13/18 由美子は暗闇の向こうから何者かの視線を感じて

エピソード文字数 3,457文字

 由美子は暗闇の向こうから何者かの視線を感じて、そちらに向かって目を見張る。そこには誰もいないはずなのだが、何者かが身じろぎひとつせずに横たわっているのを感じる。

 達郎は由美子の異変に気付く。乳房の先から唇を離し、由美子の顔をのぞき込む。「どうかしましたか?」

 由美子の視線は体育倉庫の片隅に向けられていて、そこに何者かが潜んでいることを告げている。達郎はゆっくりと身を起こし、由美子の視線の先へと歩を進め、暗闇のなかに姿を消す。由美子は何か不吉なものを感じて、達郎を呼び止めようとするのだが、金縛りにかかったように声が出ない。

 暗闇から達郎の声が聞こえてくる。「あ、猫がいますよ。黒い猫です」

 由美子はその言葉に心底からギクリとする。はやく達郎を呼び戻さないと大変なことになると思い、声を絞り出そうとするが、口から漏れるのはググといううめき声ばかりである。

 鋭い一撃が振り下ろされて、達郎が床に倒れる鈍い音が聞こえてくる。アッと思った瞬間に暗闇から黒い影が躍り出て、マットの上の由美子にのしかかり、その鋭い爪が白い肩に食い込む。由美子は叫び声を上げることもできず、その影を見上げる。そこにあるのは、今にも食いつかんとして大きく開かれた口とそこに並ぶ無数の牙。それがスローモーションで近付いてくる。

 由美子が感じているのは、まず何よりも恐怖である。しかし、それと同時に奇妙な安堵感が由美子を包む。

 目の前に大きく開かれた口。その喉の奥にこちらを見つめる二つの眼が現われる。
「数馬ちゃん…やっぱり、わたしのこと恨んでいたんだね」
 二つの眼は数馬の眼であり、さらに鼻が現われ、口が現われ、そこに数馬の顔が現われる。
「いいよ。数馬ちゃんに殺されるのなら、わたしも…」
 数馬の顔はやさしく微笑み、ゆっくりと由美子の顔に近付いてくる。由美子が目を閉じると、数馬の柔らかい唇が由美子の唇に触れる。

 由美子はとても安らかな気持ちになり、涙があふれてくるのを感じるのだが、そこで夢から覚めてしまう。


 クリスマスが近くなるにつれ、校内の雰囲気は浮き足立ってくる。恋人たちは、その日のために特別な予定を立てて、その準備に追われる。クリスマスを共に過ごす相手のいない者は、躍起になって参加するイベントを探す。三年生の進学組の生徒たちも、その日ばかりは手にしたシャープペンシルをそっと机に置き、隣りの異性の動向に気をとられたりするのである。

 そんな雰囲気のなか、由美子に対する関心は、不良グループを中心にしてさらに強くなる。大部分の者は、「星野のヤツなら、必死に頼めばヤラせてくれるんじゃねーか」と陰でウワサをする程度なのだが、中には実際にアタックしてくる者もいて、「桐生やあの一年生よりも俺の方が絶対に上手いから」と自信満々に主張する者まで出てくる。そういう輩は無視をして通すか、あまりにしつこい時には、「ふざけんな」と一喝して、その鼻っ柱をぶん殴ることで切り抜けることになる。

 やはり、一番の防備策は、達郎と一緒にいることであり、達郎と一緒に行動する限り、ちょっかいを出してくる者は現われない。達郎自身も、出来る限り由美子と一緒にいることで由美子を守ることを心に決めていたので、ふたりはそれまで以上に共に過ごすことが多くなっていく。


 街を歩くと、赤や緑の飾りつけがやたらと目に付く。すれちがう人々のなかにも、いつもよりカップルの姿が目立つ気がする。どこからかクリスマスソングが聞こえてきて、となりの達郎が鼻歌まじりに口ずさみ、由美子はしあわせな気持ちになる。
「クリスマス、どうしよっか?」
「あ、僕、観たい映画があるんですよ」
「え? 本当に? 何て映画?」
「『Howling Nasty Dog』ってやつです」
「ふーん…聞いたことないな…どこの国の映画?」
「日本映画ですよ。ヤクザ映画だと思います」
「ふーん…監督は誰?」
「いや、監督は誰か分からないんですが、宮下道雄が主演だと思います」
「ふーん…なるほどね」由美子はそう言って、渋い顔で考え込む。
「ダメですか?」
「ううん。いいよ、それで。達郎が映画を観に行きたいなんて言うの、珍しいもんね。何で、それ、観たいって思ったの?」
「何となくなんですけど、雑誌に載っていたんで…」
「ふーん、そっか。題名なんだっけ? 『Howling Nasty Dog』だっけ? うん、面白そうだね」


 由美子が家に帰って、晩ご飯を食べ終わり、ソファでくつろいでテレビを見ていると、『Howling Nasty Dog』のCMが流れたので、ああ、これか、と思って、ジッと見入る。

 流行りの電子音楽をBGMに、満月を背景に空に向かって吠える男のシルエット。宮下道雄のクローズ・アップ、「腹へった」とぶっきらぼうにつぶやく。「彼は―」とスーパーインポーズ。暗闇での銃撃戦、あちらこちらで発砲の光が瞬く。ふたたび宮下道雄のクローズ・アップ、「何か食うもん、ない?」とつぶやく。「とにかく腹が減っていた」とスーパーインポーズ。裏通りを逃げる宮下道雄、両手一杯に鶏肉を抱えている。ヤクザ風の男を殴り倒す宮下道雄。「主演:宮下道雄」とスーパーインポーズ。レストランのウェイターを投げ飛ばす宮下道雄。迫る電車をギリギリでかわす宮下道雄。その他の出演者の紹介、それぞれのベストショットにそれぞれの名前をスーパーインポーズ。砂浜を歩く宮下道雄の遠景、原作者の名前がスーパーインポーズ。「満腹になるまで止まらない! 抱腹絶倒のノンストップ・アクション!」とナレーションが入る。音楽が止まり、みたたび宮下道雄のクローズ・アップ、しばらくうつろな目でカメラを見た後、「何かくんないと、お前食うよ」。暗転。効果音。タイトル、『Howling Nasty Dog』。「ハウリング、ナスティ、ドォッグ」とナレーション。「はーい、お風呂、入りましょうねー」と宮下道雄、煮え立つ鍋のなかに黒猫を放り込み、即座に蓋を閉じる。「ニャーッ」という断末魔。封切り日と上映館の紹介、スーパーインポーズで。

 まず由美子が思ったのは、これのどこが「ヤクザ映画」なのだろう、ということなのだが、たしかにヤクザ風の男が宮下道雄に殴り倒されてもいたので、雑誌を読んだだけの達郎がそのように勘違いするのも仕方がないことなのかも知れない。それに、今見たCMにしたって、作品をズタズタに切り裂いて、恣意的に引っ付けているわけなのだから、元の映画の印象を正確に伝えているとは限らないので、実際に映画を見てみないことには何とも言えないか、とも思うのだが、しばらく経ってから、いや、今のは「アクション映画」ではあっても、決して「ヤクザ映画」ではないね、と確信し、ひとりで頷いたりもする。

 次に思ったのは、最後に猫が鍋のなかに放り込まれるショットのことで、あんなのをテレビで放映して、動物愛護団体とかから抗議受けたりしないのかな? ということであるのだが(後日、由美子が見たときには、実際に抗議があったのか、最後のショットだけが差替えられていて、宮下道雄が草原を全裸で走っていくショットになっている)、その猫が「黒猫」であったことに対しては、そのときには不思議と気にならず、それでも、何か引っかかるものがあるにはあったのだけれど、母親が「先にお風呂、入っていいよー」と台所から言うので、そのことはそのままにして風呂に入ることにする。

 浴槽に浸かり、水蒸気に烟る天井を見上げる。頭に浮かんでくるのは、「はーい、お風呂、入りましょうねー」という宮下道雄の声、その顔。「ニャーッ」という猫の断末魔。その猫が「黒猫」だったことをようやく思い出し、今朝見た夢のことに思い至る。

 夢が深層心理をあらわすのであれば、今朝見た夢は、達郎よりも数馬ちゃんを選ぶという、自分自身の無意識のあらわれなのかも知れない。由美子は、そういう自分の考えを振り払うように頭を振り、鼻をつまんで、湯のなかに頭まで沈み込む。

 電灯が水面でユラユラと揺れて、手のあいだから漏れたあぶくがプクプクと音を立てる。黒猫=数馬に取り憑かれている…そんな考えは本当に馬鹿げていると思いつつも、自分のことが鍋で煮られる黒猫のように思えてきてしまう。
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登場人物紹介

星野 由美子(ほしの ゆみこ)

 高校2年生。タバコを嗜む。不良と呼ばれることには納得している。ただ、まわりに構ってほしくて悪ぶっているわけではない。できれば、そっとしておいて欲しいし、他人に迷惑もかけたくないと思っている。

 基本的にはドライな性格だが、一線を越えられたと感じた時にはしっかりと切れる。切れるとすぐに手が出る。

 映画研究部に在籍。同じ部の後輩である達郎と恋人関係になる。達郎との仲が深まるにつれて、過去の暗い出来事への自責の念が強くなっていく。

上座 達郎(かみざ たつろう)

 高校1年生。映画研究部に在籍。同じ部の先輩である由美子と恋人関係になる。由美子に対しては徹底的に従順である。

 基本的に温厚な性格。自分に対しては素を見せてくれる由美子のことが好き。由美子からぞんざいに扱われていると感じることもあるが、由美子には自由に振る舞っていて欲しいので、受け入れている。

 頭の回転が速く、状況判断にすぐれている。そのため、柔和な雰囲気がある反面、どこか芯の通った強さも周囲に感じさせる。

数馬(かずま)

 由美子の幼なじみ。幼少時に不幸な死を遂げる。その死が由美子に暗い影を落とすことになる。とは言え、長らくの間、由美子から存在すら忘れられていた。

 忘れられていた間は、由美子の無意識下に潜んでいたのだが、とあるきっかけで意識上に浮上することになる。

 それ以降は、由美子の夢の中にちょいちょい現れるようになる。ある種のストーカー。

琴子(ことこ)

 高校2年生。由美子の親友。映画研究部に在籍。

 裕福な家庭で育ったお嬢様。由美子と親しくなるまでは優等生タイプだったが、由美子の影響でタバコの味を覚えて、最終的に由美子以上のヘビースモーカーとなる。

 基本的に甘やかされて育てられたが、性格がねじ曲がることもなく、両親の愛情を一身に受けて素直に育った。

 それでも道を外れてしまったのは、好奇心旺盛な気質のためだったのだろう。

水野(みずの)刑事

 麻薬取締課の刑事。33歳独身。童顔のため10歳ほど若くみられることが多い。

 10代後半の頃、自分で自分のことをサイコパスだと考えるようになる。このままだと自分はいつの日か犯罪者になってしまうのではないかと恐れて、自分の行動を縛るためにも警察官になることを決心する。

 本当にサイコパスかどうかは不明だが、今のところ刑事としての職分をそつなくこなしている。

 実際のところは、自分のことをサイコパスだと妄想する妄想癖を持っているだけなのかもしれない。

桐生 和彦(きりゅう かずひこ)

 高校2年生。陸上部に在籍。走り高跳びの選手で県大会出場クラスの実力を持っている。陸上部のエース。

 運動神経が良くて、身長も高く、顔立ちも悪くない。口数が少ないところもクールな印象を与えるらしく、少なからず女子からモテてきた。

 これといった努力をしなくてもモテるので、どんなオンナでも自分が本気になれば絶対に落とせると勘違いしているところがある。

 そういったズレた感覚を胸に秘めているので、周りからは理解できない突拍子もない言動を時に取ることがある。

火堂 梨奈(ひどう りな)

 高校1年生。陸上部に在籍し、長距離走チームのマネージャーを務める。

 恋愛体質で惚れっぽい。恋人がいるか、もしくは想い人がいるか、つねにどちらかの恋愛モードに入っていないと情緒不安定になってしまい、日常生活に支障が出てしまう。

 片想いの時には、なりふり構わずに相手にアピールしまくるため、まわりの女子生徒からは、その「あざとさ」のため好印象を持たれていない。

 現在は陸上部のエースである桐生にターゲットを絞っている。桐生に惚れたというよりも、「陸上部のエース」という肩書きに惚れた面が強い。

北島 耕太(きたじま こうた)

 高校2年生。水泳部に在籍していたが、厳しい練習について行けずに、1年生のうちに退部した。

 その後はどの部にも入らず、帰宅部となる。帰宅部になってからは、空いた時間を使って駅前のうどん屋でアルバイトをしている。

 物静かな性格で、クラスでも目立たない存在。かと言って、仲間外れにされているわけではなく、友人もいないわけではない。学業成績も平均的である。

 口外はしないが、退廃的な思想を持っており、「遅かれ早かれ世界は滅ぶ」という座右の銘を胸に隠し持っている。

西条 陽子(さいじょう ようこ)

 高校1年生。陸上部に在籍。長距離走の選手。長距離走チームのマネージャーをしている火堂 梨奈と仲が良い。

 人一倍霊感が強いことを自覚しているが、奇異の目で見られることを嫌って、友人の火堂も含めて他人には秘密にしている。

 お節介焼きなところがある。火堂の精神的な弱さにつけこんで、取り憑こうとしてくる浮遊霊をひそかに祓ったりしている。

 長距離走の選手になったのは、長い距離を走るとトランス状態に入りやすくなって霊感が磨かれると感じるためである。

 

加藤(かとう)

 高校3年生。不良グループの一員。父親が有限会社を経営しており、高校卒業後はその会社に就職することが決まっている。将来的には父親の跡を継ぐ予定。

 190㎝近い長身を持ち、格闘技経験は無いものの、持ち前の格闘センスの高さから、タイマン勝負では無類の強さを誇る。

 愛想が良くて人たらしの面があり、仲間たちや後輩たちから慕われている。ただその反面、こうと決めたら絶対に折れない頑固な面もあり、どれだけ仲の良い相手とでも一触即発の状態になることがある。

川尻(かわじり)

 高校3年生。不良グループの一員。卒業後は先輩のツテで鳶職に就く予定である。

 小学生の時からクラブチームに所属してサッカーをしていたが、中学生の時に膝の靭帯を断裂する大ケガを負ってしまい、それを機にサッカーをやめた。その頃からしだいに素行が悪くなり、今に至る。

 現実的で現金な考え方を持っていて、物質的、金銭的なメリットをまず第一に優先して行動する。損得勘定ばかり気にしているので、まわりからは不信感を抱かれがちである。

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