第6話

文字数 655文字

作品6 作品名 
 『うつし鏡』

 どうしても赦す事が出来なかった。
 その老人は過去に、とらわれていた。
 過去の幻影に憑りつかれていたのだ。
 若い時の記憶が時折、鮮明に蘇り、老人を苦しめていた。
 その憎しみを解消する術を老人は知らなかった。

 若き日の老人を男色の魔の手が辱めた。
 憎むべき相手は既に、この世を去り、老人は、ただ一人、永い暗闇の中でもがいていた。

 老人は、その青年と自分を重ねていた。
 その青年に迫る男色の魔の手から、守ってあげたいと思っていた。

 その青年は長い準備期間の苦難を乗り越え、大きなプロジェクトに取り組んでいた。
 三日間の接待を成功させる大役も、あと一日で終わるという、最後の晩に事件は起きた。
 男色の魔の手は青年に迫り、青年は、なす術もなく汚される寸前だった。
 老人は怒りに燃え、後先も考えずに、その魔の手から青年を守った。
 淫らに肢体をさらされた、その青年の姿を見て、老人は涙を流し、青年の肩を抱いた。
 若い青年の肌に触れた時、過去の幻影が現実のように蘇り、老人の血は逆流し、老人の顔は醜く歪んだ。

 翌日、何事も無く、一日が終わるかに思われた。
 しかし、丁度、松の廊下に差し掛かった時に、青年の浅野内匠頭が、老人の吉良上野介に斬りかかった。
 青年は憎しみに満ちた表情で叫んだ。
「このあいだの遺恨、覚えたるか」
 老人は、
「拙者は恨みを受ける覚えはない」と答えた。

 老人の目には、青年が若き日の自分に観え、ただ、恐ろしくなった。

(了)

599文字
※あらすじ
赦す事の出来ない老人の悲劇

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