9/18 取調室に姿を現した北島は
文字数 4,332文字
水野刑事は机の上に二枚の写真を並べて、「このふたりを知っているか?」と尋ねる。琴子と仲本の写真である。
「はい、知っています」
「どういう知り合いだ?」
「僕が彼らに覚せい剤を売りました」北島はあっさりと犯行を認める。
水野刑事は、ハッとして、北島の瞳をのぞきこむ。その奥には狂気の光がチラチラと見える。
「あっさりと認めるんだな…観念したのか?」
「観念?」北島の顔が、グニッとゆがんで、見下したような微笑を形作る、「あなたたちにはそう見えるのかも知れないですね」
水野刑事はその瞳を見つめ続ける。北島も視線をそらすことなく見返している。
「覚せい剤はどこで手に入れた?」
「バイト先のオーナーが流してくれました」
「バイト先? どこだ?」
「駅前のうどん屋です、『みつや』っていう…」
「オーナーの名前は?」
「三谷ナントカ…って名前ですけど、とっくに店閉めて、どこかに逃げちゃってますよ。この子が…」と、琴子の写真を指差し、「この子が窓から飛び降りたとき、ビビったんでしょうね。その日のうちに雲隠れですよ」
それでも、水野刑事はその三谷という男の所在を確認するように手配する。
「君は何故逃げなかった? 捕まると思わなかったのか?」
「逃げる?」ふたたび北島の顔がみにくくゆがみ、今度は声を上げて笑い出す、「ハハハ…逃げるって何から逃げるんですか? 警察からですか? ヤクザからですか? それに、そもそもどこに逃げるって言うんですか?」
「じゃあ、その三谷という男は、何から、どこへ逃げたというんだ?」
「知りませんよ、そんなこと。それを調べるのが警察の仕事でしょう?」
北島が最初に見せていた、ひ弱な印象はいつのまにか消え去り、その目は見開かれ、爛々と鈍い光を放っている。
これが、こいつらの本性だ…自分が売りつけたクスリで同級生が廃人になろうとも、冷ややかに笑うことができる精神…それは、死んでいく人間を目の前にしても、すこしも動揺しないのだろう。こいつらは、他人の死に対して冷淡であるのと同様に自分の生死に関しても無頓着でいられる。そして、必死に生き抜こうとする人々をバカにすることで優越感に浸っているのだ。
北島の証言によると、覚せい剤を北島から買っていたのは、琴子と仲本のほかに、あと三人いるとのことである。すべて同じ高校の生徒であり、彼らについても取り調べが行なわれるのだが、彼らは、お互いのことはほとんど何も知らず、皆、一様に「ほかに買っている生徒がいるとは思ったが、それが誰なのかは分からなかった」と答える。
それは、北島の意図的な戦略で、自分と購入する相手との関係を一対一に保ち、それぞれを顧客として孤立させることで、購入相手にその売買行為を秘密めいたものとして強く意識させ、その秘密保持を促していたのである。そのために、誰に覚せい剤を買うように話を持ちかけるのかという選択も慎重におこなわれていて、比較的に交友範囲がせまく、比較的に無口で、それでいて好奇心や探求心をそれなりに持ち、誘惑に対する抵抗力が低いような生徒を、バラバラの友人グループからひとりずつ選んで声をかけたのである。この北島という十七歳の少年は、そういった他人の性格、気質を見抜く能力に長けていたようで、声をかけた五人全員が彼の思い描く理想の顧客となり、その年の四月から半年近くにわたって売買をつづけることができたのである。
北島にとって予想外だったのは、バイト先のオーナーからの覚せい剤の供給が不安定になったことで、その理由は彼には分からないのだが、五人の顧客に対して十分に覚せい剤が行き渡らなかったのである。当面はストック分で何とかしのいでいたのであるが、琴子が禁断症状に耐えきれず、窓から飛び降りたことで、事態は急変する。
バイト先のオーナーが、うどん屋を閉めて、どこかへ逃げたことによって、覚せい剤の供給は完全に断たれ、北島は、手元に残った分をコントロールしながら残る四人に売りつづけていたのだが、ついに仲本が事件を起こしたところで…
「ゲームオーバーって感じですね」北島はさらにつづける、「あの子が飛び降りたと聞いたときには、正直、そこで終わりと思いましたけどね。でも、幸い、ああいった状態で、植物人間って言うんですか、とても証言できないような状態でしたから、こうなったら、行けるところまで行ってやるって感じですよ。覚せい剤に塩まぜたり、少しずつ売ったりして、何とか二ヶ月近く持たせたわけですから、最終的には捕まっちゃいましたけど、ベストは尽くしたんで、本当に悔いはないって感じですね」
水野刑事は、得意顔で勢い込んで話しつづける北島の目をジッと見つめている。二、三日前まではチラチラと見えていた狂気の光が、今やその目から立ち上らんばかりにあふれている。
「いいか…」水野刑事は静かに口を開く、「いつまでもこんなことが許されると思うなよ。怒りの剣はすでに振り上げられているんだ。それは、近い将来、必ず、おまえらの腐りきった魂をこなごなに打ち砕く。原子レベルのチリと化した、おまえたちの魂は、大宇宙のかなたに吹き飛ばされ、決して平静を得ることはない。そのときになって許しを請うても、もう手遅れだ。それだけは心しておけ」
北島はポカンと口を開けているが、しばらくの後、声を上げて笑い出す、「ハハハ! 何だよ、それ! ちょっと刑事さん、ヤバイよ、それ! 何? 腐った魂が…ハハハ! 大宇宙? 勘弁してよ!」
最早、水野刑事は北島を見ていない、「連れていけ」と傍らの刑事に指示を出す。北島は取調室を退出してからも大声で笑いつづけ、その声は水野刑事の耳にも届いていたが、しだいに小さくなっていき、最終的には聞こえなくなる。
「フウ、やれやれ…」由美子は校舎の陰から通用門の様子をうかがう。通用門周辺には、マスコミ、報道陣がつめかけており、下校する生徒の何人かにマイクを向けてインタビューしている。二ヶ月前に琴子が飛び降りたときにも見られた光景であるが、そのときとは報道陣の数が桁違いである。
高校二年の生徒が同級生に覚せい剤を売り、しかも琴子の事件が発覚してから二ヶ月ものあいだ、その売買がつづけられていたわけで、社会的関心度は高く、学校の管理体制のあり方が問われ、校長、教頭、生活指導担当の教師、そして北島の担任の四人が並んで会見を開き、カメラに向かって頭を下げる。
北島の自宅や、購入していた五人の生徒の家にも報道陣がつめかけ、連日、ワイドショーで取り上げられる。そんな中で、琴子の友人であり、また、琴子が飛び降りた現場に居あわせたということもあって、由美子も取材の対象となる。由美子の家では、インターホンが頻繁に鳴らされ、電話もひっきりになしにかかってきて、そのたびに、家族が、「本人はもう過去の出来事として気持ちの整理をつけているのだから、どうかそっとしておいていただきたい」と説明するのだが、それでも取材依頼は止むことがない。「ほとぼりが冷めるまで、しばらくのあいだ、学校休んだらどう?」と母親などは言ってくれるのだが、報道陣に囲まれた家のなかでジッとしているのも苦痛なので、猛ダッシュで包囲網を突破することになる。
なんとか学校に着くと報道陣も学校までは入って来れないようで、何とか一息つくことができるのだが、それでも学校全体が浮き足立っているような状態なので、神経はなかなか休まらない。そして、なんとか授業も終わり、さあ帰ろうと思うと、通用門があの騒ぎで、本当に「やれやれ」である。
「達郎、おまえは自転車を押して、通用門から外に出ろ。わたしは裏のフェンスを乗り越えて行くから、金魚屋の前で落ち合おう」由美子は達郎に耳打ちする。「金魚屋」というのは、由美子がひいきにしている駄菓子屋の名前である。
由美子は体育倉庫の裏に向かう。あそこであれば、周囲から死角になっており、誰にも見咎められることなく、フェンスを乗り越えることができる、由美子は経験からそう思い、急ぎ足で向かったのだが、そこでばったりと桐生と梨奈が抱き合っているところに出くわしてしまう。
桐生は由美子に気付くと、パッと梨奈から身体を離して、顔を真っ赤にして下を向く。
「わわっ、ご、ごめんなさい、これはとんだお邪魔を…」由美子はしどろもどろになりながら、さっさとフェンスを乗り越えようとする。
はじめは何が起こったのか分からなかった梨奈も、由美子の姿をみとめて、一瞬、おどろいた顔を見せたが、すぐに怒りの表情に変わり、「ちょっと待ちなさいよ! 一体どういうつもりよ! どうして、そんなにわたしたちの仲を引き裂きたいわけ!?」と叫ぶ。
由美子は、その頃にはガチャガチャとフェンスの頂点にのぼりつめたあたりで、「いや、そんなつもりは全く…」と弁明しようとするのだが、その拍子にバランスを崩して、向こう側に落ちてしまう。
桐生は、由美子が落ちる鈍い音にハッと顔を上げると、次の瞬間、あっという間にフェンスを乗り越えて、「大丈夫か?」と由美子を抱き起こす。
幸い、由美子に大きなケガはなく、ヒジとスネにかすり傷を負っただけで済んだのだが、桐生のこの行動が梨奈の嫉妬心に火をつけてしまう。
「いったい、どういうつもりよ! ふたりして、わたしをバカにしようっていうの!」梨奈はヒステリックに叫ぶ。
「いや、そんなつもりはないよ…」と、由美子は立ち上がり、桐生に向かって、「ありがと、わたしは大丈夫だから、戻ってあげなよ」と言って去ろうとするが、桐生がその手をつかみ、何を血迷ったのか、「星野! 俺が本当に好きなのは、おまえなんだ!」と絶叫する。
「おいおい…」冗談だろ? と思って、その目を見ると、どうにも本気なようなので、何とも言えない怒りが沸き起こってきて、その鼻っ柱を殴りつける。
桐生は、ガシャンと背中をフェンスにぶつけながらも、その手は放さず、「本気だぜ」とつぶやくのだが、フェンスの向こうでは、梨奈が声を上げて泣きながら駆けて行くのが見える。