3月28日。美術部の課題に取りかかる

文字数 4,042文字

(はぁ……)

午前9時。春休み期間中だがボリシェビキや部活動のある生徒を中心に学内は賑わっている。美術部と同じ文科系の部活が集まるこの棟で管弦楽部の甲高い演奏が響くのは日常の風景。たまに指揮者と思われる男の怒声が響くのが大変に不快だ。

ミウは絵を描くのに集中するためソニー製のワイヤレスイヤホンを装着した。
曲目は父親が好きなバッハの協奏曲の名曲集。
バロック時代に流行した通奏低音のリズムが心地よい。

コンコンと、扉がノックされる。なんとなく控えめなので女子かなと思う。

「鍵は開いてるのでどうぞ」
「はい。失礼します」

諜報部の宮下委員だった。
今日もしっかりと眼鏡をつけており生真面目そうな雰囲気だ。

「今日はおひとりですか。堀先輩はどうされました?」

「彼は朝寝坊しちゃったから午後からゆっくり登校したいってメールがあったよ」

「朝寝坊ですか……。
 あの方は昨日の様子がちょっとあれでしたが大丈夫ですか?」

「彼はたまにああなることがあるけど、
 立ち直るのも早いからほおっておけば大丈夫」

「わかりました。ではこちらの要件をお伝えします」

「うん」

「昨日の一件の後、広報部の子たちがですね、
 ぜひ高野さんと堀さんとお会いしたいと言っているんです」

「Give me a second.
 それって日本語がおかしくない? 
 昨日の一件って完全に私たちの失態だったよね。
 それなのに広報部の子たちが私たちに会いたがるってどういうことなのよ。
 私は大恥かいちゃったんでむしろ会いたくないんだけど。」

(今、とっさに英語が出ましたね。データ通りです)と宮下は感心しつつ、

「いえいえ。むしろ逆なんですよ。目の前で男女の真剣な恋愛模様を
 見せてくれたのでその後の展開に興味津々だとか。
 仕事というか個人的な理由でおふたりともっと話をしてみたいと言ってますよ」

「ちょっと。恋愛って、今確かに恋愛って言ったよね?
 私と太盛君が恋愛関係にあるってことを
 認める言い方をしたら規則違反になっちゃうよ」

「そうでしょうか。私は問題ないと思います」

「ええっと……?」

「高野さんが堀先輩のことを好いていることは全校生徒が知っている、
 いわば周知の事実ですよ。あなた方は超が付くほどの有名人ですからね。
 学園のアイドルか芸能人みたいなものです」

「アイドルって言われると少しだけうれしいけどさ、
 もしかして馬鹿にしてないよね?」

「まさか。純粋な誉め言葉です。
 橘さんが中央に無理を通して例の申請書を出したことを
 うちの部では把握してます。その時の行動が監視カメラに写ってますから。
 高野先輩があの方のことを好きでいることはなにもおかしいことではないと、
 諜報部ではみんながそう思ってますよ」

「それ本当!? 私の味方をしてくれる人がここの部にいるってこと?」

「おそらくたくさんいると思いますよ。
 私の意見を言わせていただきますと、好いた惚れたは人の
 自由なのですから、高野さんが仮に堀さんと付き合うように
 なったとしても、それもまた自然の流れでいいと思ってます。
 でも中央の人たちは頭が固くて規則規則と口うるさいんですよね」

「そうそう!! 
 中央委員部の奴ら、陰険だし裁判で人を罰する立場だからって
 偉そうなのが腹立つんだよね。近藤の奴も今でもすっごく腹立つよ!!」

「うちの部の先輩たちも私が入部したころからずっと同じこと言ってますね。
 基本的に諜報と中央は犬猿の仲ですから、
 あちらが決めたことにこちらはなんでも噛みつきますよ。
 あとこれも高野先輩は知らないと思いますけど、先輩の
 マニフェストだった中央委員部の廃止を陰で支持してる人もいたんですよ」

「へーそうなんだ。確かにちょっとだけ私に票が入ってたんだよね。
 自分でもめちゃくちゃなこと言ってた自覚はあるから不思議だなって思ったけど、
 私も生徒から全く支持されてないわけじゃなかったんだね。
 選挙中に全校生徒相手に毒ガスとかで脅迫までしたのにね」

「毒ガス脅迫事件の件も、我々の部が当事者ですからそんな秘密兵器などなく
 ただの脅しだったと全員が知ってましたからね。
 あれはもとはと言えば中央の人間が過剰反応してしまたったことが
 原因で恐怖が蔓延したんですよ」

二人の会話が盛り上がっていく。ミウは褒められて良い気分になっていたが、
エリートボリシェビキ宮下の方には打算もあった。まずこの先輩だけでも
広報部の手伝いをするように仕向けないと冊子の仕事が完成しないのだ。

諜報広報委員部には歴代の規則がある。

・納期厳守。仕事は確実に速やかに終わらせる。
・助け合いの精神。
・油断慢心こそ最大の敵。初心を忘れるな。

他にもたくさんあるが、今のはそのうちの一部だ。
冊子は作り終えてから相当な部数を印刷する必要がある。
それを計算に入れたうえで作業を終わらせないといけないのだ。

デジタル全盛のこの時代に印刷かと思われるかもしれないが、
デジタルになれた若い世代だからこそ、
紙を手に取り読む楽しさを知ってほしいとボリシェビキは思っていた。

色のついた紙面でイラストを見るのはデジタルとは違う感動があるのだ。
ソビエト連邦建国時よりビラやポスターによる宣伝は繰り返し行われてきた。

宮下は早速ミウを連れて広報部の仕事部屋へ足を運ぶ。

「高野せんぱーい」

と女子たちが集まってくる。昨日と違ってみんなニコニコしてる。
部に一人だけいる男子は少し離れた場所で必死に愛想笑いをしていた。

「みんな、おはよう」

「「「おはようございます」」」

「昨日はあんな恥ずかしいところを見せちゃったのに呼んでくれてうれしいよ。
 時間もないからさっそく仕事の話をしようか。本当は自己紹介をしてから
 にしたいけど仕事中にみんなの名札を見ながら名前を覚えていくね。
 まず私の書いた原案がいくつかあるんだけど最初に謝らせて。ごめん。
 これ実は昨日家で1時間で描いたものだからしょぼいと思う」

まずミウが描いたのは、広報部の人気小説「突撃。魔女飛行隊!!」
(独ソ戦におけるソ連邦女子航空隊の壮絶な生涯を描いた小説を参照にした作品)
のキャラクターイラスト。

ミウは古典的な絵画が得意な太盛とは逆に
愛らしい少女のイラストを描くのが得意なので
「艦これ」(敵国、日本帝国の艦船)を参考に史実のソ連邦英雄の
リディア・リトビャク、マリーナ・ラスコーヴァなどを描いた。

史実の英雄の顔が、今風の大きな瞳と短い手足で
デフォルメされた容姿がなんとも愛らしい。
彼女らの搭乗機も同じように小型化して、戦争に興味がないであろう
新入生らでも抵抗なく戦争の世界に没入できるように工夫がされている。

ミウは大きなスケッチブックにそれらのイラストを多数掲載した。
また冊子の表紙の飾るための広報部のキャラクターの原案も書いてくれた。
いずれも、えんぴつでの下書きの段階だが完成度は高い。
グラデーションはしっかりと行っているし、
特に強調したい部分にだけ色鉛筆で着色している。

宮下が眼鏡のずれを指で持ち上げながら感心している。

「これは・・・・・・上手ですね。
 同人として出展したら十分にお金をいただけるレベルかと」

「こんなの売りに出したら笑われるよ。太盛君の油絵に比べたらお遊びレベル」

「でもすごいと思いますよ。
 私は絵に関しては素人ですけど素人目に見ても上手だと思います」

ミウは褒められたのでついうれしくなる。

「部のみんなはどうかな? これはあくまで案だから、改善とかダメ出しとか
 あったら遠慮なく言ってくれていいよ。注文されたとおりに直していくから」

部員たちはふるふると首を振った。

「直すとこ、ないです」
「これで色を塗ってくだされば、完成すると思います」
「私も同意します」
「私もです」

部員は新2年生から3年生まで含まれているが、
ミウと同学年の人までミウに対して低姿勢で敬語を使ってくれる。
ミウはまさか一発目でオーケーをもらえると思ってなかったので驚いた。
みんなが自分のイラストを気に入ってくれているのだ。

にっこりと笑い、

「良かった。変にダメ出しとかされなくてほっとしたよ。
 今日は時間取らせちゃてごめんね。私がここにいると邪魔だろうから
 続きは美術部に戻ってから仕上げちゃうから、ちょっと待っててね」

「あの先輩。お茶が入りました……」

「え? お茶? ありがとね。
 君、男子なのにお茶出してくれるなんてめずらしいね」

男子の部員は、ニコニコしている。
口数は少ないが、これが彼なりの精一杯のお礼なのだ。

「高野先輩、バタークッキーです。どうぞ」 と女子の一人が紙皿を差し出す。

「クッキーもくれるの? 
 気が利くねえ。ありがと。私バタークッキー好きなんだよね」

「知ってます……」

「ん?」

「諜報部の……データベースに載ってます。
 高野先輩のお好きなお菓子のこと……」

ミウは自分の個人情報が改めて知られていることに寒気を感じたが、
それ以上にこの子たちなりの感謝の気持ちが伝わるのでうれしくなった。

「クッキーもあるなら紅茶でも飲みたくなるね。なーんて」

「いま……先輩のお好きなダージリンを淹れてるので少々お待ちを……」

「ちょ……あのさ。気持ちはすごくうれしいんだけど、
 私には仕事があるんだよね。
 1枚のイラストを色付きで完璧に仕上げるのに書き直しも含めて
 3時間くらいはかかるから、今すぐ取り組まないと時間なくなっちゃうんだよ」

「ここで……やればいいのでは……」

「Even if you say that, 
 ここはあなたたちの仕事場なんだし私なんかがいたら邪魔にならない?」

部員全員が首を横に振る。

「いとうぃるびぃおうけい」
「ようあうえるかむ」
「絵に必要なものがあれば私たち、運びます」

「書くのに必要なのは鉛筆と色鉛筆だけだから運ぶものは特にないよ。
 今回のは本格的な絵画じゃなくてイラストだからさ。でもありがとね。
 それじゃ、お言葉に甘えてここで仕事しちゃうね」

ミウはクッキーを少し食べてから真剣にイラストを描いていった。
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