第13話:歓迎会と知り合いの先生に再開

文字数 1,613文字

 早速歓迎会の席で、村下は、今後の活躍に、期待して欲しいと強気の挨拶をした。少し、酔いが回った、山下君先輩が、村下君、ここは都会みたいに、甘くないぞ。冬になれば良くわかるはずと、意地悪そうな顔で語った。彼は入社当時、出身地の関西の営業所を希望したが願い叶わず
新潟へ来たと言う苦い思い出があった様だ。

 彼自身が、冬の日本海の厳しさは、誰よりも実感していたらしい。例えば、冬に佐渡へ、フェリーで渡り、出張した時、日本海が荒れて、佐渡で一週間以上、足止めになった。また、新潟から佐渡へ長期間、渡れない事が、数回あった。そんな、辛い日々を、何度も経験したと話した。

 都会で、評判のエリート営業マンに、ライバル意識をむき出しにするのも、無理からぬ事だった。女子社員は、そんな村下君に、興味津々。一年先輩の鈴木先輩はクールに村下君、お手並み拝見しましょう。ただ、ここは、そんなに甘い所じゃないよと、不敵な笑みを浮かべた。

 佐藤君は、いつもの低姿勢で先輩宜しくいいろいろ教えて下さいねと、しおらしく、お辞儀をした。二次会は、山田所長の行きつけの「スナックあゆみ」へ向かった。夜10時を過ぎ、人通りも少ない、裏通りに新潟には、似つかわしくない、派手な店構えで、一目でわかる店だった。

 ママの名は、かずみ。この界隈では、ちょっと有名なママである。あら所長、前に言ってた、できる若手の方って、この方ですか、良い男ね、営業さんは、もてなきゃね。第一次審査、合格と、はしゃいでいた。この夜は、かなり酔いが回って、饒舌なママだった。ママから、歌ってと言われると、すぐ村下はマイクを取り、お得意の、スタンバイミーを歌った。山田所長とママは曲に合わせて踊り出していた。

 その有様は、ママが、リードして酔った山田所長が、彼女に、抱きついて踊っていると言った方が良いかもしれない。曲が終わると、今度は、お返しとばかりにママが踊りやすい、コーヒールンバを歌った。村下が、座ろうとした時、アシスタント・ママのヒトミが、さっと村下の手を取って一緒に踊り出した。

 2人のステップの上手さにスナックの店内が、しーんとなった。会社の女子は、びっくりした様な目つきで、眺めていた。そして十二時頃に終了した。帰り際に、村下の手相を見たママが、山田所長に彼には女難の相があるから、気をつけた方が良いとそっと、ささやいた。当時の日本中はバブル景気の最中。

 岩下の会社も転勤手当が、月給の3ヶ月分支給され、引越費用は会社持ちで、さらに転勤先の家賃補助も平社員で月6万円支給される。また北国には地区により10月から3月の半年間、月間、5~10万円の暖房手当が出た。給料に加えて、年2回、6月と12月の通常のボーナス。
 
 特に業績が良く、会社の利益目標を超えた年は、超過金額を全国の営業所の実績配分し支給する特別ボーナスが、9月末に支給されると言う恵まれた環境の時代。単身赴任にもかかわらず、村下は毎日のりのきいたシャツで、さっそうと、出張、営業活動を続けた。新潟赴任の一ヶ月後、毎年4月の中旬に、村下の担当のU病院では、人事異動となる。

 今年も若手の先生が2人交代になるとの情報だった。いつもの様に病院の医局で10分待つと、2人の新任のドクターが同時に入ってきた。下田先生と山井先生ではないか、横浜時代に、顔見知りの先生達だった。お互いに顔を見合わせた。転勤で、この地域を担当しますと言うと世間って狭いね。こんな所で会うなんてと下田先生が、岩下に話かけた。

 もう一人の山井先生が横浜で、何か問題起こして左遷されたんじゃないのと笑った。2人とも独身で病院近くのアパートに住んでいるとの事だった。面白い情報を持ってきてよと言われたのでかしこまりましたと、おどけて答えた。先生方が医局で昼食、休憩後、廊下に出た所で、今後とも、また宜しくというと、大丈夫、心配するな協力するよと好反応だった。
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