18/18 大晦日

エピソード文字数 2,992文字

 大晦日。由美子と達郎は、その日のデートを近所の公園で済ませて、まだ日は高かったが家路につくことにする。

「大晦日は、家族で紅白歌合戦を見ることが恒例になっているんだよね。それで、明日は母さんの実家に新年の挨拶に行くことになっているから、達郎との初詣に行けるのは、あさってかな」
 由美子はそう言うと、くるりと達郎に背を向けて、その場を立ち去ろうとする。
「あ! 由美子さん! ちょっと待ってください!」
「ん?」由美子は達郎に呼び止められて、振りかえる。
「それ、何ですか?」達郎が、由美子の首に巻かれたマフラーを指差す。それは達郎がクリスマスにプレゼントしたカシミアのマフラーである。
「何って、マフラーのこと?」
「はい、そうなんですけど…ホラ、そこに何か染みみたいなの、付いていません?」

 達郎が指摘するのは、赤黒い小さな染み。マフラーの柄にまぎれて目立たないが、たしかにそれは染みである。由美子は手にとって確認しようと、マフラーを首からはずす。

「あ、ほんとだ。染みだね」
「何の染みですかね?」
「何だろう…」由美子はしばらく考える、「ああ、あのときのかな。宮下…じゃないや、加藤に迫られたときに、わたし、あいつの手首にナイフで斬りつけてやったんだ。多分そのときに加藤の血が付いちゃったんじゃないかな」
「ああ、なるほど」
「全然気が付かなかったな。あんまり目立つ染みじゃなくて良かったけど…やっぱり返り血って気持ち悪いね」
「大丈夫ですよ。洗えばきっと落ちますよ」
「そうだよね。マフラーなんて洗ったこと無いけど、やってみるよ」
「それが良いと思います…じゃあ、また今夜、電話してくださいね」
「うん、分かった。十二時になったら、すぐ掛けるから」

 由美子の携帯電話は、川尻たちに奪われたままで、まだ返ってきていない。よって、それまでもそうすることが大半だったのだが、ふたりが電話をするときには、由美子が自宅の電話から達郎の携帯電話に掛けることになっていた。

 どうやって取り返そうか、由美子は思案する。その日のうちに回線は止めておいたので、悪用される心配はないのだが、やはり何かと不便である。警察沙汰にするのは好ましくない。川尻たちに携帯電話を強奪されたことが母親にバレると、加藤邸カラオケパーティーに自発的に参加したというウソが破れることになる。

 まあ、いいか、と由美子は思う。買いかえればいいか。新しいの欲しかったし、友達少ないから、データはすぐに入力し直せるし…

「じゃあ、良いお年を!」と由美子。
「良いお年を」と達郎。
 ふたりは別れる。


 帰り道。達郎は、先日の電話で、由美子が達郎のことを「都合の良い番犬」と評していたことを思い出す。

 由美子さんの幼なじみの数馬さん(小さい頃に川で溺れて亡くなったらしい)が「黒猫」で、三年の不良グループの加藤さんが「野良犬」で、僕が「都合の良い番犬」か…

 しかし、何故、単なる「番犬」じゃなくて、「《都合の良い》番犬」なのだろう。そう言うからには「《都合の悪い》番犬」もいるのだろうけど…

 それがどのような「番犬」かと想像すると…
  ① だれかれ構わず、やたらと吠える
  ② 逆に吠えるべき相手に全く吠えない
  ③ 飼い主に噛みつく

 こういう「番犬」はたしかに「都合が悪い」にちがいない。そういう番犬にはなってくれるな、という由美子の願いを反映したのが「《都合の良い》番犬」という、達郎に対する表現なのかも知れない。

 しかし、それなら、もっと印象の良い言葉を選んでくれても良さそうなものだが…たとえば、「《優秀な》番犬」とか、「《忠実な》番犬」とか、「《ベスト・オブ》番犬」とか…「《都合の良い》番犬」では、どうしても軽んじられているような気になってしまう。

 いや、まあ、実際軽んじられているのかも知れない。いや、きっとそうだろう。由美子さんは、何かと言うと、ちょっとしたことですぐに怒り出すし、あれこれと欠点をあげつらって、他人のことを見下す癖がある。困った性格の人だ。

 だけど、怒り狂ったり、傲慢な態度を取っているそのときほど、由美子さんが魅力的に見えるときはない。ある種の女性にとって、怒りっぽさや傲慢さは美徳になり得る。由美子さんはそういった意味で特権的な女性なのだ。

 そんな彼女を愛してしまっているのだから仕方がない。僕は喜んで「《都合の良い》番犬」であることを受け入れよう。


 そのとき、向こうから、ひとりの男が通りを駆けて来る。息も絶え絶えな、必死の形相。それは加藤だった。

 さらに、その向こうに見えてくるのは、目を爛々と輝かせて雄叫びを上げる、五、六人の男たち。その先頭を切るのは川尻である。「オラ! 待てよ! この野郎!」というその声は、明らかに興奮して弾んでいる。

 追われる加藤、追う川尻たち…その一群が、かなりのスピードを持って、通りを行く達郎に近付いてくる。

 達郎は奇妙な感覚をおぼえる。すべてが何者かによって準備され、操作されているような…ひとつの舞台の登場人物を演じさせられているような奇妙な感覚…

 達郎はふと何者かの視線を感じ、かたわらにある住宅の塀の上に目をやるが、そこに黒猫などいないし、したがって、その黒猫に励まされることもない。ただ達郎は「《都合の良い》番犬」であることを受け入れ、そうあることに忠実であろうと思うだけである。

 無駄に吠えず、吠えるべき相手に吠え、決して飼い主には噛みつかない…そんな番犬でありつづけよう。

 加藤は必死に逃げてくる。あまりに必死なので、前方にいるのが達郎だと気付かない。加藤が脇を通りぬけようとするそのとき、達郎は何気ない風に足を出し、加藤はそれにつまづき、もんどりうって倒れ込む。

「ハハ! でかしたぞ! 一年坊主!」

 男たちは、倒れた加藤におそいかかる。彼らには致命傷を負わせることに何のためらいも見られない。暴行はつづけられ、男たちは夢中になる。

 達郎はその光景をぼんやりと眺めていたが、何かの拍子に、足元に何かがいきおい良く飛んできて地面に転がるので、達郎は視線を落とす。それは、由美子の携帯電話であった。

 男たちは暴行に夢中で、達郎には全く関心を向けていない。携帯電話が飛んでいったことにも気付いていない様子である。

「た…助けてくれ!」

 加藤が声を上げたが、それは達郎に向けたものなのか、男たちに向けたものなのか、はっきりとしない。どちらにしても、男たちは一切聞く耳を持たず、暴行をエスカレートさせていく。

 達郎は、目立たないようにゆっくりとしゃがみ込み、足元の携帯電話を拾い上げる。ふと顔を上げたとき、暴行を受ける加藤と目が合った。

 頼む、その携帯電話で警察に通報してくれ…その目はそう訴えかけているように見えたが、実際のところは、すでに加藤は意識を失って、目を開いたままぐったりとしているのであった。

 それでも男たちの暴行は止まらない。

 達郎は静かに立ちあがり、あくまでも目立たないように、その場から立ち去る。(了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

星野 由美子(ほしの ゆみこ)

 高校2年生。タバコを嗜む。不良と呼ばれることには納得している。ただ、まわりに構ってほしくて悪ぶっているわけではない。できれば、そっとしておいて欲しいし、他人に迷惑もかけたくないと思っている。

 基本的にはドライな性格だが、一線を越えられたと感じた時にはしっかりと切れる。切れるとすぐに手が出る。

 映画研究部に在籍。同じ部の後輩である達郎と恋人関係になる。達郎との仲が深まるにつれて、過去の暗い出来事への自責の念が強くなっていく。

上座 達郎(かみざ たつろう)

 高校1年生。映画研究部に在籍。同じ部の先輩である由美子と恋人関係になる。由美子に対しては徹底的に従順である。

 基本的に温厚な性格。自分に対しては素を見せてくれる由美子のことが好き。由美子からぞんざいに扱われていると感じることもあるが、由美子には自由に振る舞っていて欲しいので、受け入れている。

 頭の回転が速く、状況判断にすぐれている。そのため、柔和な雰囲気がある反面、どこか芯の通った強さも周囲に感じさせる。

数馬(かずま)

 由美子の幼なじみ。幼少時に不幸な死を遂げる。その死が由美子に暗い影を落とすことになる。とは言え、長らくの間、由美子から存在すら忘れられていた。

 忘れられていた間は、由美子の無意識下に潜んでいたのだが、とあるきっかけで意識上に浮上することになる。

 それ以降は、由美子の夢の中にちょいちょい現れるようになる。ある種のストーカー。

琴子(ことこ)

 高校2年生。由美子の親友。映画研究部に在籍。

 裕福な家庭で育ったお嬢様。由美子と親しくなるまでは優等生タイプだったが、由美子の影響でタバコの味を覚えて、最終的に由美子以上のヘビースモーカーとなる。

 基本的に甘やかされて育てられたが、性格がねじ曲がることもなく、両親の愛情を一身に受けて素直に育った。

 それでも道を外れてしまったのは、好奇心旺盛な気質のためだったのだろう。

水野(みずの)刑事

 麻薬取締課の刑事。33歳独身。童顔のため10歳ほど若くみられることが多い。

 10代後半の頃、自分で自分のことをサイコパスだと考えるようになる。このままだと自分はいつの日か犯罪者になってしまうのではないかと恐れて、自分の行動を縛るためにも警察官になることを決心する。

 本当にサイコパスかどうかは不明だが、今のところ刑事としての職分をそつなくこなしている。

 実際のところは、自分のことをサイコパスだと妄想する妄想癖を持っているだけなのかもしれない。

桐生 和彦(きりゅう かずひこ)

 高校2年生。陸上部に在籍。走り高跳びの選手で県大会出場クラスの実力を持っている。陸上部のエース。

 運動神経が良くて、身長も高く、顔立ちも悪くない。口数が少ないところもクールな印象を与えるらしく、少なからず女子からモテてきた。

 これといった努力をしなくてもモテるので、どんなオンナでも自分が本気になれば絶対に落とせると勘違いしているところがある。

 そういったズレた感覚を胸に秘めているので、周りからは理解できない突拍子もない言動を時に取ることがある。

火堂 梨奈(ひどう りな)

 高校1年生。陸上部に在籍し、長距離走チームのマネージャーを務める。

 恋愛体質で惚れっぽい。恋人がいるか、もしくは想い人がいるか、つねにどちらかの恋愛モードに入っていないと情緒不安定になってしまい、日常生活に支障が出てしまう。

 片想いの時には、なりふり構わずに相手にアピールしまくるため、まわりの女子生徒からは、その「あざとさ」のため好印象を持たれていない。

 現在は陸上部のエースである桐生にターゲットを絞っている。桐生に惚れたというよりも、「陸上部のエース」という肩書きに惚れた面が強い。

北島 耕太(きたじま こうた)

 高校2年生。水泳部に在籍していたが、厳しい練習について行けずに、1年生のうちに退部した。

 その後はどの部にも入らず、帰宅部となる。帰宅部になってからは、空いた時間を使って駅前のうどん屋でアルバイトをしている。

 物静かな性格で、クラスでも目立たない存在。かと言って、仲間外れにされているわけではなく、友人もいないわけではない。学業成績も平均的である。

 口外はしないが、退廃的な思想を持っており、「遅かれ早かれ世界は滅ぶ」という座右の銘を胸に隠し持っている。

西条 陽子(さいじょう ようこ)

 高校1年生。陸上部に在籍。長距離走の選手。長距離走チームのマネージャーをしている火堂 梨奈と仲が良い。

 人一倍霊感が強いことを自覚しているが、奇異の目で見られることを嫌って、友人の火堂も含めて他人には秘密にしている。

 お節介焼きなところがある。火堂の精神的な弱さにつけこんで、取り憑こうとしてくる浮遊霊をひそかに祓ったりしている。

 長距離走の選手になったのは、長い距離を走るとトランス状態に入りやすくなって霊感が磨かれると感じるためである。

 

加藤(かとう)

 高校3年生。不良グループの一員。父親が有限会社を経営しており、高校卒業後はその会社に就職することが決まっている。将来的には父親の跡を継ぐ予定。

 190㎝近い長身を持ち、格闘技経験は無いものの、持ち前の格闘センスの高さから、タイマン勝負では無類の強さを誇る。

 愛想が良くて人たらしの面があり、仲間たちや後輩たちから慕われている。ただその反面、こうと決めたら絶対に折れない頑固な面もあり、どれだけ仲の良い相手とでも一触即発の状態になることがある。

川尻(かわじり)

 高校3年生。不良グループの一員。卒業後は先輩のツテで鳶職に就く予定である。

 小学生の時からクラブチームに所属してサッカーをしていたが、中学生の時に膝の靭帯を断裂する大ケガを負ってしまい、それを機にサッカーをやめた。その頃からしだいに素行が悪くなり、今に至る。

 現実的で現金な考え方を持っていて、物質的、金銭的なメリットをまず第一に優先して行動する。損得勘定ばかり気にしているので、まわりからは不信感を抱かれがちである。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み