第9話:MS大学病院の分院ができる

文字数 1,593文字

 MS大学病院で、松下医局長の葬儀を終えて、2ヶ月後、医局の若手医師が、病院にあるレストランの1つで、数人が、昼休み、珈琲を飲みながら、ひそひそ話をしているのが聞こえてきた。それは、MS大学病院に、来年、分院ができると言うのだ。その分院の院長の選挙に、整形外科の樋口助教授が、立候補しているという話だった。

 その他、本院内科の助教授が4人と外科の助教授2人の合計7人が、当初、立候補したが、2人が落選し、残っているのは、外科と整形外科、内科2人の計4人だと話していた。分院は、交通外傷など救急も扱うらしく、外科系が、有利だと語っていた。

 この頃、以前、パソコンの事で、医療情報センターのメンバーを紹介してくれた宇都宮講師が、知ってるかもしれないと思い、それとなく探りを入れると、笑いながら、君も意外に隅に置けないね。さすが、敏腕プロパー、たいした物だと笑った。整形外科が、強いかもと告げた。

 その後も紹介された医療情報センターへ、出入りして、データベースを勉強するための本を教えてもらい、購入して、読んだが、理解できないところは、聞きに行った。そして、たまに、非売品の高額な表集計計算ソフト、医療統計ソフトなども貸してくれ、利用させていただいた。そのうち新しい年1984年を迎えた。

 新年の挨拶に行き、大学の分院の話を聞くと、今年4月にオープンするといい、ここから車で下道で25分、高速道路で15分の海沿いの高台に立つ立派な病院を建設中で、大きな声では言えないが、整形外科の助教授が、院長候補、一番手だと、小さな声で、言った。どうも外科系の助教授の一本化が上手くいかなかったみたいだと話してくれた。

 やがて4月、新病院がオープンして、整形外科の樋口助教授が、正式に院長に就任したと情報が入った。就任おめでとうございますと挨拶に行くと、喜んでくれ、気軽に院長室に来ても良いぞと言ってくれた。その後、月に1,2回、院長室を訪問すると、既に、若い秘書さんが、いて、今日は、院長、時間取れそうとか、だめとか、事前に教えてくれた。

 そして、接待するときには、秘書さんも同行して、食事するようになり、村下は、以前よりも増して、樋口助教授と親しくなり、業績向上に貢献してくれた。その他、外科、形成外科など救急に使う薬を持っていたので、半年もすると、売上金額も大きくなり、村下のボーナスを増やしてくれる財源になった。

 その他にもスポーツ外傷の専門家の吉崎助教授の所に、故障した有名なスポーツ選手が、集まり、リハビリを受けるようになり、岩下の会社の中心的な医薬品が、多く処方されて、業績が伸びた。さらに、我が社の薬の効果を、そのスポーツ選手が、仲間に宣伝してくれて、広まり、良い流れを作り業績向上に貢献してくれた。

 その後、医学情報センターのパソコングループに入れてもらい、相談事を受けるようになり関連資料を集めたりデータベースの作成の手伝いに協力してあげるようになり夕飯をごちそうになる日も増えていった。そこで表集計計算ソフトのマルチプランやロータス1,2,3のでもソフトをいただき、どっちの方が使いやすいか試したりした。

 その中でも一番勉強になったのが、データベースⅡを使って、本格的な医療用のデータベースを作る手伝いをして、その要領を学ぶことができた事が、その後、村下のプロパー活動に好影響を与えた。そして、医療情報センターの会議のオブザーバーとして、呼ばれて、いろんな意見を求められ事も、しばしば、あった。

 中でも、一番、驚いたのは、東京のKO大学病院の医療情報センターの会議に、研究生として連れて行ってもらい、1台、1千万円以上もする、多くの高価なメモリーを積んだマッキントッシュとハードディスクのセットを使わせてもらった時は、感激した。グラフィックも素晴らしく、速度の速さは感動ものであった。
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