11/18 午前中の休み時間
文字数 3,491文字
生活指導室に入ると、例の教師が待ち構えているが、桐生の姿はすでにない。そこで、始業ベルが鳴るが、例の教師はそれにはお構いなしに話を始める。
「実は、今朝、無記名の投書があってな…前に、ほら、体育倉庫の窓ガラスが割られていたことがあっただろ」例の教師はそう言って、鋭い視線を由美子に向ける、「それで、その投書に、窓ガラスを割ったのはお前だって書いてあるんだ。それで呼び出したんだけどな。おぼえはあるか?」
「いいえ、ありません」由美子は平静に答える。
「ふむ、そうか…」例の教師は手にした投書に視線を戻して続ける、「あと、これには、お前が桐生のやつを誘惑するために素裸でマットの上に寝そべっていたと書いてあるんだが…これに関してもおぼえは無いんだな?」
「はい、ありません」
「ウム…いや、さっき、桐生のやつにも、呼び出して、聞いてみたんだが、そんな事実はないと言っていたんだ…と言うことは、これは全くのデマってことなんだな?」
「はい、そうだと思います」
「誰が書いたんだろうな、こんなこと…心当たりはないのか?」
「いえ、ありません。見当もつきません」
「そうか…で、お前、桐生と仲は良いのか?」
「いえ、話したことはありますけど、仲が良いというほどではありません…それが何か?」
「いや、ならいいんだ…」
それで話は終わり、由美子は教室に帰される。
投書をしたのは梨奈にちがいなかったので、由美子は次の休み時間に、ひとこと言ってやろうと梨奈のクラスに行くのだが、そこに梨奈の姿は見当たらない。ほかの生徒に聞いてみると、今日は休みだと言う。ならば、昨日のうちに、たとえば放課後にこっそりと投書したのだろうかと思い、例の教師に聞いてみると、「いいや、俺が昨日帰ったのは夜遅くて、そのときには見当たらなかったから、今朝投書したんだろう」ということである。
どういうことだろうと思い、昼休みに達郎に相談してみる。
「それは、協力者がいるってことじゃないですかね。誰かに頼んで、今朝、投書しておいてもらったとか」
「協力者か…アリバイ工作ってわけね」
「だけど、妙なのは、なぜ無記名にしたのかってことですね」
「ん?」
「火堂さん本人が名乗り出て、由美子さんが体育倉庫に忍び込んでいたのを見たことを証言した方が、学校側に対する信憑性が高いですよね」
「ああ、そうか…実際、デマってことで片付けられたわけだからね」
「そうなんです。学校側としては、覚せい剤の件の対応で手一杯で、あまり新たな問題を抱えたくないでしょうから、無記名の投書という形では、デマということでもみ消される可能性が高いんです」
「うん…本人が出てきたら、先生もさすがにもみ消せないもんね」
「それなのに、なぜアリバイ工作までして、無記名にしたのか…」
「うーん…」
「ひょっとしたら、桐生さんの出方を試したのかも知れないですけどね。桐生さんが由美子さんをかばうかどうか、ウソの証言をするかどうか見極めようとしたのかも知れません」
「ああ、なるほど…」
「だけど、それだけなら、わざわざ学校を休む必要はないんですよね…」
「何か、別の目的があるってこと?」
「そうかも知れません…だけど、何だか、向こうは奥の手を隠し持っているような感じがしますね。嫌な感じです」
そのとき、騒ぎが起こる。中庭に生徒の視線が集まる。ふたりの視線もそちらを向く。大量の紙がヒラヒラと舞い落ちてくる。どこから落ちてくるのかと皆の視線が上を向く。屋上あたりからさらに一束の紙がパアッとまかれる。
「なんだ、あれ?」昼休みの中庭では、多くの生徒が憩いの時間を過ごしていて、そのすべての視線が舞い降りてくる大量の紙に注がれている。いち早く地面にたどり着いた何枚かの紙が、その近くにいた何人かの生徒によって拾い上げられる。
「そういうことか…」達郎がポツリとつぶやく。
由美子は何のことだか分からない。
「火堂さんの目的は、由美子さんと桐生さんを引っ付けないこと。そのためには、学校にチクって問題にするよりも、生徒たちのあいだにウワサを流して、ふたりに対する注目度を高める方が有効だと思ったんでしょう」
由美子は何のことかまだ分からないので、達郎の方を振り向く。達郎はジッと中庭の様子を見つめたままで続ける、「つまり、『世間の目』ってやつを操作して、由美子さんと桐生さんのことを監視しようというわけですね。『陸上部のエースを誘惑する不良少女』というレッテルを、由美子さんに貼りつけてしまえば、それは可能なわけです。そのために…」
由美子はそこでハッと気付いて立ち上がる。
「じゃあ、あの紙は!?」
「多分、例の投書のコピーといったところでしょう。そして、屋上からそれをばら撒いているのが、先ほど言っていた火堂さんの『協力者』なんでしょうね…」
「あ! そうか!」由美子は叫んで、中庭の方をふたたび向き、屋上に人影を探す。
「身を低くして、隠れながらバラ撒いているようですね。チラチラと見える感じから言うと、どうやら女子生徒のようです。髪型はショートカットで、体型は中肉中背。ここからでは遠くて、顔までは確認できませんが、印象から探し出すことも可能だと思います」
たしかに由美子の目にもチラチラと人影らしきものが見えたが、その姿はじきに見えなくなる。
「今から駆けつけても、捕まえるのは難しいでしょうね。騒ぎを聞きつけた先生が捕まえてくれると助かるんですが…まあ、あまり期待しない方がいいでしょう」達郎はそう言って、ポケットから生徒手帳を取り出し、ページを繰る。
由美子はそれを覗きこむ。それは校則のページだった。
「なるほど…無許可のビラ配りは、明らかな校則違反になるみたいですね。ここに書いてあります。これが、火堂さんが学校を休んでまでアリバイ工作をする理由というわけですね」達郎は得心した様子で、フンフンとうなづく。
由美子も「なるほど」と、達郎と同じ調子でうなづく。
「で、どうします? 『協力者』を見つけ出して、火堂さんとの関係を吐かせて、学校に突きつけます?」
「うーん…どうしようかな。これで桐生のヤツが付きまとわなくなるのなら、かえってありがたいぐらいなんだけど…」
「そうなんですよねえ…ぼくたちとしては名乗り出て証言される方が実害があるわけで、このまま生徒のウワサとして曖昧にされる方が困らないんですよねえ」
「わたしに対するレッテル…『陸上部のエースを誘惑するために全裸でマットの上に寝そべっていた不良少女』ってやつも、この際、もうどうでもいい、勝手に貼ってくれ、という気もするし、それで火堂のヤツが陰で喜んでいると思うと少し癪だけど、そんなのは放っておけば良いんだし…」
「じゃあ、放っときましょうか。『協力者』が誰なのかぐらいは突きとめておいても良いと思いますけど」
「うん、そうだね。これで向こうの仕掛けが終わるとも限らないからね。敵を知っておいた方が良いと思う…だけど、わたし、あまり確認できなかったんだよね。そいつの恰好とか」
「それは大丈夫ですよ。ぼくがバッチリ覚えていますから。大体の見当もついていますし」
「そうか…じゃ、それはお願いするよ。でも、それはそれとして、念のため、本当に例の投書のコピーかどうか確認しに行かない?」
「あ、そうですね。ここまで考えておいて、実は全然ちがうビラだったりするとマヌケですもんね。一応行ってみましょう」
ふたりが中庭に着くと、まだ辺りは騒然としていて、教師たちが紙の回収をしている。好奇の目が由美子に集中する。由美子は、やはりそうか、と思いながら、ひとりの教師に紙を見せてもらうように言う。
その教師は、「お前たちは見んでも良い」と言うのだが、例の教師が由美子に気付いて、その一枚を手渡してくれる。たしかにそれは例の投書のコピーである。
「お前、本当に誰の仕業か分からんのか?」例の教師が尋ねる。
「ええ、全然わかりません」由美子はニッコリと笑い、去っていく。