(1)夏の置き土産

文字数 2,269文字

 残暑がうざったい九月下旬、今日は文化祭だ。
 俺は人混みを縫いながら、一人で廊下を歩いていた。静かな場所を探しているのだ。どこにいてもテンション高めな声が聞こえてくるし、人は多いし、やたら派手な装飾とか皆の格好に目が疲れる。さっきなんか、お化け屋敷の宣伝パネル持って練り歩いてるぬりかべがいたぞ。デッカいからちゃんと通行の邪魔になってたぞ。
 高村は竹邉ちゃんと、ミノリンは稲葉ちゃんと見て回るっていうから、必然的に俺はひとりになるわけで。ぼっちだぜ、ぼっち。リア充爆発しろーなんて僻んだりはしないけど、やっぱり退屈っちゃあ退屈だ。今日に限ってクロスワードも持ってきてねえし。人が多くて騒がしいから、余計に俺の孤独感が強くなる。よくわかんないけどイラついてくる。あー、やだやだ、寂しい。なんてね。
 特別棟の四階とかなら静かに過ごせるかもしれない。展示している教室がないし、あそこ普段から人いないし。と思った俺は特別棟に向かうため、図書室前の渡り廊下を歩いていた。
「あれ、塩沢じゃん」
 渡り廊下の開いた窓から、中庭を見渡している塩沢がいた。右手には紙パックのオレンジジュースがあって、声をかけた俺に軽く左手を上げて見せた。
「ぼっち? ウケる」
「人のこと言えないでしょ。なに、活気ある若者にはついていけない感じ?」
「それはない、年寄りじゃないんだから。ついていけないっていうか、文化祭とかあんま興味ないんだよね」
「あー、わかる。正直だるいよな」
 わかるわかる、と塩沢も頷く。たかだか文化祭でよくもここまで盛り上がれるなあって感心しちゃうよ、本当に。まあ、こういう空気を楽しめる人間の方がいいのかもしれないけど。
 そんな若くして枯れている俺たちとは対照的に、中庭から大きな歓声が上がった。
「いまなにやってんの?」
「男装女装コンテスト」
「女子が異常に盛り上がるやつじゃん」
 といっても塩沢はつまらなそうにストローを啜っている。
「俺らのクラス大変だったよ。女装コンテストに出るやつがばっちり化粧させられてさ。そんで誰かが、ロングスカートで足を隠して優勝しても勝負には負けたことになる、とか頭悪いこと言い出して」
「もしかして、真ん中にいるミニスカポリス?」
「うん、それ。サッカー部の柏田くんね。なんか柏田くんも触発されちゃったみたいでさあ、今日すね毛剃ってきたらしい」
「まじ? 優勝狙ってんの? 賞金あったっけ」
「ないよ。文化祭だから盛り上がっちゃってんだろ」
 今日に限っては全てのことが「文化祭だから」っていう魔法の言葉で済まされる。踊らされて馬鹿みてえだ。明日からはまた授業ばっかの生活なのに。文化祭とかイベントごとみたいな大きな変化より、コンビニのポテトが期間限定で安くなるくらいのちょっとした変化を求める方が、人間って簡単に幸せになれるのにね。
 だからこそ、こうやって塩沢と話すだけなのに、いつも通りの日常を感じられてすげえ落ち着く。タピオカの出店があったのに、自販機でいつでも買えるオレンジジュースを飲んでいる塩沢を見ると、強めにそう思うね。文化祭だからって浮かれてる空気にイラついてた心も軽くなっていく気がした。
「あんたこそ出ればよかったのに」
「ジョーダンキツイ」
「優勝はできなくても結構いいとこまでいきそうな気がするけど」
「は? 出るなら優勝目指すし」
「それに、刑事なんでしょ?」
「それはそうだけど」
 あだ名だけどな。
「もってこいじゃん、ミニスカポリス」
「……なに、そんなに俺の生足見たかったの? 塩沢のえっち」
 ふさげた調子でそう言ってみたものの、塩沢からは冷めた視線しか返ってこなかった。高村とか竹邉ちゃんなら、なに言ってるんだー、って子どもみたいに騒いでくれんのに。リアクションが薄い人の相手は少し苦手だ。
 塩沢は基本的に冷めてるし、今も無表情のまま俺を見ている。なにこれ。なにこの状況。ポーカーフェイスっていうの? 表情が読みにくいったらありゃしない。ミノリンと同じタイプに見えるけど、仲よくなりゃミノリンって結構簡単に読み取れるんだよな。彼は正直者だから。
「見たかったよ」
「…………はあ!?」
 予想外の返事を寄越されて、すげえ馬鹿っぽい声が出た。まさかそんなふざけたことを言うと思わなくて、俺は思わず塩沢をじっと見てしまった。その瞬間、俺の全てがピタリと止まる。
「嘘」
 騙されてやんの、と塩沢が笑ったのだ。
 目をキュッと細めて、歯がチラッと見えて、口角がちょっと上がっている。高村が言ってた、フフッていう大人っぽい笑い方じゃなくて、イタズラが成功した子どもみたいな笑い方。
 無邪気ささえ感じる塩沢のそんな表情を、俺は初めて見たのだ。
 その笑顔はすげえ新鮮で、なんとなくだけど、塩沢の素顔に触れたような気にもなって。別に、覚えようとか忘れたくないとか決めたわけじゃねえのに、ふとしたときに頭の中に浮かんできそうだなあって思った。こびりついたっていうか、焼きついたっていうか、とにかく釣り針みたいに俺の胸に引っかかる。心臓にトゲが刺さったみてえだ。
「悪い冗談、だよな」
 しかも、かえしのついたトゲ。
「平子も好きでしょ、こういう冗談」
 あんたの生足に需要ないよ、とまた笑う。
 体が熱くなるとか電流が走ったとか、そんな感覚は少しもなかった。実は俺も自分で気づかないうちに、文化祭だからって浮かれてたのかもしれない。けど、文化祭だから、っていうくだらねえ理由で片づけたくもなかった。
 中庭を眺める無邪気な横顔を、ただ塩沢は可愛いと思った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み