第9話 バズる
文字数 1,304文字
◇◇ パズる ◇◇
扱いにくい話題ですが...
ネットやSNSで脚光を浴びたわけでもないので、いわゆる「バズる」のとは違うが、ちょっとかわった体験をしたことがある。
数年前、所蔵している郷土の100年以上前の古写真を使って、英和対訳で、百年前の郷土案内の小冊子を作ったことがあった。それまで、どこにもなかった形式のものだ。
それを、自前で数十部印刷し、当地を訪れる旅人に読んでもらおうと、地域コミュニティ活動をしているNPO団体へ持ちこんだ。事務所に配架してもらおうというわけだ。
センター長が応対してくれた。
「いやあ、凄いですね。お一人で作られたんですか?」
「ええ..。昔から郷土研究が好きで...」
「明治・大正期の、この辺りの貴重な古写真がこれだけまとめて載せてあるだけでもすごいのに...、しっかりした郷土研究の文になっている」
センター長は、ずいぶん感激してくれた。
「いやあ..」
「..それに、英文と和文の対訳になっていて、リーフレットとしても美しい。..これだけ、全部できる人は、なかなかいないですよ。」
道楽で作ったのに、これだけ褒められると、なんか、嬉しいを飛び越え、こそばゆい気分だ。恐縮のあまり、申し訳ない気分にさえなってくる。
「うちでも、ときどき、外人さんがやってきて、英文で書かれた郷土のリーフレットを欲しがるんです。この間は、アメリカのガールスカウトたちがやってきましてね..。大助かりです。うち以外にも何か所か心当たりがあるので、そちらにも置かせてもらいに行ってきましょう。」
「はい、ありがとうございます。」
私は、頭を下げた。
そのときは、べつだん、何か所か置く場所が増えた程度にしか考えていなかった。
ところが、センター長が配架しに回ってくれたのは、市の広報広聴課、市役所内にある報道関係者の控室、そして新幹線の駅構内にある観光協会等々。
で、どうなったか―――。
市の全戸配布の広報誌に1/3ページ大で紹介される、朝〇新聞が取材に来て新聞に掲載される、地元の郷土研究団体や観光案内ボランティア団体から電話がかかってくる、ラジオ番組への出演を依頼される、冊子をもらおうと拙宅に来る、市民ミーティングなるもので市会副議長の隣に座らされる等々、大ごとになった。他にもあるのだが、ここには書かない。
ただ、観光協会さんだけは、現実の観光施設とは直結しないもののためか、はじめ、配架には、少し消極的な面もあった。しかし、新幹線でやってきた見知らぬオーストラリア人が、拙作の小冊子をずいぶんと誉めてくれたそうで、それ以降、協会の人の態度が一変、もっともっと持ってこい、ということになった。
現在は、一時の喧騒的な'バズり'は収まったが、市立博物館さんが館内に私の写真史料の小さな展示コーナーを設け、個人蔵として常設展示してくださっているのは、有難い限りである。
人生、思わぬところに、何が転がっているかわからないものだ。
それは、だれにでもある。
だが、私の場合、以上は、あくまで道楽でのお話。
本業のほうこそ、もっともっと、バズらなくては。
それにしても、あの時、宝くじでも買っておけば...
扱いにくい話題ですが...
ネットやSNSで脚光を浴びたわけでもないので、いわゆる「バズる」のとは違うが、ちょっとかわった体験をしたことがある。
数年前、所蔵している郷土の100年以上前の古写真を使って、英和対訳で、百年前の郷土案内の小冊子を作ったことがあった。それまで、どこにもなかった形式のものだ。
それを、自前で数十部印刷し、当地を訪れる旅人に読んでもらおうと、地域コミュニティ活動をしているNPO団体へ持ちこんだ。事務所に配架してもらおうというわけだ。
センター長が応対してくれた。
「いやあ、凄いですね。お一人で作られたんですか?」
「ええ..。昔から郷土研究が好きで...」
「明治・大正期の、この辺りの貴重な古写真がこれだけまとめて載せてあるだけでもすごいのに...、しっかりした郷土研究の文になっている」
センター長は、ずいぶん感激してくれた。
「いやあ..」
「..それに、英文と和文の対訳になっていて、リーフレットとしても美しい。..これだけ、全部できる人は、なかなかいないですよ。」
道楽で作ったのに、これだけ褒められると、なんか、嬉しいを飛び越え、こそばゆい気分だ。恐縮のあまり、申し訳ない気分にさえなってくる。
「うちでも、ときどき、外人さんがやってきて、英文で書かれた郷土のリーフレットを欲しがるんです。この間は、アメリカのガールスカウトたちがやってきましてね..。大助かりです。うち以外にも何か所か心当たりがあるので、そちらにも置かせてもらいに行ってきましょう。」
「はい、ありがとうございます。」
私は、頭を下げた。
そのときは、べつだん、何か所か置く場所が増えた程度にしか考えていなかった。
ところが、センター長が配架しに回ってくれたのは、市の広報広聴課、市役所内にある報道関係者の控室、そして新幹線の駅構内にある観光協会等々。
で、どうなったか―――。
市の全戸配布の広報誌に1/3ページ大で紹介される、朝〇新聞が取材に来て新聞に掲載される、地元の郷土研究団体や観光案内ボランティア団体から電話がかかってくる、ラジオ番組への出演を依頼される、冊子をもらおうと拙宅に来る、市民ミーティングなるもので市会副議長の隣に座らされる等々、大ごとになった。他にもあるのだが、ここには書かない。
ただ、観光協会さんだけは、現実の観光施設とは直結しないもののためか、はじめ、配架には、少し消極的な面もあった。しかし、新幹線でやってきた見知らぬオーストラリア人が、拙作の小冊子をずいぶんと誉めてくれたそうで、それ以降、協会の人の態度が一変、もっともっと持ってこい、ということになった。
現在は、一時の喧騒的な'バズり'は収まったが、市立博物館さんが館内に私の写真史料の小さな展示コーナーを設け、個人蔵として常設展示してくださっているのは、有難い限りである。
人生、思わぬところに、何が転がっているかわからないものだ。
それは、だれにでもある。
だが、私の場合、以上は、あくまで道楽でのお話。
本業のほうこそ、もっともっと、バズらなくては。
それにしても、あの時、宝くじでも買っておけば...