第6話 媓子立后
文字数 538文字
天元五年(982年)一月一日、父は右大臣として参内し、帝にご挨拶をし、わたくしの梅壺にもいらっしゃった。一宮様のおかわいらしさに、目を細めていらっしゃった。一月二十八日、冷泉上皇の女御であった姉の超子がお亡くなりになった。たくさんの皇子様、姫皇子様を産まれたのだが、先の姫皇子様を産まれた後、御体を壊してしまわれたのであった。悲しくてやりきれない。
そうこうしているうちに、信じることのできない噂を耳にした。関白頼忠殿の娘遵子様に中宮の宣旨が下るというのだ。帝は、父を警戒なさって、秘密で事を進めていらっしゃったらしい。
先の中宮兼通殿の娘媓子様がお亡くなりになって、中宮が空位になっていた。当然、一の宮様をお産み申し上げたわたくしが近いうちに中宮になるものと思っていたのに。わたくしは、父に連れられ、東三条殿へと退出した。
十月五日、立后の日。わたくしは、父の東三条殿で唇をかみしめていた。帝からは、一の宮を連れて参内するようにと矢の催促だ。誰が参内などするものか。父も、参内を促されているが、全く動かない。女御に対するこの仕打ち、決して許すまじ。なんと、媓子様の弟の公任が「こちらの女御(詮子)はいつ立后なさるのかな」と言い放ったという。この恨み、晴らさずにおくものか。
そうこうしているうちに、信じることのできない噂を耳にした。関白頼忠殿の娘遵子様に中宮の宣旨が下るというのだ。帝は、父を警戒なさって、秘密で事を進めていらっしゃったらしい。
先の中宮兼通殿の娘媓子様がお亡くなりになって、中宮が空位になっていた。当然、一の宮様をお産み申し上げたわたくしが近いうちに中宮になるものと思っていたのに。わたくしは、父に連れられ、東三条殿へと退出した。
十月五日、立后の日。わたくしは、父の東三条殿で唇をかみしめていた。帝からは、一の宮を連れて参内するようにと矢の催促だ。誰が参内などするものか。父も、参内を促されているが、全く動かない。女御に対するこの仕打ち、決して許すまじ。なんと、媓子様の弟の公任が「こちらの女御(詮子)はいつ立后なさるのかな」と言い放ったという。この恨み、晴らさずにおくものか。