第7話
文字数 2,220文字
作品7 作品名
『死語』
ここに集う人達の全員が懐古主義者と云う訳ではない。
少なくとも私は大昔の風俗を模した、この店が大好きだ。
カウンターだけのバー形式の店だ。
バーと云っても客達が飲んでいるのは酒、ジュース、栄養補助ドリンク、サプリメントの飲物と様々だ。
客の顔触れは毎日、決まった常連客達だ。
一番奥の席は決まって、妙齢の紳士風の男性客。通称で皆から先生と呼ばれている。
いつも、真っ赤なジュースらしき物を飲んでいる。
奥から二番目の席が私の指定席だ。ここの常連達は、私の事をピーさんと呼んでいる。
私の一杯目は、決まってビール。もっとも法律で酒は一日に一杯しか飲めない。
二杯目からは水だ。これが旨い。
私の左隣の席には、たいていはロクさんが座る。どうやら、ロクさんは長唄の師匠らしいが、詳しい事情は知らない。
ロクさんがいつも飲んでいる緑色の液体が何なのかも誰も知らない。
ロクさんの左隣の席を陣取るのは、常連客の中で一番若手の青年。あだ名も青年だ。
青年は運動選手だそうでトレーニングの後に決まって、このバーで栄養補助ドリンクを飲みに来る。
そして、もう一人。このバーのマスターだ。
ヨクしゃべるマスターで、マスターの長話が始まると、常連客達は聞いているフリをして、自分達の話をするのを諦めるしかない。
マスターの隣で、ドリンクを作っている寡黙な美女は、美人バーテンダーのアンドロイドB.28型だ。
この店ではナオちゃんと呼ばれている。
この店の飲物は全てナオちゃんが作る。
「ナオちゃんの作るドリンクは最高だね。一日一杯は、これを飲まなきゃ、生きていけないよ」
ロクさんの口癖が始まった。
「よその店じゃ飲めないよ」
マスターの御決まりの台詞を、この数十年間に数千回と聞いた。
「いゃぁ~。身体に染み入るねぇ。ナオちゃんのドリンクが、俺の身体の筋肉になっていくよ。ワッハッハハハ」
幸せそうに高笑いをするのは青年だ。
「ピーさん、あの舞台をどう思う。わたしゃ、前の女優の方が良かったよ」
先生と私はいつも芝居の話で盛り上がる。
この店の中に居るマスターと常連客達は皆、人種も宗教も育った国も違う。
話している言葉も違う。
拡張現実などを駆使したテクノロジーの力で、何の違和感も無くスムーズに同時通訳され、私達は自国の言葉でコミュニケーションをとっている。
マスターと常連客達は、思い思いの事を好き勝手にしゃべっている。
毎日が、こんな調子で夜は更けていき、同じ日常を繰り返していた。
しかし、今夜は違った。
一見の新客が現れた。
店の扉が開き、入店して来たのは古風ないでたちだが容姿端麗な美女だった。
彼女は、店の入り口付近に突っ立たまま、何かを呟いている。
「○×◇▽。○×◇▽。○×◇▽」
彼女の呟いている単語を理解する事が出来ない。
「それは、966年前に製造されたアンドロイドB2型です。故障していて、同じ単語を繰り返し喋っています。きっと、骨董店から飛び出して迷い込んだのでしょう。只今、捜索願が出ていないか検索してみます」
ナオちゃんが教えてくれた。
私は迷子のアンドロイドの身元より、彼女が何を喋っているかが知りたかった。
きっと、現代の私達に理解する事の出来ない単語だ。
今では死語となり、忘れ去られた幻の古代の単語に違いない。
私は知りたかった。
古代の人間達の感性に触れる事が出来るような気がしたのだ。
「少々お待ちください」
1分間ほど、ナオちゃんは、フリーズした。動き出したナオちゃんが説明を始めた。
「特定の地域に居住した人々に対して、統括機構を持った共同体の概念。当時の単語で、各国の言葉に翻訳致しますと『国家』になります。
現在まで、900年間、翻訳された事の無い単語です。現在に至るまで、人類は国という概念は持っています。お国柄に、お国言葉に、お国の文化もしっかり残っていますが、現在から1300年前に地球上で『国家』という共同体の機能が無くなりました。
人類は長年の努力により、1500年前に万国人類共通の法律を作り、同じルールの経済活動をする事により、国や人種や宗教が違っても、民族間や国同士の争いが無くなりました。
各国の自治権は継続していますが、今から900年前に『国家』という概念自体が人類から消滅したのです」
ナオちゃんの説明の後、店内のマスターや客達は、頭を整理しているのか黙ったままだった。
最初に口を開いたのは先生だった。
「わたしゃ、聞いた事が有るかもしれん。昔に流行ったSF小説の惑星間戦争みたいなもんが、古代の地球上では国と国との間であって、人間同士が殺し合いをしたそうだ」
「そんなバカな話がある訳ないですよ。人間同士が殺しあったって、良い事が無い事位、考えれば解るでしょうに」
青年が笑いながら言うと、マスターが大笑いした。
「ワッハハハハ。そりゃそうだ」
ロクさんが想像力豊かに言った。
「きっと、SF小説みたいに、遠い惑星の異星人が地球に現れても、知性が有れば殺し合いになる事は無いよ」
私もそう思う。
少なくとも地球上で生まれ育った私達人類は、争う事を知らず、笑顔でコミュニケーションをとる性質が有るからだ。
突然、迷子のアンドロイドB.2型が店内を歩きながら喋り始めた。
「国家。国家。国家」
(了)
2100文字
※あらすじ
未来に死語となる単語が、過去の社会を表現している。
『死語』
ここに集う人達の全員が懐古主義者と云う訳ではない。
少なくとも私は大昔の風俗を模した、この店が大好きだ。
カウンターだけのバー形式の店だ。
バーと云っても客達が飲んでいるのは酒、ジュース、栄養補助ドリンク、サプリメントの飲物と様々だ。
客の顔触れは毎日、決まった常連客達だ。
一番奥の席は決まって、妙齢の紳士風の男性客。通称で皆から先生と呼ばれている。
いつも、真っ赤なジュースらしき物を飲んでいる。
奥から二番目の席が私の指定席だ。ここの常連達は、私の事をピーさんと呼んでいる。
私の一杯目は、決まってビール。もっとも法律で酒は一日に一杯しか飲めない。
二杯目からは水だ。これが旨い。
私の左隣の席には、たいていはロクさんが座る。どうやら、ロクさんは長唄の師匠らしいが、詳しい事情は知らない。
ロクさんがいつも飲んでいる緑色の液体が何なのかも誰も知らない。
ロクさんの左隣の席を陣取るのは、常連客の中で一番若手の青年。あだ名も青年だ。
青年は運動選手だそうでトレーニングの後に決まって、このバーで栄養補助ドリンクを飲みに来る。
そして、もう一人。このバーのマスターだ。
ヨクしゃべるマスターで、マスターの長話が始まると、常連客達は聞いているフリをして、自分達の話をするのを諦めるしかない。
マスターの隣で、ドリンクを作っている寡黙な美女は、美人バーテンダーのアンドロイドB.28型だ。
この店ではナオちゃんと呼ばれている。
この店の飲物は全てナオちゃんが作る。
「ナオちゃんの作るドリンクは最高だね。一日一杯は、これを飲まなきゃ、生きていけないよ」
ロクさんの口癖が始まった。
「よその店じゃ飲めないよ」
マスターの御決まりの台詞を、この数十年間に数千回と聞いた。
「いゃぁ~。身体に染み入るねぇ。ナオちゃんのドリンクが、俺の身体の筋肉になっていくよ。ワッハッハハハ」
幸せそうに高笑いをするのは青年だ。
「ピーさん、あの舞台をどう思う。わたしゃ、前の女優の方が良かったよ」
先生と私はいつも芝居の話で盛り上がる。
この店の中に居るマスターと常連客達は皆、人種も宗教も育った国も違う。
話している言葉も違う。
拡張現実などを駆使したテクノロジーの力で、何の違和感も無くスムーズに同時通訳され、私達は自国の言葉でコミュニケーションをとっている。
マスターと常連客達は、思い思いの事を好き勝手にしゃべっている。
毎日が、こんな調子で夜は更けていき、同じ日常を繰り返していた。
しかし、今夜は違った。
一見の新客が現れた。
店の扉が開き、入店して来たのは古風ないでたちだが容姿端麗な美女だった。
彼女は、店の入り口付近に突っ立たまま、何かを呟いている。
「○×◇▽。○×◇▽。○×◇▽」
彼女の呟いている単語を理解する事が出来ない。
「それは、966年前に製造されたアンドロイドB2型です。故障していて、同じ単語を繰り返し喋っています。きっと、骨董店から飛び出して迷い込んだのでしょう。只今、捜索願が出ていないか検索してみます」
ナオちゃんが教えてくれた。
私は迷子のアンドロイドの身元より、彼女が何を喋っているかが知りたかった。
きっと、現代の私達に理解する事の出来ない単語だ。
今では死語となり、忘れ去られた幻の古代の単語に違いない。
私は知りたかった。
古代の人間達の感性に触れる事が出来るような気がしたのだ。
「少々お待ちください」
1分間ほど、ナオちゃんは、フリーズした。動き出したナオちゃんが説明を始めた。
「特定の地域に居住した人々に対して、統括機構を持った共同体の概念。当時の単語で、各国の言葉に翻訳致しますと『国家』になります。
現在まで、900年間、翻訳された事の無い単語です。現在に至るまで、人類は国という概念は持っています。お国柄に、お国言葉に、お国の文化もしっかり残っていますが、現在から1300年前に地球上で『国家』という共同体の機能が無くなりました。
人類は長年の努力により、1500年前に万国人類共通の法律を作り、同じルールの経済活動をする事により、国や人種や宗教が違っても、民族間や国同士の争いが無くなりました。
各国の自治権は継続していますが、今から900年前に『国家』という概念自体が人類から消滅したのです」
ナオちゃんの説明の後、店内のマスターや客達は、頭を整理しているのか黙ったままだった。
最初に口を開いたのは先生だった。
「わたしゃ、聞いた事が有るかもしれん。昔に流行ったSF小説の惑星間戦争みたいなもんが、古代の地球上では国と国との間であって、人間同士が殺し合いをしたそうだ」
「そんなバカな話がある訳ないですよ。人間同士が殺しあったって、良い事が無い事位、考えれば解るでしょうに」
青年が笑いながら言うと、マスターが大笑いした。
「ワッハハハハ。そりゃそうだ」
ロクさんが想像力豊かに言った。
「きっと、SF小説みたいに、遠い惑星の異星人が地球に現れても、知性が有れば殺し合いになる事は無いよ」
私もそう思う。
少なくとも地球上で生まれ育った私達人類は、争う事を知らず、笑顔でコミュニケーションをとる性質が有るからだ。
突然、迷子のアンドロイドB.2型が店内を歩きながら喋り始めた。
「国家。国家。国家」
(了)
2100文字
※あらすじ
未来に死語となる単語が、過去の社会を表現している。