10/18 風が強くなり、枯れ葉が宙を舞う

文字数 3,174文字

 風が強くなり、枯れ葉が宙を舞う。桐生につかまれた感じが左腕に残っていて、胸のあたりがドキドキしている。その手を振り払い、「何考えてんだ、バカ!」と叫び、走り去ったのだが、胸の鼓動がこうも激しいのは走った為だけではない。カバンから手鏡を取り出し、自分の顔を映し出す。真っ赤な顔。とにかく、すこしでも気を鎮めようと立ち止まり、深く空気を吸い込み、吐く。

 由美子が金魚屋に着くと、達郎は子供たちとプロ野球談義に花を咲かせている。達郎は由美子に気付いて振りかえるのだが、不思議そうな顔で「何かあったんですか?」と聞く。
 由美子は一瞬迷ってから「うん、ちょっとね…」と言葉をにごす。
 今は気が動転していて、何と説明すれば良いのか分からない。気を落ち着けてからゆっくり話そう、由美子はそう思い、「後で話すよ」と先の言葉に付け加える。

 しかし、何と話したものか。事実だけを述べるとすれば、「桐生に告白された」と言えばいいのだが、それでいいのだろうか。いや、それだけでは何か片手落ちのような気がする。やはり、「桐生に告白されたが、ことわった」とまで言うべきだろう。

「あれ?」そこで、由美子は桐生の告白に対してはっきりとことわっていないことに気付く。まだことわっていないのに「ことわった」とは言いにくいので、「桐生に告白されたのだが、ことわるつもりだ」と言うことにする。

「いや、だからと言って、付き合おうかどうしようか悩んだうえでことわるわけではなくて、すぐにことわらなかったのは、あまりにも突然のことだったので、不意を突かれて、気が動転してしまい、すぐにことわりの言葉が出てこなかったからだ」と、それに続ける言い訳も考えつつ、こんなことに気を揉まなければならないのは、そもそも桐生のヤツがバカなことを言い出すからだ、と恨めしく思う。


「桐生、おまえ、火堂に何か言ったのか?」長距離走チームのリーダーが桐生に尋ねる。
「ん…ああ」桐生は、肩にかついでいたバーベルを地面に置いて、流れる汗をタオルで拭う。
「火堂のやつ…泣いてたぞ…」
「そうか…」
「そうかって、おまえ…どうする気なんだ?」
「どうするって、何を?」
「何をって…女の子、泣かしたんだからよ…それに…」
「それに?」
「おまえたち、付き合ってんだろ?」
「付き合ってる? 俺と火堂が?…フーン、長距離走チームでは、そういうことになってるのか」桐生は、ふたたびバーベルを肩にかつぎ上げる。
「違うのかよ」
「いいよ、そういうことで…それなら、それで…」桐生はそう言って、スクワットジャンプを始める。ガチャガチャとバーベルを鳴らし、二十回のセットを終え、ふたたびバーベルを地面に下ろす。長距離走チームのリーダーは、無言で桐生の傍らに立ち、その様子を眺めている。桐生は汗を拭い、長距離走チームのリーダーに向き直り、口を開く。
「いいよ、そういうことで…俺と火堂が付き合っていることになっているんなら、別れるだけのことだから」
 次の瞬間、拳が飛んできて、それはかわしたのだが、取っ組み合いになり、ほかの部員が、部のエースにケガをさせては一大事、と、急いで止めに入る。
「ふざけんな! てめえ! ちょっと才能があるからって、いい気になってんじゃねえぞ!」と長距離走チームのリーダー。
「うるせえ! そんなに火堂のことが気になるんだったら、てめえでしっかり飼いならせよ! こっちだって迷惑してんだよ!」と桐生。


 あの朝、マットの上に由美子の姿をみとめて以来、桐生は練習をしていても集中できず、イライラをつのらせていた。ジャンプの後、背中からマットに落ちるたびに、由美子の姿が頭をよぎった。由美子が全裸で横たわっていたのは、今、自分が身を預けている、このマットなのだと思うと、ますますその姿がくっきりと現われて、桐生を悩ませた。

 もう二度とあの姿を見ることができないのかと思うと、余計に見たい気持ちが強くなっていった。由美子を見かけると、その姿を目で追った。髪がサラサラと風になびき、白い肌がまぶしかった。その横にはいつも達郎がいた。あんなヤツがタイプなのか、あんな男のどこがいいんだ…
 桐生は、嫉妬している自分に気付き、そんな自分がイヤになった。


 秋の終わりの日が暮れて、あたりは薄暗闇につつまれていた。その日の練習を終えて、部員たちが帰っていく。桐生は、体育倉庫の鍵を閉じようと、最後のチェックをしていた。

「センパイ」という誰かの声が、体育倉庫の片隅から聞こえる。
 桐生は、思わぬ声におどろき、目をこらした。そこにいたのは、梨奈だった。
「ああ、火堂か。どうしたんだ、こんなところで…おどろかすなよ」
 体育倉庫の片隅でしゃがみ込んでいた梨奈が立ち上がり、ひとつニコリとほほえみ、一歩、二歩と近付いてくる。

 梨奈が自分に思いを寄せていることは、桐生も気付いていた。ただ、その意思表示があまりにもあからさまなので、受け入れがたく感じていたのだった。しかし、暗闇のなかをゆっくりと近付いてくる梨奈は、まるで別人のように思えた。何故かは分からなかったが、そのときの梨奈はとても魅力的に見えた。ふたりは抱き合い、口付けを交わした。

 その翌朝、「センパーイ」と呼びかけながら、駆けてくる梨奈の姿を見たとき、桐生はその姿に何の魅力も感じず、むしろ鈍重な印象を受けた。桐生はうんざりして、昨日の俺はどうかしていた、と後悔したが、それを口に出すことはできなかった。

 それから一週間が経ち、そのあいだに何度か桐生は梨奈と抱き合った。しかし、あの日の魅力は二度と感じられなかった。桐生は、心底うんざりしながらも、惰性で梨奈との関係をつづけていた。

 そんなある日の放課後、体育倉庫の裏でふたりが抱き合っているところに、由美子が現われた。すぐにその身体を引きはがしたが、何も言うこともできず、女みたいに真っ赤になって下を向いた。由美子と梨奈は何かを言い合っていたが、桐生の耳には入ってこなかった。

 ドサッという音がしたので、そちらを向くと、由美子がフェンスの向こうで倒れていた。次の瞬間には身体が動いていた。フェンスを越えて、由美子を抱き起こした。あのときに見た、あの肉体に触れているのだと思うと、血が沸き立った。それは、梨奈のものよりずっと細く、ずっと柔らかいと思った。すでに梨奈のことは頭のなかから消えていた。どうとでもなれ、という気になり、桐生は由美子に思いの丈をぶちまけた。


「それは許しがたいですね」由美子の話を黙って聞いていた達郎は、うめくように言って、みかん水をぐっとあおる。
「許しがたい?」由美子は、裂きイカをかじり、聞き返す。
「ええ…いくらなんでも、その子の目の前で告白するなんて、ひどいじゃないですか」
「うん、たしかにね…何かあてつけてるみたいだもんね」
「そうですよ。きちんと別れてから、次の告白をするべきですよ。一度に両方しようというのは、恋愛に対するサボタージュですよ」
「ふんふん…なるほどね」
「それに、さらに問題なのは…火堂さん、でしたっけ? その女の子…その火堂さんから、不必要な恨みを買ったんじゃないか、ってことですね」
「ああ、そうか…わたしが体育倉庫に忍び込んでいたこと、チクられるかも知れないか…それは、ちょっとマズいな」
「そうですよ…退学なんてことにはならないとおもいますけどね」達郎はそう言って、カレーせんべをかじり、すこし考え込む。
 何か名案があれば良いんだけどね、由美子はそう思い、二本目の裂きイカにかじりつく。
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登場人物紹介

星野 由美子(ほしの ゆみこ)

 高校2年生。タバコを嗜む。不良と呼ばれることには納得している。ただ、まわりに構ってほしくて悪ぶっているわけではない。できれば、そっとしておいて欲しいし、他人に迷惑もかけたくないと思っている。

 基本的にはドライな性格だが、一線を越えられたと感じた時にはしっかりと切れる。切れるとすぐに手が出る。

 映画研究部に在籍。同じ部の後輩である達郎と恋人関係になる。達郎との仲が深まるにつれて、過去の暗い出来事への自責の念が強くなっていく。

上座 達郎(かみざ たつろう)

 高校1年生。映画研究部に在籍。同じ部の先輩である由美子と恋人関係になる。由美子に対しては徹底的に従順である。

 基本的に温厚な性格。自分に対しては素を見せてくれる由美子のことが好き。由美子からぞんざいに扱われていると感じることもあるが、由美子には自由に振る舞っていて欲しいので、受け入れている。

 頭の回転が速く、状況判断にすぐれている。そのため、柔和な雰囲気がある反面、どこか芯の通った強さも周囲に感じさせる。

数馬(かずま)

 由美子の幼なじみ。幼少時に不幸な死を遂げる。その死が由美子に暗い影を落とすことになる。とは言え、長らくの間、由美子から存在すら忘れられていた。

 忘れられていた間は、由美子の無意識下に潜んでいたのだが、とあるきっかけで意識上に浮上することになる。

 それ以降は、由美子の夢の中にちょいちょい現れるようになる。ある種のストーカー。

琴子(ことこ)

 高校2年生。由美子の親友。映画研究部に在籍。

 裕福な家庭で育ったお嬢様。由美子と親しくなるまでは優等生タイプだったが、由美子の影響でタバコの味を覚えて、最終的に由美子以上のヘビースモーカーとなる。

 基本的に甘やかされて育てられたが、性格がねじ曲がることもなく、両親の愛情を一身に受けて素直に育った。

 それでも道を外れてしまったのは、好奇心旺盛な気質のためだったのだろう。

水野(みずの)刑事

 麻薬取締課の刑事。33歳独身。童顔のため10歳ほど若くみられることが多い。

 10代後半の頃、自分で自分のことをサイコパスだと考えるようになる。このままだと自分はいつの日か犯罪者になってしまうのではないかと恐れて、自分の行動を縛るためにも警察官になることを決心する。

 本当にサイコパスかどうかは不明だが、今のところ刑事としての職分をそつなくこなしている。

 実際のところは、自分のことをサイコパスだと妄想する妄想癖を持っているだけなのかもしれない。

桐生 和彦(きりゅう かずひこ)

 高校2年生。陸上部に在籍。走り高跳びの選手で県大会出場クラスの実力を持っている。陸上部のエース。

 運動神経が良くて、身長も高く、顔立ちも悪くない。口数が少ないところもクールな印象を与えるらしく、少なからず女子からモテてきた。

 これといった努力をしなくてもモテるので、どんなオンナでも自分が本気になれば絶対に落とせると勘違いしているところがある。

 そういったズレた感覚を胸に秘めているので、周りからは理解できない突拍子もない言動を時に取ることがある。

火堂 梨奈(ひどう りな)

 高校1年生。陸上部に在籍し、長距離走チームのマネージャーを務める。

 恋愛体質で惚れっぽい。恋人がいるか、もしくは想い人がいるか、つねにどちらかの恋愛モードに入っていないと情緒不安定になってしまい、日常生活に支障が出てしまう。

 片想いの時には、なりふり構わずに相手にアピールしまくるため、まわりの女子生徒からは、その「あざとさ」のため好印象を持たれていない。

 現在は陸上部のエースである桐生にターゲットを絞っている。桐生に惚れたというよりも、「陸上部のエース」という肩書きに惚れた面が強い。

北島 耕太(きたじま こうた)

 高校2年生。水泳部に在籍していたが、厳しい練習について行けずに、1年生のうちに退部した。

 その後はどの部にも入らず、帰宅部となる。帰宅部になってからは、空いた時間を使って駅前のうどん屋でアルバイトをしている。

 物静かな性格で、クラスでも目立たない存在。かと言って、仲間外れにされているわけではなく、友人もいないわけではない。学業成績も平均的である。

 口外はしないが、退廃的な思想を持っており、「遅かれ早かれ世界は滅ぶ」という座右の銘を胸に隠し持っている。

西条 陽子(さいじょう ようこ)

 高校1年生。陸上部に在籍。長距離走の選手。長距離走チームのマネージャーをしている火堂 梨奈と仲が良い。

 人一倍霊感が強いことを自覚しているが、奇異の目で見られることを嫌って、友人の火堂も含めて他人には秘密にしている。

 お節介焼きなところがある。火堂の精神的な弱さにつけこんで、取り憑こうとしてくる浮遊霊をひそかに祓ったりしている。

 長距離走の選手になったのは、長い距離を走るとトランス状態に入りやすくなって霊感が磨かれると感じるためである。

 

加藤(かとう)

 高校3年生。不良グループの一員。父親が有限会社を経営しており、高校卒業後はその会社に就職することが決まっている。将来的には父親の跡を継ぐ予定。

 190㎝近い長身を持ち、格闘技経験は無いものの、持ち前の格闘センスの高さから、タイマン勝負では無類の強さを誇る。

 愛想が良くて人たらしの面があり、仲間たちや後輩たちから慕われている。ただその反面、こうと決めたら絶対に折れない頑固な面もあり、どれだけ仲の良い相手とでも一触即発の状態になることがある。

川尻(かわじり)

 高校3年生。不良グループの一員。卒業後は先輩のツテで鳶職に就く予定である。

 小学生の時からクラブチームに所属してサッカーをしていたが、中学生の時に膝の靭帯を断裂する大ケガを負ってしまい、それを機にサッカーをやめた。その頃からしだいに素行が悪くなり、今に至る。

 現実的で現金な考え方を持っていて、物質的、金銭的なメリットをまず第一に優先して行動する。損得勘定ばかり気にしているので、まわりからは不信感を抱かれがちである。

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