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文字数 2,143文字

「帰っていい?」
 放課後になってもまだ浮かれている私を見て、小糸ちゃんは中庭に来るなり冷たくそう言った。私の右隣に座る千春ちゃんが「まあまあ」となだめれば、深い深いため息が聞こえる。小糸ちゃんは無関心の顔を隠さず、千春ちゃんの右側に腰を下ろした。
「聞いてくださいよ小糸ちゃん。高村くんが私の机を引っ張って戻してくれたんです。高村くんが、丁度いいって言ってた、距離の、内側に!」
 くだらねえ、と言わんばかりの小糸ちゃんの冷めた視線がグサッと刺さる。そんなことで興奮冷めやらぬ私の代わりに、千春ちゃんが丁寧に説明し直してくれた。数メートルの距離が丁度いいと言った昼休みの高村くんの言葉に衝撃を受け、ならばと机を後ろに下げられるまで下げていたのを、高村くんの手で机を引っ張ってくれたことを。
「ただ机の位置戻しただけじゃん」
「甘いですね。ポイントは、高村くんが自ら戻してくれたところです」
 自ら、つまり自分の意思ってことでしょ? 高村くんは自分の意思で私を丁度いい距離ぼ内側に入れてくれたんだ。嬉しくないはずがない。思わず千春ちゃんに同意を求めれば、
「いいなあ。私も箕島君の距離に入りたい」
 とても可愛らしい返答があった。
 千春ちゃんは箕島くんが好きなんだよね。一年生のときに私が二人を連れて高村くんを見ていたんだけど、高村くんとよく一緒にいる箕島くんを好きになっちゃったんだって。話しかける勇気はない消極的な千春ちゃんのため、私は何度もアドバイスを試みた。なのにその度に小糸ちゃんに遮られてしまい、千春ちゃんと箕島くんはいまだ接点がないままでいる。恋愛はちょっとの勇気なのだよ千春ちゃん。
 千春なら入れるよ、と小糸ちゃんは優しく声をかける。私だって友達として千春ちゃんのためにできることがあるならやる気満々だけど、相手が箕島くんなら高村くんと平子刑事に力を貸してもらうのがいいかもしれない。
「ずっと気になってたんだけどさ、なんで高村なわけ?」
 打って変わってつまらなさそうに、小糸ちゃんは私に聞いてくる。
「なんで、とは?」
「悪い奴じゃないのはわかるけど、好きになるようなところある? 見た目だって普通を極めたなりじゃん。電車で隣にいても気付かない自信あるけど」
 あまりにも小糸ちゃんがひどいことを言うので、私は初めて二人に話すことにした。私と高村くんの出会いもとい、運命としか思えないあの出来事を。
「一年生の四月二十五日の月曜日、高村くんが私の生徒手帳を拾ってくれたんです。そのとき高村くんは平子刑事と一緒に歩いてて、平子刑事が気付かずに手帳を踏みそうになったの。でも、高村くんが平子刑事の足と手帳の間にさっと手を入れて守ってくれたんです。まあ結果的には手ぇ踏まれちゃったんですけどね。で、私に生徒手帳を渡してくれたときの微笑みと、踏んだわごめんと謝る平子刑事に、気にするなよって返した笑顔を見て」
「長い。もっと短く」
「だから高村くんの笑顔ですよ。私に向けてくれた微笑みを見て、素敵な人だなあって胸が熱くなったんですけど、平子刑事に向けた笑顔の方が高村くんに似合ってて……ああ、私に向けられたのは愛想笑いだったのかあってなって、私があの素敵な笑顔の理由になりたいと思ったのぉ」
 あの笑顔を見て、私は生まれて初めて身体に電流が走った。イケメン俳優の微笑みよりも、男性アイドルのセクシーグラビアよりも、私の視線も全ても独り占めにしたんだ。
「おめでたい頭だな。じゃあなんで今まで見てるだけだったんだよ」
「まあまあ小糸ちゃん……見てるだけで充分ってこともあるんだよ」
 と優しく呟いた千春ちゃんは、首を傾げて私に同意を求めてくる。流石だ、私の気持ちをよくわかっていらっしゃる。私は満面の笑みで大きく頷いた。
「好きになるのは咲記の勝手だけどさ、高村がそれ、嫌がってたらどうするんだよ」
 なんだか今日の小糸ちゃんはいつもより冷たい。それ、というのが、しつこく話しかけることや、盗聴器のことを指しているとすぐにわかった。心臓がぎゅっと掴まれる感覚。高村くんが嫌がっていたら、という意地の悪いところを突いてくるなんて。
 実はそこは私も悩んでいることだった。反応や態度から察するに、本心から嫌がっているわけじゃなさそうだけど、高村くんは私にはっきりとした返事をくれない。私が積極的なのがいけないの? おしとやかな女の子の方が好きなのかな。でも、猪に止まれとは言えないでしょ? 高村くんが机を引っ張って元の位置に戻してくれたことに浮かれているのは私だけで、小糸ちゃんの言う通り、あっちはただ本当に机を戻してくれただけなのかもしれない。
 これだけ高村くんを見てきたのに、結局、私は肝心な高村くんの気持ちは見えていないのだ。なんだか虚しくなる。
「そのことなんだけど、お願いがあるの」
 だから小糸ちゃん、私に力を貸してほしい。千春ちゃんの恋に協力する前に、どうしても私は高村くんの気持ちを知りたい。知っておかないと気が済まないよ。高村くんは私のことが嫌なのか、嫌じゃないのか。嫌なら、私はもう背中をペンでつついたりしない。
 ため息交じりに「なに?」と聞いてくれる小糸ちゃんはなんだかんだで優しい。冷たいとか思ってごめん。
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