反革命容疑者 宮下楓 3

文字数 8,941文字

宮下が与えてくれた小休止。6時間目の授業の時間が終わりすでに放課後。普段なら生徒たちは部活動をやっているはずだが、学園内ではボリシェビキを除く全生徒が教室から出ることを許されていない。人間なのでトイレに行きたいし水も飲みくなる。極度の緊張による精神的な消耗により体調を崩す生徒もいる。特に貧血やぜんそくなどの持病を持つ生徒にとって過酷な環境だった。


宮下【さっきも言ったけど、休憩に行く人は各クラスごとに男女1名ずつだよぉ。ちゃんと決まりを守ってくれないと、楓ちゃん怒っちゃうぞ☆ てゆーかマジぶち殺しちゃうかもしれないから気を付けてね。行ける場所は自分のクラスから最寄りのトイレのみ。私が指定した場所じゃないところに行く人はぁ、いけない人だよ☆ あ、でも自販機でジュースを買うのは許可してあげる。買いに行くのがめんどくさかったらクラス委員がまとめてクラス分の飲み物を買うとかでもおk】

水分に関してはペットボトルや水筒持参の生徒が多いので特に問題はない。トイレに行くのに廊下に出る必要があるのだが、これがまた怖い。廊下にもどんな罠が仕掛けられているか分かったものではない。そこで生徒の身の安全のために中央委員と組織部から委員が派遣されていた。

「みなさん!! 廊下を歩くときは必ず1列になって歩いてください。
 焦らず落ち着いて。壁や床には手を触れないようにして真ん中を歩いてください」

1年のフロアでは組織部代表のナツキが誘導係をしてくれていた。
背が高く声が良く通るので遠くからでもよく目立つ。

(あの先輩は6月に強制収容所の案内係をしてくれた人だ……)
E組から出てきたのは威勢のいい男子の山崎だった。彼は病気の女子に肩を貸しながら
廊下を歩いていた。せっかくもらえた休憩の時間だ。まずはこの子を保健室に連れて行かないといけない。

「おいそこの君!! 体調不良の女子がいるのか!!」
「は、はい。高熱があるみたいなので今保健室に連れて行こうかと」
「了解した。僕が代わりに連れていく。君はトイレに行ってきなさい」
「わかりました。この子のこと、よろしくお願いします。先輩」

トイレで窓から夕暮れの景色を見た時、山崎はこう思わずにはいられなかった。

(ああ、今頃俺の両親や妹は普通の日常を送ってるんだろうな……。俺はどうしてこんな学園に入っちまったんだ。どうして俺は今生きるか死ぬかなんてことを考えてるんだ。こんなのまともな学生の考えることじゃない。ここはまともな学園じゃない。
神様。もし神様がいるんだったら俺を中学時代に戻して下さい。中学の頃に戻って人生をやり直したい……)

家族の顔を思い出す。思わず涙が止まらなくなってしまう。鼻水も出た。
洗面台で顔を洗い、ハンカチでふく。トイレから廊下に出る。
早く教室に戻らないと順番を待ってるクラスメイトに悪い。
(情けねえな。今は泣いてなんかいられねえんだ。俺は絶対に生き延びてやるぞ)
彼が廊下に出た時に事件は起きた。

【きゃあぁぁあああああああああああああぁぁあああああ!!】
【なんだこれはああああ!! 目が痛いよぉおおお!!】
【げほげほっ! 苦しい!! 息ができねええええええ!!】
【何も見えないよぉ!! 神様!! 神様あああああああああああ!!】
【お母さん助けて!! 私まだ死にたくないよおおおおおお!!】

「!?」 山崎はちょうどC組前の廊下を通りかかったところだった。
C組の中で一体何が起きているのか。しっかりと絞められた扉から少しだけ白い煙が漏れている。ナツキや他の委員も現場に駆け寄るが、何が起きたのか分からず、扉の前で立ち尽くし戦慄している。

宮下【はいは~~~い。楓ちゃんでーす☆ ただいま緊急ニュースが入りましたのでお知らせいたします。私の原稿の読み方、なんだかNHKっぽくない? たった今1年C組の教室にて事件が起きました。それはなんと、窓ガラスを開けて外へ脱走しようとした人がいたんです。脱走じゃなくてマラソンがしたかっただけだと思いたいんですけど、なんだか逃げてるっぽかったのでその生徒は私の仲間が狙撃しちゃいました。あ、狙撃って言ってもパチンコ玉を後頭部に当てただけだら死んでないよ】

ナツキは直ちに外に駆け出して狙撃されたとされる生徒の安否を確認しに行った。

宮下【連帯責任ってことで、C組の生徒は強制的にお昼寝の時間にしちゃうことにしました。ただ今の時間ですね、C組の教室に催眠ガスを散布させていただきました。このガスを食らうとちょっと目が痛くなるんですけど、致死性はないのでご安心を。ちなみに天井のエアコンがありますよね? 学内の全クラスのエアコンダクトの中からいつでガスを噴射できるようになってます。参考までにC組の様子を生中継しちゃおう】

各クラスの天井から吊るされたモニター画面に恐るべき光景が映し出された。

C組の生徒は、全員が床に倒れていた。
手にハンカチを持った人。あおむけに倒れた人。涙を流したまま目を見開く人。
椅子の上に覆いかぶさるように体をくの字に曲げる人。いろいろいた。
宮下は散布したのは催眠ガスであり致死性はないと言った。確かにそう言った。
しかし、その発言を信じられる者は一般生徒の中に誰一人いなかった。

C組は「お昼寝中」のために宮下の許可なく入ることは禁止された。
それは死体をそのまま放置すると宣言したのも同様。実質的に教室が封鎖されたのだ。

1年E組の生徒もさらなる絶望に支配される。こうなってしまうと
もはや楓ちゃんに失言をしただけでもクラス単位で抹殺されることは確実。
謎のガス兵器に比べたら今までの電流など可愛いものだ。

「ば……馬鹿な奴らね。脱走なんて考えるからああなるのよ」
上田は、震えながらそう言った。

他の女子も賛同する。
「C組の人たちってバカの集まりなんだよきっと……」
「あいつらは楓ちゃんに逆らったんだから当然の報いだよね」
「私たちは違う。私たちは今日から楓ちゃんに忠誠を誓おうよ!」
「うんうん。これからは楓ちゃんの時代だもんね!!」

女子たちは2つ隣のクラスの人たちが全滅したと思われるこの状況で
楓ちゃんの判断を称えるために拍手をするに至る。時勢や流行に弱いのは
有史以来の女子の必然ではあるため不自然な現象とはいえない。
彼女たちはある意味 生き延びるための最善の選択をしているのだ。

男子は逆にひそひそと相談をしていた。
「脱走した奴が狙撃されたってのはどういうことだと思う?」
「宮下さんの仲間でスナイパーがいたってことじゃないのかよ」
「撃たれた奴は死んだのか……?」
「おいあそこ。校庭に委員の先輩たちが集まってるぞ!!」

彼らは休憩時間を与えられたことでイスを立っても電流が流れないことを知ったので窓際による。1年生の教室は1階で校庭に近い位置にあるので外が良く見えた。

狙撃されたのは男子生徒だった。しかも1人じゃなくて2人いる。意識がないのかすでに死んでいるのか、ナツキたちが彼の足をもって乱暴に校舎内へ引きずっていく。E組を初め窓際から見ていた学園の生徒たちには死体を運んでるようにしか思えなかった。

「教室から外に出たら撃たれて殺されるってことだな……」
「しかも相手はたぶんプロの狙撃兵だ。どこに潜んでるのかもわからん」
「仮にスナイパーがいなかったとしても校門が戦車でふさがれてる」
「そして教室にいてもガスで殺される……か」
「軍隊に校門が封鎖された時点でもう詰んでんだよ……」
「いっそ裏口の電流金網バリケードに自分から突撃して自殺すっか……」
「キャーキャーわめいてる女子がうらやましいぜ……」
「きっと俺らとは脳みその作りが違うんだろうな……」

男子たちには騒ぐだけの気力がもう残っていない。夏休み前は夢美派が多かったこのクラスも今は女子を筆頭に楓ちゃん派に手のひらを返しつつある。この危機的状況でクラス内の世論はすでに無力となった夢美を必要としていなかった。

まだ休憩時間は続いている。生徒たちが交代で次々にトイレに行くが、それも永遠には続かない。宮下は生徒たちが退屈しないようラジオ放送を続けている。

宮下【ギャルるうううん!! 全校生徒のみなさーん。またしてもビッグニュースです。なんと校長先生がラジオに参加したいとの申し出があったので、今回はお電話での登場となりまーす☆ 校長先生、こんばんは!!】

校長【こんばんは!! さっきまではこんにちはだと思っていたのだが、
もうそんな時間になってしまったのかね!!】

宮下【それはそうですよ。もう日も傾いてきましたしね!! 校長先生くらいのお年の方ですと、1日が経つのって早いってよく聞きますよね。校長先生はどうですかぁ?】

校長【はは。それはもう!! ついさっきお昼を食べたと思っていたらもう夕飯時だよ!! なんだかお腹すいてきてしまったな!! ラジオの収録中なのにすまないね】

宮下【いえいえ。私だってお腹すいてますからお気になさらず☆ お腹すいた時は
なんといってもファストフードですよね!!】

校長【お、君の好きな食べ物といったらモスバーガーかね? 実は私もジャンクフードは好みなのだw学園の規則に抵触するのでここだけの話なのだがねw】

宮下【えー規則とか関係なくないですか? 校長先生もこのラジオに出演してくれてるってことは、楓ちゃんと同じで今風のキラキラ人を目指してるわけですよね。でしたらどんどんモスバーガーを食べましょう!!】

校長【いえーい!! モスの話をしていたら本当に食べたくなってきてしまったねw
ところで宮下君の近くにおすすめのお店とかないのかね!?】

宮下【……】

校長【ん?】
 
宮下【いえ別に。なんだか私のいる位置を知りたそうな感じの話の持って行き方だったので少しだけ警戒しちゃったんですよね】

校長【まるで私をセクハラおやじみたいな言い方をしないでくれたまえよ君ぃ!!
私が君のいる場所なんて興味ないよ。ただお腹がすいたので近くのお店でもないかなと…・…】

宮下【はいはい。言い訳はいいです。なんかムカついたのでそろそろ本音で話してもいいですよ。で、私に何か聞きたいことでも?】

校長【あれは昨年の秋。文化祭の一般参加の日だった。私は宮下楓君の両親と挨拶をしたことがある】

宮下【……】

校長【君の両親はいかにも良い仕事についている感じの夫婦で愛想もよく話し方も丁寧だった。私は談笑しながら家での娘さんのことについて聞いた。両親はこう答えたのだ。うちの娘は家ではあまりしゃべらない方で机に向かって勉強していることが多いと。小さい頃から姉は活発な方だが妹の君はおとなしいタイプの子だったと】

宮下【……】

校長【口数が少なく真面目な女生徒。生徒会の仕事は熱心。遠距離通学だが学園には常に始業の1時間前には着いている。私の知っている君の印象は、君の両親の話したこととそう変わらないものだった。なぜだと思う? それが本当の宮下楓だからだ。今の君とは違う】

宮下【私は楓ちゃんですよ?】
校長【違う。君は別人だ。別の人格が宿っている】
宮下【私に喧嘩を売ってるつもりですか】
校長【私は教員だ!! 君の今後のためを思って言っているんだ!!】
宮下【楓ちゃんを否定することがどこが教育なんですか】

校長【君だって本当は取り返しのつかないことをしていることを分かっているはずだ!!宮下楓君は、近藤サヤカ政権の中核の人材であり常に生徒の幸せを考える優しい女の子だった!! ガスで何の罪もない1年生を生徒を殺すなんて君のすることじゃない!! 今からでも遅くない!! こんなことはやめるのだ!!】

宮下【だってさ……。ねえ私の友達の夢美ちゅわん。君って…あ…寝てるよ…】
校長【夢美君と君も何の関係もなかったはずだ。なぜ夢美を巻き込んだのだ!?】
宮下【だから楓ちゃんと夢美ちゃんは仲良しだって】

校長【嘘だ!! 今まで君たちふたりに接点などなかったはずだぞ!! 私は幹部会議にも毎回出席しているから君のことを少しは知っている!! 宮下君は自分の部の人以外との交友関係は皆無に近いはずだ!! それなのに1年の女子が友達なんてありえない!!】

宮下【女子に対してそういう言い方をするとセクハラですよ】
校長【セクハラでもなんでもいい。私は君を止めに来たのだよ!!】
宮下【校長先生、必死すぎてちょっと引きます】
校長【必死にもなるさ。君とのラジオに全校生徒の命がかかっているんだ!!】
宮下【別に殺すつもりはないんだけどなぁ】
校長【夢美は生きているのかね!?】
宮下【寝てるってさっき言ったじゃん】
校長【頼む。夢美を開放してくれ!!】
宮下【それは無理な相談ってわけで。今日は夢美を使って楓ちゃんラジオのメインイベントをする予定なので無理です。さーせんって感じだよね】
校長【イベントだと? なにをするつもりだ】

宮下【生徒会選挙の予備選です】
校長【選挙の予備選? まさか君は……】
宮下【君ぃ。私がこれだけ説明してもわからないのかね? 察しの悪い校長だね。今日のラジオで私が冒頭で話した内容を覚えているかね? 私はこう言ったのだよ。楓と夢美は共にライバル同士。共に生徒会長を目指す親友同士だと】

校長【このタイミングで選挙をやろうとしているのか!!】
宮下【だから私はそう言ってるだろう。君ぃ】
校長【バカな……完全にバカげているぞ。我々は鬼畜米国とは違う。ボリシェビキ政権に予備選挙などない!! 11月8の総選挙の一発で最高権力者が決まるのだよ!!】

宮下【実にくだらんね。そんなだから君は学生からオールド・ボリシェビキと呼ばれるのだよ。私と親友の夢美ちゃんは今次近藤サヤカ政権まで続いた64代の伝統を破壊しようと言っているのだよ】

校長【君は自分が反乱分子であり反革命主義者であることを自覚して言っているのかね!! 我が各園の鉄の規則にのっとり、すでに宮下君だけでなく君の家族や親族まで連帯責任で収容所行きになることが決定しつつある!!】

宮下【キャハハ。それは私を逮捕できた場合に限るんじゃないのかね。ところで君たちは昼過ぎから私の居場所を探しているようだが、私の居場所は発見できたのかね?】

校長【……そうなのだ。君の居場所がわからなくて諜報部の人間もそろそろ体力の限界に達しつつあってね。今も学内の床や天井裏まで入り込んで捜索を続けている。君の自宅まで捜索に行ってる警察課の人もる。このまま夜まで残業するには彼らがあまりにも気の毒だとは思わんかね?】

宮下【でも彼らのことなど私には関係ないんじゃないのかね? 疲れたのなら楓ちゃんの捜索など中断すればいいだけの話だ】

校長【ところで宮下君。君はすでにこれだけの犯罪を犯したのだから栃木ソビエト共産党当局のみならず資本主義日本国の司法でも裁かれる立場になるわけだが、今回の事件が終わった後に海外などに逃亡するための資金が必要が欲しいとは思わんかね? 実は私にはそれなりの資産があってだね。さすがにすぐにとは言わんが、遅くとも3日以内に1,000万円ほどの資金が用意できる】

宮下【たったの1,000万では小金ではないのかね?】

校長【……っ。そうか。それは失礼したね。では金額を少し引き上げよう。5,000万だ。5,000万円ならどうだ? もちろん日本円だ。これだけの金額あれば欧州でも南米でも好きなところに行けるだろう。いっそ中東のサウジにでも逃げられるぞ】

宮下【キャハ♡】
校長【宮下君……】
宮下【キャハ!! アハハハハハハ!!】
校長【宮下君!! 返事を聞かせたまえ!!】
宮下【たったの5千万じゃねえ、ぜんぜんっ足りないよ☆】

校長【学生の君にとってはかなりの大金だと思うが、君の金銭感覚では5千万が小金に思えるのかね。失礼だがスパイ課が調べてくれた宮下家の家計資産より額が大きいはずなのだが】

宮下【楓ちゃんはもっと大きなお小遣いを持ってるもん!!】
校長【お小遣いか……では参考までにどのくらい持っているのか教えてくれ】
宮下【手元にあるお小遣いは9億円かな】
校長【……??? 私の聞き間違えではないのか】
宮下【だーかーらー。9億よ。ラジオ中に聞き直すとかノリ悪い】

校長【悪いがとても信じられん。宮下君は17歳の女子高校生のはずだ。君の経歴は学園外の仕事でアルバイトなどをした経験はない。君はボリシェビキだが学校では無償労働をしているので賃金を得たことが一度もないはずだ。そんな君がなぜ9億持っている?】

宮下【貴様!! 分かっているのか!! 今は資本家に搾取される奴隷労働でコツコツ稼ぐ時代ではなくなった。自分のお小遣いは自分で頭を使って得るのだ!! 
時代は変化したのだ!!】

校長【その口調は……今度は井上マリカ君のモノマネかね。悪いが全く似てないよ】

宮下【校長貴様!! この私に対して図が高いぞ!! この私がどうやって9億円を手
に入れたのかこれから説明しようとしてるのに貴様のその態度は何だ!!】

校長【そうか。ならば遠慮なく話してくれ。もっとも井上君はそんなしゃべり方をしないがね。それでは彼女が暴君のようになってしまっている】

宮下【私はこれでも諜報広報委員部の代表の代理を務めている!! 決して簡単な仕事ではないのだ!! 次席とはいえ代表の地位にあるものは、全委員の仕事を管轄する立場にある。私はうちの委員の仕事内容をすべて把握している。諜報部には我が学園の財産を運用する資産運用課があるが、資産運用課が運用するファンドの名前を君は知っているか?】

校長【ま。まて……君はまさか資産運用課のGMAファンドから金を奪ったのか!!】

宮下【ふ……私のハッキングスキルを侮(あなど)るなよ。私は1年生の時に最初に配属となったのがサイバー・セキュリティ課だったのだ】

校長【サヤカ君!! 聞いての通りだ!! 直ちに諜報部のデスクに向かってくれ!!】

校長が言うまでもなく、館内放送を聞いていたサヤカは諜報部ですでに待機していた。
宮下の資金源の謎も気になるが、宮下の自宅を捜索している委員たちの報告を聞くためでもある。サヤカは、宮下捜索中で学内のどこかにいるでろう羽生田に招集命令を出す。羽生田は息を切らして戻ってきた。

羽生田はデスクトップのマザーPCをしばらく操作する。
髪の毛が一瞬で総白髪になるほどの衝撃を受けながら会長に報告をする。

「会長。やられました……何者かによって取引PSが変更されています。先日のどこかの時点ですべての資産が、我々の把握していない口座にむけて移管されています。
我々が管理している5つの証券口座、予備の3つの現金口座も残高が綺麗に1万円になっています。盗まれた額の総額は、昨日の時価でおそらく9億は超えます」

衝撃のあまりその場に崩れ落ちそうになるサヤカを、高木がそっと支えた。

「大丈夫ですか会長!! お気を確かに!!」
「だ、大丈夫よ。ちょっと目の前が真っ暗になっただけ」
「会長殿……顔色が悪過ぎますな……。直ちに保健室に行きましょう」
「保健室はもう人でいっぱいよ。私が生徒に迷惑をかけるわけにいかない」
「ではせめて簡易ベッドにどうぞ。応接スペースの裏にありますので」

高木はめずらしく怒鳴り散らした。「おまえたち、早くベッドを出せ!!」
委員たちが疾走する。ベッドは壁収納式になっており、使用時は壁から引き出して
使うようになっている。枕や布団はクローゼットの中に収納してある。

「ごめんねぇ。みんな。少しだけ休めば大丈夫だから」
「会長閣下……」

サヤカはベッドに横になり、怒りとやるせなさのあまり小刻みに震えていた。
宮下の居場所はまだわからない。1年E組で電流事件があり、C組で毒ガスと思われるものが噴射された。宮下は狙ったかのように1年生ばかりに危害を加えた。

運よく物理的な被害にあわなかった生徒も心まではそうじゃない。ラジオの休憩時間中に保健室に行く生徒が激増して一瞬で保健室が定員割れになり、床や廊下で横になっている生徒もいる。体調不良者のほとんどが1年生だった。彼らのために中央委員と組織委員は総出で面倒を見ている。頭痛、めまい、突発的な吐き気、寒気、悪寒。症状は様々だが、持病のぜんそくが悪化して大きな咳をしている女子が特に気の毒だった。

「大丈夫よみんな。大丈夫。宮下はすぐに私たち生徒会が逮捕するからね」
気休めにしかならないと知っていながらも、エリカは一人一人の生徒に声をかけて回った。泣いてる女子の手を握り、男子の肩をそっと叩いていく。ユウナもナツキもエリカのまねをしてみんなを言葉で励ました。モチオだけはいつもと違って無口だった。

昨年の地獄の選挙を乗り切った上級生組である2年3年生の多くは体調不良になるほどではなかったが、女子は恐怖のあまり泣きはらし、男子は言葉を失う。
1年C組で起きた虐殺事件は他人事ではない。次は自分たちの番だと全員がそう思った。学園中が恐怖によって支配されつつあった。

サヤカが倒れた一番の理由は、資産運用課で奪われた資産のためではない。
一番に守ってあげなくてはならない1年生のクラスでガスが散布されたことだ。
皮肉なことに前回の選挙でミウが脅し文句として使ったはずのガス攻撃が実際に発生してしまったのだ。

「さっきからね、頭がすごく痛いのよ。この感覚は昨年の公開討論会の時以来だと思う。ちゃんと1日7時間以上の睡眠もとってるし医者にも見てもらったから今年は大丈夫だと思ったんだけど、また片頭痛になっちゃったみたい」

「会長閣下。お体の状態が良くなるまでしばらくここで静養してください。井上副会長やナツキ君、諜報部代表の自分も健在です。モチオ君やエリカさんもいます。心配なさらなくて大丈夫です。あなた様の作った政権には力強い仲間がたくさんいるではないですか」

「うん。ありがとうね。高木君。こういう時は……あの男が、モチオがそばにいてくれて手でも握ってくれたらうれしいんだけどな……」

「恐れ入りますが、モチオ君は今も職務に忙しいため、それは……」

「わかってるわ。言ってみただけだよ……」

サヤカは寝返りを打って目を閉じる。
高木に泣いている姿を見られたくなかったからだ。
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