3月26日。春休み初日。クラス裁判が続いている

文字数 5,258文字

議事録の係を命じられている眼鏡をかけた理知的な男子が、
裁判官のマサヤに対して質問する。

「書面上は3年A組と記載した方がよろしいのか?」
「そうだ。春休み開始と同時に我々は3年に進級したことになる。
 その通りにしなさい」
「はい。ではそのように……」

議事録に正確なクラス名を書き残していく。
あとで中央部に提出しなければいけない一次資料なので
一言一句間違えぬよう記載する必要がある。
クラス名を表記するのも間違いは許されない。

発言内容を書き残すための女子の速記係がついている。
この裁判にて音声による録音や盗聴は常に行われてはいるとはいえ、
昔ながらのアナログ式での記録術を身につけておくのも、
将来日本の内務省などに潜伏した際に役に立つ技能だ。


今日で裁判を行うのは累計7回目となってしまっている。
三学期中に終了しなかったので春休みまで延長となってしまったのだ。

クラス裁判とは本来の規定に従うならば、多くてもせいぜい2~3回程度で
話し合いの決着がつき最後は陪審員の多数決によって刑が決まるのだが、
その話し合いの決着がつきそうにないのが問題なのだ。

議事録の男子と速記の女子が、互いに耳打ちする。

(俺たちは今日から三年生になったな。
 まさかこんな形で進級を迎えるとは思わなかった)

(私なんて今日別のクラスの友達と出かける予定だったのに、
 それをキャンセルしてこの茶番のために登校してるのよ)

他の生徒の多くも同じように思っていた。特に修羅場系の恋愛なんて興味の無い
男子のクラスメイトは堀太盛に対して殺意すら抱くようになっていた。
皮肉なことに太盛のストレスと緊張で消耗しきった態度が
可愛いらしいと一部の女子の間で彼の人気が高まっていた。

この学園では、一学年時のクラス編成がそのまま3学年続くので
途中でクラスメイトの変更は原則としてない。ただしクラス内で
収容所行きになるなどして人数が減ることはよくあることだが。
つまりクラスの人数が減ることはあっても増えることはないのだ。


「おほん。これより裁判を開始する。では、前回の続きだが……」

マサヤ裁判官が手元の書類を読み上げている間、エリカとミウのふたりは
すでに視線で火花を散らしあっている。相手を攻撃するための
材料は家でたっぷりと考えてある。あとは交互に発言しあうだけだ。

「ではまず高野さんへの質問から入ります。前回の橘さんからの質問にあった、
 美術部の活動とは別に保安委員部との不自然ともとれる接触の多さを
 どう説明するのか。裁判が長引いているので簡潔に答えてください」

「だーかーら、前回までに結論は出てるはずじゃん。
 私は保安の仕事がどんなものか気になったから収容所とか執行委員の
 訓練施設を見て回ったの。ついでに外国人の人と英会話したりして
 楽しんだだけ。英語もたまには話さないと文法とか単語を忘れちゃうんだよ。
 それに私、美術部員だから生徒会との兼任はできないじゃん?」

「兼任の件ですが高野さん。あなたは初回の裁判の時、
 堀君のセクハラ疑惑での質疑の際、自分は諜報部に
 所属していながらも美術部員だった旨の発言をしています。
 あなたは虚偽の発言をしたのではないですか。
 実際はどちらに所属しているのですか」

「美術部だよ。美術部。私は前の選挙で大敗したあと、
 諜報部にいるのが難しくなってきたので自分から辞めたの」

「あなたが美術部の部員なことは分かりましたが、
 裁判中に虚偽の発言は控えてください。
 もし今後も虚偽発言を繰り返すのようなら
 裁判後にあなたの立場が不利になりますよ」

「はいはい。気を付けまーす」

マサヤ裁判官はため息をつき、教室の周囲を見渡した。
もう誰も緊張感などなく、座ったまま外を見てる者、
考え事をしてる者、居眠りをしている者もいる。
この裁判が人気だったのもせいぜい4回目くらいまでだ。

体育館で上映されていた頃は一人の男をめぐる修羅場の体だったので
見ごたえがあったが、結局はミウが彼を誘惑していたことを立証できるだけの
説明力がエリカにはなかった。

ミウは反論の機会を与えられると中央委員部の作り上げたどんな詳細な
法律でもすらすらと口頭で述べてはエリカを論破してしまう。

ミウの口のうまさと頭の回転の速さにはあのサヤカ会長
(学力だけなら学年トップ3)でも勝てないわけで、
もともと女子のクラス委員に過ぎないエリカの叶う相手ではなかった。

今は高野ミウが保安委員部と組んで学内で反乱を企ててるという、
荒唐無稽な主張をすることでしかミウを攻撃できないでいた。

(このままじゃまずいわ……。
 私の主張はあの女をスパイとして摘発することだけど、
 どんな理由をこじつけても立証することができない上に
 クラスメイトもこの裁判に関心がなくなってきている……ここまでね)

エリカの視線が床に落ちる。彼女が主張を取り下げればこの茶番が終わるのだ。

(エリカのあの顔、ようやく終わるようだな)

太盛は目の下のクマがすごい。春休み前から橘の自宅に泊まり込みで
義理の兄と夜遅くまでゲームをしているからだ。

アキラはマリカーの他にもマリオゴルフ、マリオテニス、スマブラなど
定番商品を次々に買い込み、太盛を対戦相手として遊んだ。
太盛の方もゲームをまじめにやるのは中学生の時以来だ。

ちょうど二人の実力に差がないこともあり熱中してしまう。
ふたりで一緒に童心に帰り、たまに大声をあげながら大いに盛り上がっていた。
マリカーでは義理の兄の方が強く、テニスでは弟の方が強かった。
太盛はアキラがあんな楽しそうな顔で笑う姿を見たことがなかった。

(俺にとってこれが最善の結果だ。
 何かの間違いでミウが収容所送りになってしまったら俺は罪の意識で
 夜眠れなくなっちまうからな。俺だってミウのことが憎いわけじゃない。
 あの子にはあの子の人生がある。
 俺じゃなくて別の男を見つけて幸せになってもらいたいんだ)

ミウは胸の下で腕を組みがら鼻歌でも歌いたい気分だった。

(やっぱり私の勝ちか。こんなのやる前から分かり切っていたことだけどね。
 エリカは人手不足の中央委員部に所属してまった以上常に忙しい。
 私が美術部員でいる限り太盛君と接触する機会はいくらでもあるんだよ。
 馬鹿なやつね)

この裁判でミウは自分の弁舌の能力にますます自信をつけた。
膨大な量の校則の大半を覚えていることから、弁舌のみならず記憶力も
大変に優れていることが判明した。
このことから、ミウが実は本当に生徒会長になれるほどの
器だったことをクラスメイト達は知ってしまうのだった。

マサヤは、エリカの側にこれ以上発言したい内容がないことを察したので
裁判の終わりを告げようとしたのだが、

「ちょりーーーっすW」

来訪者の姿があった。

「ちょwwwあんたたち、春休み初日なのにがん首揃えて何してんの
 天皇。何してんのう!! なんっつってwwww ぎゃははははっはwww」

この教養のない米国人女性のような
奇怪な話し方をする人物の名を横田リエという。
学年トップの秀才が集まるA組の担任を務めている。

「あ、みんなごめーんね★ 実は今日寝坊しちゃってさぁ。
 こんな時間に来ちゃったのよ。え? 朝の10時? やばっ。
 ちょっと起きるの遅すぎたかな? 朝ごはん作る暇ないから
 ちょっとその辺で済ましてきたので遅くなったのよね~~」

「おほん。ところで同志担任よ。
 あなたが手にしているその不愉快な紙袋は一体何ですか?」

「何ですかwwwwじゃねーよまじめな顔しやがってwwww
 なにマサヤ君、あんた今裁判官なの? 裁判官ごっこしてんのwwww
 くぅぅ笑いがとまらんwwww 私が持ってるのはマックの袋よ。
 ハンバーガーは歩きながら食べてきたけどまだコーラが入ってんのよねwwww」

「今、我々はにわかには信じがたい発言を聞きました。
 ソビエトエリートを育成するためのこの学園において、
 学年トップA組の担任ともあろう者が、我らが憎むべき
 敵性文化であるマクドナルドの商品を食べながら登校してきたと?」

「おいーっすwwww資本主義の象徴のマックでーす。
 ちな大阪ではマクドだからよろしく★
 私の趣味はぁ、東京ディズニーランドに遊びに行くことでーす☆
 株主なので優待券も持ってるし年パスも持ってるよ~ん」

「その発言からして同志横田は
 株式投資をしていることを自ら認めたことになります。
 株式投資とはすなわち資本主義そのものと言っても過言ではありません。
 またウォルトディズニーは拝金主義の退廃的文化だとソ連で認識されてます」

「退廃的文化……wwwwなんだそりゃwwミッキーをバカにすんなよおいwww
 つーかさ、今時証券口座持ってない大人とかいんのwww?
 他の教員たちも馬鹿みたいに低金利で貯金ばっかり
 してないで金を増やす努力しろっつーの☆」

「……」

さすがのマサヤも顔が真っ青になってしまう。
議事録と速記係の男女も筆が完全に止まっている。

この担任は、いったい何をしに来たのか。
ボリシェビキの巣窟においてこの発言の数々。
今更言うまでも無くA組は裁判中である。仮にこの担任の女が人生に行き詰まり、
ダイナミックな自殺をしに来たにしても度が過ぎている。

「う……やべ。昨日飲みすぎたせいで今になって気分が……
 う……おぼろおろろろっろろおろろろろRっろ」

横田リエ24歳は、あろうことか裁判官の机の上にげろを吐き出した。

クラス中が敵の空襲を受けたように騒然となり、
男子の怒号と女子の悲鳴が飛び交う。
ここでは責任者にあたるマサヤも真っ先に廊下に駆け出し、
緊急の事案なので保安委員部に通報した。

まさか担任が反乱分子だったとは思わなかったエリカは急いで
中央委員部に出向いて事の次第を報告することにした。

横田リエは、吐くだけ吐いて楽になったのか、教室の床の上で大往生した。

横田によって壊滅的な被害を受けた新三年生の教室において、
まだ残っている生徒がふたりだけいた。高野ミウと堀太盛だ。
横田がもどした時、太盛もマッハの速度で逃げようと思ったのだが
ミウが制服の裾をつかむので逃げられなかった。

げろの酸味が効いた激臭が漂う中でミウは顔色一つ変えていない。
太盛は吐きそうになるのをこらえるためハンカチを鼻に当てていた。

「ねえ太盛君。今日で裁判が終わるみたいだからさ、
 春休み中も美術部の活動しよっか?」

「今日の午後からってことか?」

「うん」

「ミウ……あんなひどい裁判があったばかりなんだから自重してくれ」

「どうして? 
 部活することは校則違反じゃないことは裁判で証明したばかりでしょ」

「それでも世間体ってもんがあるだろ。俺たちは下級生たちからも注目され…」

「どうしても、ダメなの?」

(うっ……)

太盛は、思わず胸の奥がが暖かくなってしまう。
ミウが大きなキラキラ瞳で上目遣いをしてくるものだから、
その小動物的な愛らしさに胸がときめいてしまうのだ。

(ダメだ。こんな感情を抱くなんて俺は最低だ。
 俺はエリカと結婚するって義兄さんたちとの誓ったんだぞ……
 なのになんで俺は……)

「太盛君。少しだけまじめな話をさせてくれるかな。
 4月9日に新入生歓迎会があるでしょ。
 それまでに美術部でたくさんの準備をしておかないといけないの。
 もし私たちの代で新入生が一人も入らなくなっちゃたら
 どうするの。最低でも5人以上の人数がいないと部が廃部になっちゃうんだよ」

「それは確かに大問題だが……」

「美術部は前にいろいろな事件があったから部員が
 今は私たち二人しかいないでしょ。上級生はエリカが
 原因でいなくなっちゃったし、下級生は私が制裁しちゃったからね。
 何も知らない新しい学年の人を確保しないと、次の文化祭がピンチだよ」

「前の文化祭の時は暇な美大の学生さんたちに絵を頼んだくらいだったからな」

「そうそう。その件で近藤の奴、理事長閣下に叱られてたもんね。
 私たちが美術部をしっかりと存続させることは学園にとっても重要なこと。
 この学園は運動部よりも文化部に力を入れるのが伝統だもんね」

「はは。君には一生口で勝てそうにないや。わかったよ。
 今日は部活をするよ。でもお昼の用意がないぞ」

「それなら大丈夫。春休み期間中はどこも部活はやってるし、
 歓迎会の練習期間でもあるから食堂はいつも通り営業してるんだよ」

「ミウは本当に何でも知ってるんだな」(^_^)ノ""""ヨシヨシ

「えへへっ」(*^-^*)

「あ、ごめっ」

「なにが?」

「ついノリで君の頭をなでちまった!!」

「別にいいんじゃない? 友達なんだし」

「いやまずいだろ!! 生徒会の皆さんが俺らのことを常に監視されてるんだぞ」

「どこの部も入学式と新入生歓迎会の準備で忙しいから
 この時期はたぶん誰も見てないと思うよ。」

「で、でも監視カメラで見られてるんじゃ・・・・・・」
 
「それも大丈夫。諜報部は生徒の監視よりも広報活動に必死だから。
 それに春休み期間中に下手なまねをする人なんて普通はいないよ」
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