12/18 「協力者」は、日頃から梨奈と親しくしている
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「自発的にって、どういうことかな?」と由美子が聞く。
「多分、親友である火堂さんの相談を受けているうちに、自分のことのように腹が立ってきて、率先して計画の立案に関わったという感じじゃないですかね。僕の想像ですが」
「ああ、なるほどね。ありがちだね」
「僕も、よくあることだと思ったので、それ以上は追求しませんでした」達郎はさらに報告をつづける。
「こちらの意向として、先日のビラ撒きに関して何ら咎めるつもりはないことと、もとから由美子さんには桐生さんを誘惑するつもりはないことを伝えたうえで、これ以上そちらが何らかのアクションを仕掛けてくるのであれば、こちらとしてもそれ相応の対応をせざるを得なくなる。そうなると、お互いにとって、害こそあれ何の得にもならないのだから、くれぐれも自重するようにお願いしたところ、西条さんも同意してくれたので、一応、これで一件落着と考えて良いと思います」
数日が過ぎ、詰めかける報道陣の姿はほとんど見られなくなり、学校は平穏を取り戻したように見えた。ビラ撒き事件以来、由美子への好奇の視線はさらに強くなったように思えたが、最早、由美子は気にしなかった。時折、三年の不良グループに口笛を吹かれたりすることがあったが、無視をして、通り過ぎた。
桐生や梨奈と廊下ですれ違うこともあったが、いつも顔をふせるのは向こうの方だった。ウワサによると、あんなことがあったにも関わらず、桐生と梨奈の関係は何となくつづいているらしく、そこに長距離走チームのリーダーを加えた三角関係が成り立ち、くっついたり離れたりを繰り返しているらしいのだが、由美子にとって、そんなことは本当にどうでも良いことだった。
「今年も、あと一ヶ月で終わりか。そろそろ進路のことも真剣に考えなきゃね…この分だと追い出されるも何もその前に、あっという間に卒業だよ」由美子はそう言って、気持ち良さそうに伸びをうち、寒さにひとつ身震いしてから、ベンチに背を預ける。
達郎は由美子を見ている。達郎は、由美子の言う「追い出される」という言葉の意味を、以前は分からなかったが、今は何となく理解できる。
まわりの生徒や教師が、由美子に対して望んでいるのは、彼らが「そうであろう」とたやすく納得できる役割を由美子自身が演じることであり、その役割とは、「親友が目の前で窓から飛び降り、廃人となったことに責任を感じ、そのショックからうまく立ち直ることができない不良少女」という役割である。
陸上部のエースの前に全裸で横たわったりするのも、おのれ自身を傷付け、おとしめるためで、それこそ由美子が自暴自棄になっている証拠であり、彼女はそこから立ち直らなくてはならないのだ、と彼らは主張する。そういうことではないのだから、どうか放っておいて欲しいという由美子の訴えは、絶望から自分の殻に閉じこもろうとしていると曲解され、「希望を捨てちゃいけないよ」という励ましの声が、彼らの口から発せられることになる。
彼らがそうするのは、あくまでも好意からそうするのだが、その好意がさらに由美子を追い詰めることになっているのである。好意の視線、それは同時に好奇の視線であるのだが、それらがいつも由美子に向けられ、由美子は強要される役割から逃れることができない。逃れる方法があるとすれば、それは学校から退くこと以外に無い。由美子の言う「追い出される」というのは、そういうことである。
達郎は、由美子が学校に来なくなるのは悲しいことだと思う。達郎は、一緒にいることで由美子を守ることができるのなら、できる限りそばにいようと心に決め、その頬に誓いのキスをしようと機会を窺うのだが、なかなかその隙がない。
その日最後の授業が終わり、由美子は、教室を出たところで「ちょっといいですか」と呼び止められる。由美子を呼び止めたのは、ショートカットで中肉中背の女子生徒であり、それが西条陽子であることを由美子は直感する。
屋上に冷たい風が吹き、由美子の長い髪がサラサラとなびく。
「すみません。寒いのにこんなところに連れ出してしまって…だけど、人前ではちょっと話しにくいことだったので…」と西条陽子。
「何の用?」由美子は問う。
西条陽子は、柵のほうに近付き中庭を見下ろして、それから由美子を振り向き、話を始める。
「上座くんに聞いたと思いますが、ここからコピーを撒いたの、わたしなんです…ご存知ですよね?」
由美子は無言でうなづく。
「そのことでお話したいことがあって…言おうかどうか迷っていたんですが、やっぱりお話した方が良いと思って…」西条陽子はそう言いつつ、モジモジと話しづらそうにしていたが、しばらくの後、意を決した様子で口を開く、「このあいだ、ここからコピーを撒いたのは、ひとつの儀式だったんです。勿論、桐生先輩と星野先輩を遠ざけるためにそうした面もあるんですけど、それは火堂さんの考えで、わたしはあれを星野先輩を助けるための儀式だって、そう考えて、やったんです…」
「儀式? わたしを助ける? 何の事?」由美子は眉をひそめて問う。
「わたし、人一倍霊感が強いんです。それで…」
西条陽子は、そこでくちごもり、由美子の反応を待っているようだったが、由美子は同じ表情でこちらを見つめたまま何も言わないので、先をつづける。
「それで、星野先輩にあまり良くない霊が憑いているみたいだったので、前から気になっていたんですけど…それで、星野先輩、上座くんと付き合っているんですよね?」
「うん、付き合っているけど…わたしに霊が憑いてるって、一体何の話してんの?」由美子の口調はすこしきつくなる。
「いえ、あの…つまり、上座くんでは、何と言うか、ちょっと力不足かな…って思うんです」
由美子は何の話をしているのか、ますます分からなくなる。
「何? つまり、あのビラを撒いて、わたしと達郎を別れさせようとしたってこと?」
「えと…はい、かいつまんで言うと、そういうことになります…」
「ふーん…なんで別れさせようとしたわけ? 達郎のこと、好きなの?」
「いえ、そういうわけでは無いんです…ただ、わたしは、星野先輩に憑いているその霊を追い払おうと、そう思って…そのためには、上座くんでは、ちょっと弱いんです。もっとエネルギーのある人でないとダメなんです。だから…」
「じゃあ、なんでわたしと桐生のヤツを引き離そうとしたの? 達郎と別れさせるのなら、わたしと桐生がくっ付いた方が都合いいんじゃないの?」
「桐生先輩じゃダメなんです。勿論、桐生先輩もすごい人なんですけど、もっと激しいエネルギーを持っている人じゃないとダメなんです」
「ふーん…で、あなたは霊感が強いからそのエネルギーの持ち主が誰か分かるって言うのね。ふーん…でも、わたし、そういうの信じてないんだよね。霊の存在とかさ。だから、好意は有り難いんだけど、その話もちょっと信じられないな。ひょっとして、将来、そういうのが信じられるようになったら、また相談に行くからさ。そのときによろしくってことで、今回はこれ以上、聞かないことにするよ」由美子は一気にそう言うと、ひとつ息をつき、さらにつづける、「じゃあ、本当に今日はありがとう。火堂のヤツにもよろしく言っといてよ。桐生とうまくやれよってね。それじゃ、そういうことで」
由美子は言い終わると、背中を向けて、階段の扉へと歩き出す。西条陽子はその背中に言葉を投げかける。
「やっぱり信じてもらえないんですね。そうだろうと思ってました。だけど、すぐに信じてもらえると思います。すでにエサは撒かれたんです。あとは向こうが食いついてくるのを待つだけなんです。上座くんは、たしかに鼻も良いし、忠誠心にも厚いみたいですけど、とても星野先輩を守りきれないと思います。星野先輩のなかに住んでいる黒猫を…」バタン。そこで扉が閉められて、西条陽子の声は全く聞こえなくなる。
その日の夜、久しぶりに雨が降った。どしゃ降りだった。由美子は雨の音を聞きながら、ウトウトとしていた。
黒猫…黒猫って、なんだったっけ…最近、いろんなことが起こり過ぎて、大事なことを忘れてしまっている気がする…黒猫、なんだっけ…
遠くの空で稲妻が走り、由美子の部屋が一瞬白くなる。その途端、雨の音が川の音に変わり、黒猫は数馬に変わる。雷鳴の轟きが、ゆっくりと聞こえてくる。