第9話

文字数 3,312文字

 鈴木賢哉は高校生の時に、正月のテレビ番組を見ながら母が言った一言で雅楽に興味を持った。
 それは母方の遠縁が、古の楽家だったという事で、その事に興味を持った其処の家の男子が、雅楽の学校を受験して受かったという事を、祖母から聞いた母は自慢気に、将来皇居で楽師として演奏する事もあるだろう………と番組を見ながら言った。
 その時鈴木は、そういった特別な世襲職の血を、遠縁でありながらも、少しでも継いでいるとは、知りようもなかった事だから、今まで興味すら持った事もないものに、急に興味を持ったのかもしれない。
 ………否、その時母が見ていた番組が、雅楽の番組だったからだ。
 そんな話しを祖母から聞いた母が、今まで馴染みのなかった雅楽に興味を持って、見た事もなかった番組を見たものなのか、その番組を偶々見て思い出した事なのか………それは鈴木には大した問題ではなくて、その番組を見て〝その舞〟を見てしまった事に、大きな意味を見出してしまった事が問題だった。
 今までに見た事も無い、舞=ダンスというには異質な感じ………。
 だが鈴木はその、異質なダンスに魅入られてしまった。
 今インターネットで騒がれている、スピード感溢れる激しい動きとは、まるで違う世界の動きだし、コレを〝ダンス〟というのだろうか?と思わざるを得ない動きの、その重々しい動きは鈴木の慣れ親しんできた動きとは、別の所に重きを置いた何かがあって、そして動きの良し悪しが全て舞人の技量というか、持って生まれた何かによって左右される様に感じた。
 つまり速ければ良いとか、大きく動けば良いとか、眼を見張る技を繰り出せば良いものではなくて………そう……その舞人の持って生まれた能力によって、そのダンスは自然と涙を瞳から溢す程の〝何か〟を、見ている相手に与えるものだと感じて、画面から眼を逸らす事ができなくなってしまった………。
 鈴木は、大学に雅楽がある事を条件に受験をした。
 それまでに雅楽のカルチャースクールや、文化振興財団が主催するワークショップなどに参加して、雅楽というものに関わりを持った。関わりを持てば持つ程、ハマって夢中になった。
 そして鈴木は、驚く程に音感が良かった。
 父も母も音楽に関わりのある人間ではなかったし、母方が古の楽家の家系だといってもそれは枝葉の家系で、幾度となく苗字を変えて辿り着く鈴木の祖母だ。だから舞にも音楽にも、関わらないで育っている。そんな鈴木だが、確かに音楽の成績は良かったし、楽器を扱う事も苦労した覚えはなかった。無かったが、それといって惹かれる事もなかった。
 確かに友達と流行歌を共有したり、カラオケで歌うのは好きだったが、それは友人が存在するからだと疑わなかった。
 だから大学に行って雅楽に携わる様になっても、難しいとされる古代の楽器すら熟す事ができた。ハマればハマる程楽師への夢が広がるが、現在伝統芸能である雅楽を、敬虔に伝承しているのは、やはり渡来した歌舞と古代から存在する、固有の歌舞とを上手く融合させ、大きく開花させて美しく、そして粛々と形を整え、永きに渡り絶える事なく受け継いできた、宮中の楽部である事は、その由来を知れば誰でも納得する事だ。
 だがその尊き雅楽師になるには、中学卒業後行政機関に在る学校に入学しなくてはならない。それ以降になると遅いのだそうだ。日本の言い伝えの一つである、習い事は六歳の六月六日から………ではないが、何かを習得するには、早くから始める事が大事なのだろう。また楽師は世襲が基本なので、代々雅楽を伝えて来た楽家の出身者が多いそうだが、確かに日本の古典芸能を伝承しているのは、古からの慣しを重んじる、一部の家系の者達で行われており、昨今において一般人も携わる事も可能とされてはいるが、やはりそこまでの育つ過程と環境が大きく違うし、誕生した時から背負わされるものも大きく違う。彼らは望む事も無く、全てその環境の下で育ち、関わり充てがわれて育つ。何も無い世界から、自分で選択する事を許される者達とは、スタート地点で違う世界で選択するのだから、その技量に関して叶う者はいないだろう。………つまりそんな彼らと同等又は抜きん出る事は、それはただその資質を神より与えられた人間(もの)でしか無いという事だ………つまりは日本に座す、八百万の神に愛された者だ。
 ただ最近では民間の雅楽が盛んになって、雅楽を広めようとする団体が増えている。又その団体に属さずに、個人で活動をしている人もいるし、インタネット上で活躍している人もいる。
 伝統芸能は民間においては、その時代によって形を変えて浸透して行くものなのだろう。だが古より、護り続けていかねばならない所が在るのも真実だ。
 鈴木は大学卒業後、向井の神社の雅楽会に所属している。
 無論神社だから、神職者や巫女達は舞や楽器に携わっているが、神事において必要に迫られ()()()()()()()、やっている者が増えると質が落ちる……と、現宮司が雅楽会の会を創設した。と言ったところで、地域の学ぶ熱意や向上心のある人を集めた会なのだが………。そこに鈴木の事を聞いた宮司が、わざわざ足を運んで誘ってくれた。
 宮司と鈴木の父が、中学校の同級生だったのだ。
 雅楽団体に所属したいが、空きがないとなかなか難しいらしいし、しがらみが多く縦の関係や派閥が強く、下積みが非常に長いと聞き、芸能関係では決して珍しい事ではないが、父親心としてはやはり、若輩者の我が子を心配するのは当たり前の事だった。すると向井の父は、その鈴木に非常に興味を示した。
 高校生半ばから始め、確かここの雅楽会で行なった、定期的に行われている、初心者向けのカルチャースクールにも参加していたようだ。大学でかなり上手に演奏できるようになったといい、何よりも〝舞〟が上手いのだと、同級生は親バカで言うが、是非その自慢の息子の〝舞〟を見てみたいと思い、神社の祭事の折に舞わせる事にしたが、確かに他の会の者とは違う舞を見せた。

 …………驚くべき才だ………

 向井の父……宮司は息を呑んだ。
 〝舞〟は、舞人の舞方で人を魅了する。
 見ている人間を釘付けとするか否か、それは待っている人間の〝才〟にかかっている。それは持って生まれたもので、努力や技量で得られるものではない。
 その舞人の、一挙手一投足が人を魅了し釘付けるのだ。
 向井の父は翌日わざわざ鈴木の家に訪れ、神社の雅楽会で演奏して欲しい旨を伝えた。すると今時の若者である鈴木は、伝統的しがらみや慣しの多い団体に、上手く適応する自信がなかったのもあり、そういったしがらみのない、向井の神社の雅楽会に入会する事を望んだ。つまり少しでも雅楽に携わっていられれば、鈴木はそれで満足だったのだ。
 向井の所の雅楽会は、熱意溢れる人達が集まり、和気あいあいと楽しめる団体だった為、会のメンバーは会社員だったり、自営業者だったり、神職者だったり、フリーで演奏活動をしている人も、中にはインターネットで動画配信している人もいる。だがそんな個人で楽しんで携わっている人達だが、驚く程にセンスがあり惹きつける人達だ。そんな人達との交流の中で、鈴木はどんどんと雅楽へ引き込まれて行った。


「僕に舞えるかどうか、ほんとうに分からないんですけど………」

 鈴木は、向井を直視して言う。

「僕に舞わせて、もらえないでしょうか?」

 鈴木は一言一言、確認する様に言った。

「そりぁ……鈴木さんしか、ウチじゃ舞ってもらえない……」

 向井が神妙に答えた。
 鈴木の才能は、父から聞いている。
 父は呆れる様に、鈴木同様にまだ若かった向井に、それは面白そうに言った。

「人間の血っていうのは、実に面白いね。彼は逸材……ってヤツだよ。薄く薄く薄められて行く過程で、ポンと枝葉の端に大輪を咲かせる逸材だ。昔なら養子にしてでも、家名を守らせた逸材だ。そしてもしかしたら、最後まで当人すら知る事のなかったかもしれない、開花しなかったかもしれない才能だ。そんな才能が受け継がれて、忘れ去られた血筋に現れた………」

 それは今思えば、何かの暗示なのだろうか………?
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