりにも理不尽です」
「確かに理不尽だけど、そ、それくらい僕は怒ってるの」
「だ、だって箕島くんが、高村くんは物静かで綺麗で大人っぽい人が好きだって!」
「あはは、ミノリンの入れ知恵なんだ」
「少しでも高村くんの理想に近付けたらなあ、と思いまして」
「今更じゃない?」
 笑いながら平子は言う。確かに僕もそう思う、けど。
「だからって似合わないことするなよ。調子狂うだろ」
「似合わないことも時には必要なんです」
「竹邉ちゃんに必要なのは客観視する力じゃない?」
「ちゃんと客観視できてます。だから理想に近付こうと!」
「嘘つけ。だったら、静かにしただけで僕の理想に近付いたなんて思うわけない」
「確かに。大人の女性には程遠いかもね」
 平子は掌を自身の胸にかざし、手を上下に動かした。
「セクハラで逮捕しますよ平子刑事」
「えー、平然と盗聴してる人にセクハラとか言われたくないなあ」
「平子もやめろって。とにかく竹邉、似合わないことはしないこと、いいね?」
「つまり高村くんは、このままの私が好きなんですね?」
「うるさいからやっぱ喋らな……いや、やっぱ適度に、いや、うーん……」
 うまく言葉が見当たらなくて煙に巻こうとしている僕を見て、いつもみたいに嬉しそう笑う。ここで笑うなよ、呑気なものだな。事の重大さをまだ理解できていないとみた。
「それより、ミノリンはやめておけ。確かにいいやつだよ。真面目だし嘘はつかないし、なにより信頼できる。でもね、ミノリンと稲葉さんはいい感じなの。ねえ平子?」
「え、ああ、時間の問題だと思うよ」
 僕は竹邉の机に手を置き、思わずぐいっと距離を近付ける。
「竹邉も見てればわかるだろう? 二人がいい感じだってこと」
「わかります。平子刑事の言う通り、時間の問題だとも思います」
「そういうことだから、ミノリンは、やめておけ」
「もう、心配は無用です」
 けろっとした様子で竹邉は微笑む。
「密会してたくせによく言うよ」
「密会って、私と箕島くんはそういう関係じゃありませんよ。ただ高村くんの好みを教えてもらったり、千春ちゃんのために探りを入れていただけです」
 竹邉は僕の視線を捕らえて言いきってみせた。浮かべている笑みがいつもより柔らかく感じられ、なんだか僕がわがままを言っているようで納得いかない。
「だって私は、白馬に乗った王子様を待っているんですから」
 なにかを期待する目がこちらに向けられる。おもちゃを強請る子どものようだ。
「なら残念なお知らせだよ。王子様はお姫様しか迎えに来ない」
「ちょっと高村くん! 私のこと、お姫様にしてくれないんですか?」
「僕達は王子とか姫だなんて柄じゃないだろう! このじゃじゃ馬め」
「じゃあこっちから迎えに行きますね。ほらほら」
 竹邉はおもむろに立ち上がり、両手を広げた。輝いている目が眩しい。
「やめときなよ。そんな、想像を絶する脅威的な胸囲で」
「またセクハラ! いつか誰かに刺されますよ! 二階級特進も夢じゃありませんね!」
「どうどう」
「私は馬じゃありません~」
「俺だって二階級特進しません~」
 二人は楽しそうに顔を見合わせて笑う。
 なにが面白いんだ。確かに僕の好きなタイプは、物静かで大人っぽくて、欲を言えば綺麗な人だ。ミノリンの言う通りだ。けど、わざわざ竹邉が僕の好みに合わせてくる健気さを持ち合わせているとは思ってもいなかった。そう考えると、百歩くらい譲って大目に見れば、竹邉は好きなものに対してはとことん一途なのだろう。そんな一途さを向けられていることを自覚しているあたり、今の僕は、相当きしょい。
「……ねえ、竹邉」
「はい、なんでしょう高村くん」
「僕はそのままの竹邉がいい。だから次の古典もわからないとこあったら僕に聞いて」
 古典の谷本先生は私語に厳しいけど、別に怒られても構わない。竹邉は目を丸くさせながら、ぼけっとした様子で口が半開きになっている。そしてなにかを理解したように大きく頷くと、笑顔を見せてくれた。それだよ、それ。僕が好きなのはさあ。
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