15/18 達郎からのクリスマスプレゼントは
文字数 5,238文字
由美子自身、プレゼントされたマフラーを巻いてはいるが、クリスマスまでほとんど毎日一緒に過ごしていた達郎と、冬休みのあいだもずっと一緒というのは、何となく気詰まりに感じられたので、それでも電話は毎日するのだが、会うのは週に数回ということにして、今日などは久しぶりにひとりで街に繰り出しているのである。特にこれという目的もなく、ぷらぷらと気ままに歩いてまわるのは、たまのことだからかも知れないが、とても自由な感じがして、そう言えば、達郎に出会うまでは、ずっとひとりでそうしてきたことを思い出す。
「…な時って…頼むからそれを下げてくれよ!」
「ごまかさない…」
断片的に聞こえてくるカップルの口論をそれとなく聞きながら、湯気の立つレモンティのカップを口元に運び、文庫本のページを繰る。本のなかでは、素足にスニーカーを履いた少女が、銃を持った男たちに狩り出されているところで、廃墟のなかを逃げまわるイメージはとても蒸し暑い。Tシャツが汗で貼りつき、短パンから伸びた脚の表面では、滴となった汗が流れ落ちる。
すべてのオンナは潜在的に犯されたいという願望を持っている、という言葉は、この本の作者が別のところで語っていたものであるが、別に由美子は男たちに狩り出されようとしている少女の運命を思ってドキドキするわけではなく、ただ、この作者は、この少女に感情移入し、ドキドキしながら書いているんだろうなあ、と軽蔑的に思うだけである。
それでも、この女性作家の本は、ほとんど欠かさずに読んでいるのだから、決して嫌いなわけではなくて、むしろ好きな部類に入るのだが、この場合の「好き」というのは、この作家自身に対する感情というわけではなくて、こんな恥ずかしいことを臆面もなくよく書くよ、と軽蔑的に思いながら読むこと自体が「好き」ということであり、そういう読み方が出来る限りにおいて、この作家の本が「好き」だということである。
最終的には、少女は男たちから逃げ延びて、危機を脱するのであるが、そのときにも、はじめから助けるつもりなら、こんなエピソードを入れなきゃいいのに、本人は焦らしているつもりかもしれないけど、と軽蔑的に思うのだが、それでも、それはそれで丁度いい時間つぶしにはなるのだ、と満足できるのである。
さて、これからどうしようか、と由美子は思い、今読んでいた本の残りページが少なくなっていることに気付き、よし、新しい本でも調達しにいくか、と本屋に向かうことに決めて、席を立つと、奥の方のテーブルから、六人の男たちがこちらを見ているのと目が合ってしまう。男たちは、由美子が席を立つのを待っていたかのように、あわただしく自分たちも立ちあがり、こちらの様子を窺いながら、ボソボソと何やら相談している。由美子は不審に思って、一度、いぶかしげな視線を送ってから、急ぎ足でレジに向かう。
なるべく人の多い通りを選んで歩くのだが、男たちは一定の距離を保って後をつけてくる。何なんだ、あいつら、気持ち悪いなあ、と、そのときは、まだ余裕を持って考えることも出来たのだが、本屋に入って、あれこれと物色していると、本屋のなかにまで入ってきて、六人並んで雑誌などを読む振りなどをしながら、こちらの様子をチラチラと窺うので、どうにかしないといけないか、と思う。
達郎に電話して迎えに来てもらうなり、最寄りの交番に駆け込むなりしてもいいのだけれど、そこまでするのも何だか癪な気がして、どうせ向こうだって、たまたま喫茶店に居合わせた女の子を面白半分につけまわして、喜んでいるだけだろうから、思い切ってこちらから「何か用?」と声をかけてしまえば、「別にぃ…」とか言って散っていくのではなかろうか。
それで、本屋では何も買わず、表通りに出ると、案の定ゾロゾロとついてくるので、二百メートルほど歩いてから、グルリと振りかえり、ツカツカと歩み寄って、先頭にいたニット帽の男に、「喫茶店から、ずっとつけてきてるみたいだけど、何か用なの?」と強い調子で言うのだが、その男の顔には見覚えがある。
「ああ、えっと…これからよ、マサルちゃんの家でカラオケパーティーすんだけど、来ないか?」
その男は、三年の不良グループの一員で、ほかの男たちも全員そうである。制服を着ていないからだろうか、いつもと全然印象が違うために、遠目に見ただけでは彼らだと気付かなかったのである。しかし、私服姿だというだけでこんなに印象が変わるものであるのか。由美子は妙な威圧感を覚える。
「今日、ひとりなんだろ? 一緒に来いよ」
「いや、今日は遠慮しておくよ。それに、先約があるんでね」
由美子は愛想笑いを浮かべながら、そう言って立ち去ろうとするのだが、いつのまにか男たちに周りを取り囲まれていて、そのうちのひとりが口を開く。
「先約がある? ウソつくなよ。そうは見えなかったぜ」
そう言った男の鼻のまわりには、抜け切らない血が青じんで残っており、そう言えば、先日、あんまりしつこく言い寄ってくるので、その男の鼻っ柱を殴り抜けたことを思い出し、当然うらみを買っているわけで、その有無を言わせない雰囲気から、自分がかなりの危機的状況に置かれていることを実感する。
さて、どうやって切り抜けようか。鼻のまわりが青じんでいる男に、今一度、一発くらわせて強行突破するか。それとも、大声を上げて、道行く人に助けを求めるか。どちらにしても、騒ぎを大きくすれば、こいつらも引き下がるだろう。いくら現代の都会人が他人に対して無関心だとしても、ひとりの少女に六人もの男が挑みかかっているのを目の前にすれば、正義心を燃やす人間もいるだろうし、直接的に助けてくれなくても、警察に通報するぐらいのことはしてくれるだろうから、ほんの少しのあいだ、全力を持って暴れるなり、逃げるなりして時間を稼ぐことが出来れば、こいつらもすぐに不安になって、諦めるのではないだろうか。
あ、そうだ。何なら自分の携帯電話で直接一一〇番通報した方が、手っ取り早くて良いかもしれない。冷静に携帯を取り出して、今、センター街にいるんですけど、変な奴らにからまれて困っているんですよお、って感じで言うのが、一番スマートなやり方かも。うん、それが良いね。それでいこう。
由美子はそう決心して、携帯電話を取り出そうと、カバンのなかを探るのだが、カチャカチャという金属音がするので、ふと顔を上げると、目の前にバタフライナイフがあって、カバンを探る手は止まってしまう。
携帯電話は没収されて、「マサルちゃん」の父親のBMW(男のうちのひとりが、「これ、マサルちゃんの親父さんのなんだぜ」と自慢気に言うので知ったのだが)のトランクに放り込まれ、その暗闇のなかに閉じ込められる。
ナイフを喉元に突き付けられたのは、生まれてはじめてのことで、後になって考えると、何とか対処できたのではないか、と思うのだが、やはりそのときは恐怖に身体が強張ってしまい、何も考えることができなくなるのだと知る。
無抵抗状態で、路肩に駐車してあるBMWのところまで連れていかれたために、それほど人々の注意を引かなかったとは言え、白昼堂々と表通りでひとりの少女が拉致されたのであり、ナイフを突き付けられていることには気付かなかったとしても、トランクに放り込まれるのは、明らかに尋常ならざる事態なのだから、不審に思った人が、ナンバープレートを確認して、きっと警察に通報してくれているに違いない、と、由美子は、揺れる暗闇のなかで、かろうじて考えを取りまとめる。
エンジンが止まり、シャッターの下ろされる音が聞こえる。男たちの談笑する声が聞こえ、ひとりの男が「ケン、おまえ、マサルちゃん呼んでこいよ」と別の男に向かって言う声がすぐ近くで響き、「おうよ」とそれに応ずる声。
ここはどこなのだろう、はじめにニット帽の男がカラオケパーティーをすると言っていた、「マサルちゃんの家」なのだろうか。だとすれば、先ほど聞こえたシャッターを下ろすような音は、ここが「マサルちゃんの家」のガレージか何かだということなのだろうか。
男たちの気配は、まだ近くに感じられ、ときどき「マサルちゃん、おどろくぜ」などという声が、クスクス笑いとともに聞こえてくる。
もし、ここが「マサルちゃんの家」であり、BMWが「マサルちゃんの父親のもの」であるのなら、そして、誰かがそのナンバープレートを目撃して、警察に通報してくれているのなら、警察がここを突きとめて、助けに来てくれる望みも少しはあるということである。
さっきは、突然にナイフを突きつけられて、気が動転してしまったが、これからは、とにかく冷静に対処して、チャンスを逃さないことが重要になるのだから、ちょっとやそっとのことでは驚かない心構えを持たなくてはならない、と由美子は思い、首に巻いたままになっているマフラーをはずして、右手で強くにぎりしめる。
「よお、川尻。おそかったな。ギャルはどこだよ? ナンパは失敗か?」
「あ、マサルちゃん。そうなんだよ、なかなかいいのがつかまらなくてさあ」
男たちのクスクス笑い。
「ハハハ、そんなことだろうと思ったよ。大体、おまえら、オンナひっかけたところで、どこに乗せるんだよ。おまえらが乗っただけで、車ン中ギュウギュウじゃねえかよ」
「そりゃあ…」コツコツとトランクの蓋をノックする音、「ここにでも入れるんじゃないか?」
ふたたび男たちのクスクス笑い。
「は? 何? マジに入ってんの?」
「見てみれば?」
鍵穴に鍵が差し込まれ、ゴパッという音とともにトランクが開かれる。
「俺たち、オンナひっかけんの、ほとんどあきらめかけてたんだけどよ。帰ろうかなんてサ店で相談していたら、西根のやつが、あれ、星野じゃねえのかって言うんで、見てみたら、本当に星野でよ。珍しく、例の一年も連れねえで、一人きりだったんで、拉致ってきたんだよ」川尻という名前らしい、ニット帽の男が、マサルちゃんに耳打ちして、クスクスと笑う、「ケンのやつが、拉致ろうぜ、って言うからよ。ホラ、あいつ、まえに星野に殴られてんじゃん。それで、たしかに星野だったら、少々、無茶しても大丈夫じゃねえかってことになって、ナイフ突きつけて、スパッとさらってきたってわけなんだよ」
「なるほどな…で、誰かに見られたか?」
「センター街で拉致ったんで、思いっきり、見られてると思うけど、大丈夫だと思うぜ。ナンバープレート、偽造だし」
「ふーん、なるほどな。たしかにそうだな」
「何だよ、マサルちゃん。あんまりうれしそうじゃないじゃん。せっかく連れてきたのに」
「ん? そうか? そんなことはないと思うけどな。まあ、うれしいかな」
「へへ、だろ? 今日は思いっきり楽しもうぜ」
男たちが歓喜の声を上げる。
「いや、ちょっと待ってくれ…」マサルちゃんが右手を上げて、男たちを制する、「やっぱり、今日はパーティーは中止だ。わるいな。おまえら、今日は帰ってくれ」
「は? 何だよ、それ?」川尻が信じられないという表情になり、ほかの男たちも同様にする。
「言ったとおりだ。おまえら、今日は帰れ」平静な口調。
「冗談だろ?」川尻は顔がひきつるのを必死で抑える。
そのとき、別の場所からカチャカチャという金属音が聞こえて、「ふざけんな、てめえ!」という声が聞こえる。
「バ、バカ! やめろ! ケン!」川尻が声を上げる。
視界からマサルちゃんの姿が消えて、バキッという音と、グフッという息の抜けるような音が聞こえて、同時に、ガシャッという、おそらくナイフが地面に落ちたのだろう、金属音が聞こえる。
「ほかに文句のあるやつはいるか?」
それに応える声はなく、シャッターが上げられ、ガレージ内に光が満ち、男たちは意識を失ったケンを抱えてガレージから出ていく。最後に、シャッターの手前で川尻が立ち止まり、「加藤…てめえ、このままじゃ済まねえぞ」と声を凄ませる。
「おう、楽しみにしてるぞ。いつでもいいからな」
マサルちゃん=加藤はそう言って、手にしたバタフライナイフをヒラヒラともてあそぶ。