第8話:村下の結婚と松下先生の死

文字数 1,663文字

 その彼女の父は、ある建築企業の社長。まさに住む世界が違う同士で、当初、先方では、かなりの反対があった様だ。婚約時に仲人役の村下の上司の横浜営業所の所長が、本当に、結婚してもらえるのかと言う程、難しかった。しかし、彼女の強い意志により、結婚できた。結婚式は、横浜中華街で中華料理で有名なホテルの結婚式場となった。

 以前、勤務していた千葉の工場長や関係者、彼女の勤める会社、彼女の父の関係の政治家など数多く出席してもらい盛大に行われた。多くの人がいると、必ず、馬のあう人と、あわない人がいるのが常である。私にとって馬のあう先生は、MS大学、整形外科の松下医局長だった。

 彼は、強面だが、その言動とは違い非常にやさしい心の持ち主だった。村下が、暗い顔をしていると、どうした元気ないじゃないか、また、会社で、叱られたのか、 彼女にふられたのかと声をかけてくれたのである。たまには、旨いものでも、食べに行こうと大学病院内の最高のレストランに、連れて行ってくた。

そこで、生まれて初めてと言う位、旨いオニオングラタンスープを、ごちそうしてくれた。帰る時、金を払おうとすると接待をしてくれと頼んでないと言うのだ。お前は、まだ若く給料も少ないから俺が出すと全部おごってくれた。おまえが出世して偉くなったら、おごってもらうかもねといったのだ。

 この医局長には、ピンチの時にも、お前、ライバルが、頑張っていて、負けそうだぞと笑いながら重要情報を手短に教えてくれ助かった思い出もある。しかし、その数年後、村下は、この松下医局長と悲しい別れが来るとは、夢にも思わないなかった。ある年、この医局が、全国○○学会の幹事大学になった時の事である。

 幹事大学であるMS大学では、松下医局長が中心になって実務全般を取り仕切っていた。それが、通例になっている。しかし、松下医局長の顔色がわるくなり、急遽、入院する事になった。それは、その翌月の事だった。体調が悪く、動くと、すぐ疲れてしまうの様だった。そこで医局のある階の特別病室に専用電話とつなぎ学会の幹事としての役目を果たした。

 お見舞い行こうにも面会謝絶で行けない。それでも目を盗んで会いに行った時、笑いながら、お客さん、ここは、面会謝絶でっせ。こられたら、あきまへんと精一杯、笑って言った。それを聞くと悲しく胸がつまる思いがしてこみ上げる涙をこらえるの必死な程、だった。テニスで仲の良かった木下先生が、村下に、そっと、松下医局長には会うなと言った。

 そこで相当具合が悪い事を察した。半年後、その学会は、横浜で開催され大成功に終わった。
その翌週、松下医局長が、突然、昏睡状態となり2日後、帰らぬ人となった。後で、聞いた話によると、松下医局長は、うすうす、自分が癌に、おかされているのを知っていた様だ。医局全体で先生のカルテを全部すり替えて、わからない様にしていたが、知っていたようだ。

 村下は、気になって仕方がなく、面会謝絶後も、ひと目を盗んでは、松下医局長の部屋をこっそりとたずねた。最初は、冗談を言っていたのが、体調が悪い時は、悪いが、そっとして、おいてくれと、つぶやいた。その内、寝ている日が多くなり、やつれて、激やせしていていった。

 元々、ラグビーをやっていて、大柄で、がっちりした体型なので、その変貌ぶりは驚くほどだった。彼の頬骨、あばら骨が、浮き出てる姿を目にすると、耐えられず、村下は、トイレに駆け込んで、声を上げずに泣くのだった。もちろん葬儀には、参列させてもらった。 

 松下医局長の葬儀委員長の岩下教授が、葬儀の席上、学会での松下医局長の奮闘ぶりを語った。また残された妻子の事に、ふれると会場から嗚咽とすすり泣きの声がした。村下も、もう泣かずには、おれず周囲の目も気にせず、大声で泣いた。

 この仕事を始めて、こんな気持ちになった事は、今迄にない経験。この出来事、以降、医局全体の村下と勤める会社にたいする反応は非常によくなった。そのためライバルメーカーの担当者を交代させるほど実績が伸びた。
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