第13話 お札(さつ)

文字数 993文字

◇◇ お札(さつ) ◇◇ 


大学卒業後、とある銀行に就職し、新宿区内の支店に配属された。
新卒は、元方(もとかた)といって、まず金庫番をやらされる。
初めて、大金庫に入ったとき、預金課長がわたしの顔色をじーっと伺っていたのを今でも覚えている。
大金庫内は狭いので、床には、1千万の札束をさらに10個ずつ束ね、ビニルで覆ってあるものが並べてあり、慣れてくると、その上を、平気で靴でズカズカ歩いていた。単なる印刷物と化したのだ。
ただ、営業が集金して来たお札には、独特の香りがした。
八百屋のお札には、野菜の臭いがしたし、魚屋のにも独特の臭いがした。
労働の汗が結実しているのがお札なんだな、と改めて思わされた。

元方の仕事には、閉店後、残ったお金を郵便局に預けに行く仕事もある。
1日だけでも億と預けておけば、それだけで幾ばくかの利息が付くのだ。
大きなトランクに数億入れ、支店長の社用車に乗って近くの大きな郵便局に送って行ってもらうのだが、防犯のためとはいえ、ペーペーの自分が運転手付きで送って行ってもらうのは、ちょっと、座り心地が悪かった。
さて、郵便局に着いて、窓口に運ぼうと階段を上りかけたところ、いきなり、トランクのフタがパカッと空き、いくつかの1千万の札束がコロコロ転がり落ちた。
さすがに、そのときは、焦った。
ふだん踏みつけている札束とはいえ、1個でもなくなったら、大ごとである。
結局、無事に回収できたが、その'おむすびコロリン'の情景は、いまでも鮮明に覚えている。踏みつけた天罰だったかもしれない。

入行後、1年目に、財務・法務・税務の各2級をとり、1年半で貸付になった。
ある日のこと、次長の紹介で貸付のブースにやってきたK氏は、みるからに立派な身なりの紳士であった。スーツから靴、そして小物にいたるまで、すべて一流品を身にまとっていた。また、話の途中で、高級腕時計で時間を見たり、モンブランの最上級万年筆をおもむろに取り出してみせたりもした。しかし、どうも、ひっかかるのだ。あえていえば、スーツなら○○、靴なら○○などと、一つ、一つ、言葉にしたかのように一流品を並べ立て、身につけているのだ。ところが、お札を数える手が、高級品とは不釣り合いの労働者の手で、また、数え方が汚かった。あとから知ったが、詐欺師だったとのことだ。


様々な人間模様は、お札周りにも如実に表れるものらしい。






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