7/18 由美子はおもむろに目を覚ます
文字数 2,835文字
「おまえは立派によくやったよ」夢の中で数馬はそう言った。夢の中の数馬は成長していて、十八歳になっていた。
「わたし、数馬ちゃんのこと好きだったの。でも、数馬ちゃんが川に落ちたとき、わたし、何もできなかった」由美子はつぶやくように言ったが、数馬は何も答えずに由美子の顔を見つめていた。
しばらくの後、数馬はどこからともなく分厚いレンズをしたメガネをかけ、おもちゃみたいな拳銃を構えて、あたりを警戒するように低い姿勢で去っていった。
「何だったんだろう?」由美子は声に出して、そうつぶやく。
どうも最近、変な夢ばかり見る…何でだろ?
由美子はベッドから立ち上がり、窓に近寄って、カーテンを開く。月の明かりが由美子の顔を白く浮かび上がらせる。今日は満月だ。
光陰矢のごとし。覆水盆に返らず。担任の教師が故事を引用して説教している。由美子は頬杖をついて、その話を聞いているが、慢性的な寝不足のため、次第にウツラウツラとしてくる。
校舎のあいだを冷たい風が吹きぬけていく。重たくなったまぶた越しに、ものすごいスピードで流れていく灰色の雲が見える。担任の教師が、かつて学生だった頃、弓道部に在籍していたという話をしているあたりで、由美子は本格的に眠ってしまう。
由美子はまた夢を見ている。由美子は、手足を十分にのばせる程のゆったりとした広さの湯船に身を浸しながら、ファッション雑誌をパラパラとめくっている。雑誌の中ではモデルたちが流行ファッションに身を包み、ポーズをとっている。しかし、奇妙なことに、すべてのモデルの乳房がバスケットボールぐらいの大きさもある。
「やだねえ、どうせシリコンか何か埋め込んでいるんだろうけど、そこまでして男の気を引きたいのかねえ」由美子は年寄りじみた口調でぼやく。
そして、ふと自分のものを見てみると、それらもまたバスケットボール大に膨れ上がっている。先程までモデルのものをバカにしていたが、自分の身に起こってみるとまんざらでもないようで、「わ! すごいな! 最近の雑誌は読むだけでムネが大きくなるんだ! 便利な世の中になったもんだねえ!」と、歓喜まじりの声を上げる。が、その直後、由美子は教室の異変に気付いて、目を覚ます。
由美子が目覚めると、担任の教師と仲本という男子生徒が取っ組み合いを繰り広げている。となりの教室から別の教師が騒ぎを聞きつけ、やってくる。
「こらあ! 何やってんだ! やめんかあ!」その教師が必死になって仲本を取り押さえようとするが、めちゃくちゃに暴れるのでなかなかできない。
「あ、ナイフだ」誰かが言うので、見てみると、たしかに仲本の手にはナイフが握られていて、教師の背中に突き立てようと振り上げられている。
「キャアアアアアアア!」女子生徒の悲鳴があたりにひびきわたるが、間一髪のところで担任の教師がナイフ目掛けて飛びかかり、その手からもぎとることに成功する。
ナイフを取られた仲本は急におとなしくなり、駆けつけた何人かの教師に取り押さえられ、職員室へと連れて行かれる。担任の教師は、顔にアザを作っているが、ほかに大きなケガはなく、無事のようである。
「すぐ戻って来るから、みんな落ち着いて自習しておくように」そう言って、ほかの教師を追って、職員室へと急ぐ。
何が起こったのか、となりの女子生徒に聞いてみると、「分からないけど、とつぜん仲本のやつが先生に向かって椅子を投げつけたの」と興奮した様子で答える。
由美子はさらに「何か先生がムカつくことでも言ったの?」と聞くが、別に何も言っていないらしい。
本当に一体何が起こったのかと一日中気にかけていると、放課後になって、「仲本っていう二年生がシャブ中で、シャブが切れたから暴れ出した」というウワサ話を通り掛かりに聞く。ウワサ話をしていたのは下級生たちで、由美子に聞かれたことを知るや、彼らは真っ青になり、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
そのうちのひとりを捕まえて、問いただしてみると、「さっきの授業中に警察が来て、覚せい剤がどうのこうの…と言っていたのを聞いたやつがいる」とのことで、本当かなあ、と思っていると、「本当らしいですよ」と達郎が言うので、「ふーん…そうなんだ」と答えてから、すこし悪い予感がしてくる。
翌日、悪い予感は的中して、達郎と下校している途中で、見覚えのある刑事に呼び止められる。たしか水野という名のその刑事は、「やあ、ひさしぶり」と妙になれなれしい口調で話し掛けてくる。
「君のクラスの仲本君ね…彼の部屋から覚せい剤が見つかってね。どうも君の友達の女の子が持ってたのと同じ成分みたいなんだよ。つまり両方とも同じところから入手したと考えるのが自然なんだよね」
「はあ」由美子の気の無い返事。
「ふたりとも君にとって身近な存在なわけだけど、何かふたりを結びつけるような情報、知らないかな?」
「知らないですね」由美子はきっぱりと答える。「それに、仲本君とは同じクラスですけど、まともに話したこともないので、『身近な存在』とは言えないですし」
「なるほど…」水野刑事はそう言って、こめかみのあたりをポリポリと掻く。
「また何か思い出したら連絡しますので、今日はこれで失礼します」由美子は一息にそう言うと、慇懃にひとつ頭を下げて、その場を立ち去る。
「さっきの人、前に由美子さんが言っていた刑事さんですよね?」
達郎が前を向いたまま由美子に訊ねる。
「うん、そう。なんか嫌なヤツでしょ」由美子は苦笑する。
それには答えずに達郎はペダルを踏み続ける。ふたり乗りの自転車はいつもの道をすり抜けていく。入り組んだ住宅街を抜け、橋を渡り、国道沿いをずっと走り、高架をくぐり抜け、商店街を横切ってから駅前に出る。歩道に駐輪したところで、ようやく達郎が口を開く。
「…でも、琴子さんに覚せい剤を売りつけた犯人がいるとするなら、はやく捕まえて欲しいですよね…」だから、手がかりになるようなことは、たとえ些細なことでも警察に話した方がいいんじゃないですか?
「うん、そりゃあ…」そうだ、と由美子は思う。
由美子は達郎の考えには賛成だったが、琴子と仲本をつなぐような手がかりなど全く思いつかない。電車に揺られて窓外の風景をジッと見つめる。灰色の風景が後方に流れていく。
そのとき、由美子はふと思い出して、思わず「メガネ!」と声を上げる。達郎だけでなく、他の乗客もその声に驚いて、由美子の方を見る。由美子は視線が集中されるのを感じて恥ずかしくなり、「降りてから話すね」と達郎に耳打ちして、ふたたび窓外に視線を向ける。