第21話 後日談
文字数 478文字
東三条院様(詮子)がお亡くなりになってから、ずいぶんな時がたった。東三条院様は、我が君一条帝の母君であり、わが父道長の姉君でもある。祖父兼家から見れば、一条帝もわたくし彰子も、共に孫にあたる。ご縁も深く、わたくしは祖父にも東三条院様にも、ずいぶんかわいがっていただいた。現在わたくしが国母になっているのも、東三条院様のお引き立てあってこそである。
後一条帝は、寛弘五年(1008年)のお生まれであるから、東三条院様は見られることなく亡くなられたが、生きていらっしゃればさぞお喜びであったであろう。わずか8歳での即位であったため、父道長が摂政をなさっている。
先の帝である三条天皇は、現在太政天皇となっていらっしゃるが、中宮は父の次女で妹の妍子である。後一条帝の中宮は、父の三女で二番目の妹の威子である。
天皇の配偶者(妻)・母・祖母等に与えられた「皇后・皇太后・太皇太后」の地位を三后と呼ぶが、ここに、三后がすべて父道長の娘になってしまった。父は、満月のようにかけることなく満足である、と歌に詠んだらしい。東三条院様は、あきれていらっしゃるかもしれない。
後一条帝は、寛弘五年(1008年)のお生まれであるから、東三条院様は見られることなく亡くなられたが、生きていらっしゃればさぞお喜びであったであろう。わずか8歳での即位であったため、父道長が摂政をなさっている。
先の帝である三条天皇は、現在太政天皇となっていらっしゃるが、中宮は父の次女で妹の妍子である。後一条帝の中宮は、父の三女で二番目の妹の威子である。
天皇の配偶者(妻)・母・祖母等に与えられた「皇后・皇太后・太皇太后」の地位を三后と呼ぶが、ここに、三后がすべて父道長の娘になってしまった。父は、満月のようにかけることなく満足である、と歌に詠んだらしい。東三条院様は、あきれていらっしゃるかもしれない。