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文字数 2,069文字

 あっという間に放課後になり、僕はいつものように竹邉から「また明日」を受け取り、教室を出るその背中を見送った。続いて平子も「お先に」と笑窪を浮かべて教室を出て行く。やっぱり助けてくれないらしい。いや、なにを助けてもらえばいいのかもわかっていないけど。
 僕は深呼吸をする。そして重い足取りで中庭へと向かった。
 五、六時間目の授業中ずっと考えていた。もちろん呼び出された理由をだ。平子の言う通り、嫌われているんじゃないかと思うくらいの塩沢さんのあの態度。嫌われるようなことをした記憶すらないからこそ、用事の見当がつかない。
 僕と塩沢さんには「竹邉咲記」という大きな共通項がある。でも、あるだけだ。
 馬鹿を承知で考えた、捨てきれない一つの可能性もある。もしかして、告白でも、されるの、では。だって嫌いな人をわざわざ放課後に呼び出すか? そんなの時間の無駄でしかない。面と向かって「あなたが嫌いです」と言う必要もないだろう。今まで通り会話をしなければいいだけだし、言われる筋合いだってない。
 これは、もしかしたらもしかする、かもしれないぞ。
 なんて、幻想よりも淡い期待を胸の片隅に抱きながら、中庭に着く。塩沢さんは美術室の前にあるベンチに座り、携帯をいじっていた。
 声をかけると塩沢さんは携帯から顔を上げ、僕をじっと見上げてくる。昼休みと変わらぬ鋭い視線に身体が硬直する。メドゥーサと目が合うとこんな感じなのだろうか。まるで吟味されている感覚。そして静かに理解する。やっぱり、もしかしてってないな。
 ベンチに座る塩沢さんと、その前で突っ立っている僕。この状況を平子が見たら、馬鹿にするようにまた笑うだろうな。なにを言えばいいのかわからないけど、これ以上無言のまま向き合っているのも苦しい。とりあえず塩沢さんからの言葉を待つ。呼び出した者として話はそちらから始めるべきだ。
 塩沢さんが携帯をブレザーの胸ポケットにしまう。そして、ようやく口を開いた。
「咲記をたぶらかすのは止めろ」
「………………ゑ?」
 予想だにしない角度から投げられた言葉に、驚きのあまり変な声が出た。
「た、たぶらかすとは」
「言葉のまんま」
 動揺する僕を見る塩沢さんはやけに落ち着いていた。
 竹邉をたぶらかすな……たぶらかすな? 僕は頭の中で辞書をめくる。たぶらかすって、色仕掛けして騙す、みたいな意味のはず。ならば僕は一度だって竹邉をたぶらかしたことはないし、今もたぶらかしているつもりはさらさらない。
 なのに塩沢さんは言う、たぶらかすのを止めろと。どうやってだ。やってもいないことをやめなきゃいけないなんて、無理難題に等しい。
「嫌ならちゃんと言いな」
 考える僕にかけられた声色は、更に鋭さを増している。
「咲記のことが嫌なら、ちゃんと言いな。あの子ただの馬鹿だけど、素直なのは高村もよく知ってるでしょ? あんたがはっきりしないから、咲記はあんな調子なの」
「はっきりって、別に僕は竹邉を」
「あんたにそのつもりがなくても、私にはたぶらかしてるようにしか見えない」
 塩沢さんの言っていることは、なんだか難しい。僕がはっきりしないからいけないという言い分、それがイコールたぶらかすになるのか。それはモテる男のやり口であって、幼馴染目線でそう見えているだけに過ぎない。塩沢さんは僕がモテる男に見えるのか? 見えないだろう? 見えるわけがない。こんな悲しい否定をさせないでくれ。
 そもそも、僕は一度だって竹邉を拒否したことはないんだぞ。
「人の領域に泥がついた靴で踏み込んでくる咲記の言動をさ、嫌だと思わないわけ?」
 最終確認のように問われる。
 竹邉を、嫌だと思うか。
 確かに最初は戸惑った。始まりが履歴書の時点でおかしいだろう。すぐに好きだと言ってくることや、椅子にすら嫉妬することも、正直まだ慣れていない。竹邉の言動に頭を抱えることがあれば、竹邉の笑顔を見て何故か安心している僕もいる。なんてことない竹邉の言動にいちいち反応してしまうくらいには、むしろ僕の方がたぶらかされている。
 盗聴器に関しては、そりゃあ知ったときは軽く引いたさ。恐怖も感じたさ。でも今は盗聴器の存在を知っているからこその余裕がある。別に隠しておきたいようなやましいこともないしね。携帯の目覚ましの音楽が暴れん坊将軍だろうと必殺仕事人だろうと、それを竹邉が面白がって笑ってくれるならそれで構わない。
 金曜日のことを思い出す。森久保さんを僕の彼女だと勘違いして、竹邉が全く僕に絡んでこなかった一日。僕よりも平子と話す時間が多くて、背中をペンでつつかれることが少なくて。高村くん、と呼ばれるよりも、平子刑事、と呼ぶのをよく耳にした。僕にとってひどく落ち着かない一日だった。
 塩沢さん、絶対に僕はモテる男じゃないよ。名前を呼んでほしくて、それに応えるために振り向きたくて。振り向いた先にある、僕に向けられた、ふにゃっとした笑顔が見たいだけの小さい男なんだ。
 だから、僕は竹邉を、
「嫌いじゃない」
 これだけは、はっきりと言えるよ。
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