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文字数 3,660文字

「なあ高村、本屋寄ってっていい? 新しいクロスワードの雑誌欲しい」
「あれ、前はコンビニで買ってなかった?」
「これ難易度高くてやりがいあるらしい。でも本屋にしか売ってないんだよ」
 帰りの支度をしながら平子は携帯を見せてくる。覗けばクロスワード雑誌の画像で、表紙に大きく「難易度アップ!」とある。平子はこの三、四ヶ月ですっかりクロスワードの魅力にはまったらしい。
「いいよ。僕も漫画コーナー見たいし」
 リュックを背負い立ち上がると、後ろから声をかけられた。
「高村くん、平子刑事、私もご一緒していいですか?」
 立候補者のごとく竹邉が右手を真っすぐ上げていた。ご一緒って、竹邉も本屋に行きたいのだろう……ん? つまり、竹邉と一緒に帰るということか?
「竹邉ちゃんチャリ通でしょ。しかも方向も真逆じゃん」
「今日は歩きなんです。それに、本屋の足なので」
 本屋の足。
「なにそれ。まあ、ならご一緒しましょうか」
 突如やって来た「竹邉と一緒に帰る機会」に頭が混乱しているうちに、二人が勝手に話をまとめてしまった。塩沢さんはいいのか。一緒に本屋に行くということでいいのか。まず、本屋の足とはなにか。ラーメンの口みたいなものなのかな。そして結論として、竹邉と帰るということであっているのか。
 二人に早く早くと急かされ、いまだ混乱状態のまま僕達は学校を後にした。
 駅までの道を三人で歩く。竹邉、僕、平子の並びだ。しかし、この状況が落ち着かない僕は、二人の会話に適当な相槌を打つことしかできない。クロスワードは奥が深いとか、稲葉さんとミノリンの関係が良好過ぎてつまらないとか、窪木先生が新しく熱帯魚を飼おうとしているとか。他愛もない会話なのに、緊張のせいで全く楽しめない。
 そんな僕とは反対に、竹邉は教室にいるとき以上に楽しそうだ。声からして違う。教室にいるときがスキップだとしたら、今はトランポリンで飛び跳ねている。
 この状況にも慣れてきて、まともに相槌を打てるようになったときにはもう駅前に着いていた。平子の目的地である本屋は、駅直結のデパートの中にある。デパートに入り本屋のある四階に向かおうとした、そのときだ。
「あー、やっぱ俺今日は帰るわ」
 なんて横暴なことを平子が言い出した。
「なんでよ! 平子が本屋行きたいって言ったんじゃん! 行こうよ本屋! なんなら僕がクロスワード買ってあげるから!」
「うわあ必死」
 改札の方向へ進もうとする平子の腕を掴んで抵抗する。馬鹿にしたように笑う平子には全面的に同意だ。そうだ、僕は必死だよ。ここまでほとんど混乱状態で、道中の竹邉との会話を平子に任せてきた。そんな状態で平子がいなくなったら困る。教室じゃないところで竹邉と二人きりでなにを話せばいい? 二人きりってだけで心臓が落ち着かないんだ。相槌やら返事をするため口を開こうものなら、余計なものが出てしまいそうだ。
 しかし、相手は平子である。他人事を他人事とはっきり割りきれる男である。
「ごめん。真っすぐ帰る足になっちゃった」
 僕の腕を振りほどくと、平子は改札の方へと歩いて行ってしまった。その背中には黒い羽が、頭には角が見える。あいつは紛うことなき悪魔だ。あのときは僕もノリノリだったとはいえ、一度でも平子をキューピッドと思ってしまったことを悔いた。
「と、とりあえず、本屋行こうか」
「そう、ですね!」
 エスカレーターで四階へ向かう。前にいる竹邉が時折振り向いて、なにか言葉を交わすでもなく、ただ視線がぶつかるだけで、やけに体が熱くなっていく。
 いつまでもグチグチ言っているわけにはいかない。決めたじゃないか。竹邉を待たせ過ぎた時間を取り戻すって。平子がいないからってうろたえるな。今後の人生に平子がいてくれるわけじゃないんだ。自分の気持ちくらい、僕自身の力で伝えないと駄目だろ。
 本屋に着き、僕達はそれぞれお目当てのコーナーに分かれた。竹邉は小説、僕は漫画の売り場へ。以前に有馬君に貸したお気に入りの四コマ漫画の新刊が発売されているはず。あ、やっぱりあった。
 無事に新刊を一冊確保し、周辺の棚をチェックする。でも特に気になるものはなくて、竹邉の元に向かった。
「あれ、欲しいものなかったの?」
 小説のコーナーへ行けば、竹邉は手ぶらのままうろついていた。
「え、ああ、はい」
 竹邉にしては歯切れの悪い返事だと思った。目当てのものがなくて悲しいのだろう。でもなかったのだからしょうがない。僕の漫画だけを買い、他に目的もないのでデパートを後にした。
 ……さて、どうしたものか。僕にとって本当の試練はここからだ。平子の置き土産である本屋の用事も済んでしまった。時刻は十六時、帰るにはまだ早いだろう。いや、竹邉はもう用事もないから帰りたいと思っているかもしれない。でも、僕はまだ帰りたくない。漫画を買って帰るだけじゃあ、平子やミノリンと帰っているのとなにも変わらない。
 一丁前に「このあとどうする?」と聞くべきか。なんか下品じゃないか? 電車の本数はまだあるのに、終電を気にしているみたいで。ちらと竹邉を見れば、なんと竹邉も僕を見ていた。その目はなにも語っていない。ひたすら真っすぐに僕を見ている。
 こういうとき、モテる男ならどうする。ああ、モテる男じゃないからわからないんだってば。
「送ってくから、帰ろうか」
 モテない男にできることは、竹邉を無事に家に送り届けることだった。
 竹邉を家に送るため、僕達は線路沿いを歩く。夏の夕方は明るくて、暑さも少し和らいできた。でも風が吹くと蒸し暑さが肌に触れ、じんわりと汗が伝う。
 どこからか聞こえる蝉の鳴き声、夏独特の匂い。隣には竹邉がいて、特に会話なんてないのに、互いに合わせるように無意識に歩調はゆっくりで。薄い影が歩道に二つ並んで伸びている。背丈の違う影に、優しく撫でられたみたいに心臓がゾクッとなる感覚。
「高村くん、あの家見てください。ヒマワリ咲いてますよ」
 描いていた理想に立っていることに、唇を噛みしめた。
「夏、だなあ」
「夏ですねえ」
「あのさ」
「はい、なんでしょう」
「竹邉の誕生日、僕にくれない、かな」
 ああ、ついに言ってしまった。モテる男のようなことを言ってしまった。あまりにも突飛な僕の発言に、思わず竹邉は立ち止まり、口をポカンと開けている。
「た、誕生日って、私の誕生日ですか?」
「そうだよ。竹邉のだって言っただろう?」
 僕達は真っすぐ向かい合う。視線がぶつかり、僕は竹邉の言葉を待つ。夏の全てが、この時間を長く感じさせる。
「お祝いしてくれる予定なら嬉しい限りです。でも、高村くんにだけ誕生日をあげるなんてできません」
 予想外の返事に変な声が出そうになった。
「小糸ちゃんと千春ちゃんも私の誕生日をお祝いしてくれます。男友達と女友達なら、私は女友達を優先します」
 竹邉の目は澄んでいて、凛として力強い。なにかを訴えるような、僕を試すような目。今の僕にはその目の色が、なにを伝えたいかが理解できる。
 きっと、これが最初で最後の機会なんだ。待たせ過ぎた時間を取り戻し、竹邉の手を取るのは今しかない。蝉の鳴き声が僕の背中を押してくれているように感じる。勇気が湧くのを待っている時間も惜しい。そもそも勇気なんて気の持ちようだ、湧いたところで湧いたってわかるものじゃない。
「竹邉、僕は竹邉の誕生日がほしい。だから、僕とつ、つき、つつ、つき……」
 駄目だ。たった一言を伝える勇気が出ない。気の持ちようのくせに。
 なら、僕だけが出せる勇気を出せばいい。
「飛び込んでこい。受け取める準備は、できてる」
 僕は震える両手をゆっくり広げた。竹邉の履歴書を思い出す。通勤の所要時間欄に書かれた「飛び込む準備はできています」の一文を。どこに飛び込むつもりなんだと思っていたけど、きっと竹邉が飛び込みたいのはここだ。
 両手を広げる僕を見て、竹邉はゆっくり口角を上げ、唇を噛む。そして一歩、また一歩と距離が縮んでいく。飛び込むだなんていうから身構えていたのに、思わず頬が緩む。
 シャツをきゅっと掴まれる。情けなくも震えてしょうがない手を、竹邉の背中に回す。僕の腕の中に竹邉がいる。待たせ過ぎた時間を取り戻したつもりなのに、世界は思ったよりもスローペースで動いているらしい。
 手の震え具合がおかしいのか、それとも早すぎる鼓動が面白いのか、僕の腕の中から顔を上げて竹邉は笑う。いつも以上にふにゃっとした効果音がつきそうで、微かに赤い頬が新鮮でどこか懐かしくて、愛おしい。やっぱり僕は竹邉に弱い。この笑顔が僕に向けられたものだと思うと、大抵のことはどうでもよくなる。僕は竹邉には笑っていてほしいんだな。この笑顔が好きだから。
「誕生日、なにしたいか考えておいてね」
「……なんでもいいんですか?」
「流石に限度はあるけど、僕にできることなら」
 僕が竹邉の笑顔の理由になる。だから、竹邉には僕の名前を呼んでほしい。僕はもう、君の耳になってしまっているのだから。
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