第16話 道長内覧に

文字数 767文字

 しかし、長兄道隆の権勢は長くは続かなかった。5年後の長徳元年(995年)病に伏し、4月3日、嫡子の内大臣伊周に関白を譲りたいと帝に奏上したが、帝は許されなかった。道隆の政を快く思っていらっしゃらなかったから。とりあえず、病中の内覧のみ許された。そして、4月10日、43歳でお亡くなりになる。
 ところが、4月27日に摂政となった次兄道兼は、そのあとすぐに病にかかり、5月8日に35歳で、後を追うように亡くなってしまう。
 兄君たちには気の毒なことであったが、これは弟道長の出番である。ところが、帝は定子様の兄君で道兼の嫡男の伊周を関白にする考えでいらっしゃる。伊周では、帝の助けにはならない。言動の端々に、帝をないがしろにし、自分の思い通りの政治を行おうとするこころ持ちが見受けられる。なんとしても、止めなくてはならない。
 わたくしは、帝のもとに急いだ。
「いかでかくは思し召し仰せらるるぞ、大臣越えられたることをだに、いといとほしく侍りしに……」
(なぜ、そんなことをおっしゃって道長の摂政就任を退けられるのです。この母の同母の兄弟である道隆の後を道兼に継がせたのならば、次は当然道長に継がせるべきでしょう。若輩の伊周に大臣の位を越えられたことでさえ、この母が、どれほど気の毒なことと思っていたことか。……兄弟の順を守り正しい政治を行われることが、天皇であるあなたのなさるべきことです。)
 かなり語気も強く申し上げたのに、同意してくださらない。
 もう一度呼び出してもらうように申し付けたのに、顔を見せてくださらない。仕方なく、ご寝所に入り込み、直接訴える。涙ながらに、心も言葉も尽くして申し上げる。
 やっとのことで、帝の了承を得て、控えていた道長に「あはや、宣旨下りぬ」(ああ、やっと道長を内覧にするというご命令が下りました。)と告げた。
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登場人物紹介

藤原詮子…藤原兼家の正妻時姫の娘。同母の兄弟は、長兄道隆盛・次兄道兼・弟道長、姉超子。異母兄弟多数。我が子は、一条天皇だけ。

円融帝…冷泉天皇の弟。母は、兼家の姉藤原安子。村上天皇から見ると冷泉天皇は第2皇子。円融天皇は第5皇子。安子から見ると、第1皇子が冷泉、第3皇子が円融。ややこしい…。我が子は、一条天皇だけ。

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