第4話:個性的な先生3

文字数 1,761文字

 そんな事しねーよと返答していた。先生が駄目だ、前回処方した薬があるはずだから、今日は出さないと強く言った。患者が、ちぇ今夜の酒代にしようとも思ったのに、今日は、ついてねーぜと言った。馬鹿もん、お前の様な奴が、いるから、世の中が悪くなっていくんだと大声で患者に、どなった。

 外来を終えて、面会すると先生は疲れた様だった。そこで、先生大変ですね。また、宜しくというだけで、短時間で失礼した。帰り際、橋の向こうで、業者が、薬を買い取ると、言っていたので、長い時間、離れた所から見ていた。すると生活保護の患者と見ると、急に見えにくい所から、男が姿をあらわし、薬の袋を見て、電卓片手に、買い取ってるではないか。 

 これは法律違反。しかし、こういう事が、闇で、行われているのを見て愕然とする村下だった。その次、MC診療所の田臥所長を思い出す。彼は元日本海軍のエリート将校だった。まず、おしゃれである事、糊のきいた真っ白なYシャツと素敵な柄のネクタイ、きちんと折り目のついたズボンと、素敵なサスペンダーと、高価そうなメガネという、いでたちだった。

 物腰の柔らかい話し方で、じっくり相手の話を聞いてから、答える姿は、男から見ても格好良かった。私が訪問して薬の説明をすると当院に向いてる医薬品を手短に説明しろと説明時間を10分以内と言ってきて、まさに合理的だった。田臥先生を接待する機会があり、その際、興味深い話を伺う事ができた。

 先生が、今は労働安全、安全第一となっているが、昔は製造している船が第一であり人命は、その次だったと言うのである。その当時でも、仕事前に朝礼と、点呼を毎日していたそうである。そして帰る時も、点呼をするのが、決まりだった様だ。しばしば、作業終了時の点呼で、数人足りない日があったと話した。

 作業の遅れには、厳しい会社であったが、点呼で、人数が足りない時には、ある程度、作業場を探すのだが、見つからない場合、10分位で切り上げて帰ったそうだ。そして数日後、重機の下敷きになってたりドックの水槽に沈んでいる遺体が、発見される事が、たまにあったと語った。

 その検死は、意外に簡単で、病名を書いた書類一枚書く終了だった様だ。作業員の多くは、田舎から出てきた若手の独身男性や出稼ぎ労働者が多かった様で、いなくなっても、現在の様に、捜索願とか、大事には、ならなかったそうだ。その晩は、アルテリーベという横浜では、老舗の洋食屋での接待で、そんな生々しい話で盛り上がった。

 アルコールも入り、私が、重機の下敷きの死体とか大型船に挟まれた死体の様子などを聞くと、細かく、その様子を教えてくれた。看護婦さんたちも、特に気にせず、血のにじんだミディアムレアのステーキを、おいしそうな笑顔で、食べていた。先生が、男の溺死と、女の溺死は、どう違うと思うかと、私に聞いてきた。

 もちろん見た事もない事なので、わからないと答えると、男性は顔を下に、女性は、顔を上にしている浮かんでいると教えてくれた。昔は、人命は、軽視されていたね。とにかく期日までに、大型船を完成し、進水する事が、第一であったと語った。今は、労働衛生管理、安全第一と、非常にいい時代だと、感慨深めに話していた。

 そして、私が、田臥先生の海軍での話を聞くと参謀本部にいたと言い、あの時代は、おかしな時代だったというだけだった。その話は、したくなさそうなので触れない事にした。接待を終えて先生をお送りするタクシーの中で先生が、僕は、君みたいな、素直な若者が、好きだ。だから言うのだか、身だしなみには気をつけろと教えられた。

 営業は、競争相手との駆け引きなんだ、そこで、君が、競争相手に見くびるれる様な、だらしない恰好はするな。もし見くびられたら、その時点で君の負けだ。次に確実にわからない事は、常にわかりませんと言えと教えてくれた。知ったかぶり程、みっともない事はないから絶対にするなと言った。

 最後に、新人であろうがベテランであろうが、競争相手に絶対負けない気持ちでぶつかれ、弱気になった時は、ほぼ負けが決まってると言ってくれた。多分、長年の人生経験で、身につけた話なのか、本当に説得力があり終生このアドバイスは忘れないであろう。本当に良い先生に、巡り会えて幸せだと感じた。
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