第3話:新人時代の個性的な先生2

文字数 1,628文字

 そして、勉強会の進行を木島先輩と村下で交互にやる事となった。横浜営業所は、売上伸び率で、常に全国ベスト5に入る優良営業所であり、特に、係長は、その指導の厳しさで有名。自宅から、営業所まで、電車とバスで60~70分位で、朝6時半過ぎに家を出ないと間に合わない事が判明した。

 水曜日に6時半に家を出て8時前に営業所に着き、コーヒーメーカーをセットして先輩方を待っていた。八時には、先輩方も出社してきて、勉強会を始めた。担当のページを読んだのである。そして最初の勉強会は終了した。突然、その時、弊社製品に使えるPRポイントは何か?また弊社のどの製品に活用できる情報なのかと係長が質問してきた。

 不意をつかれて、あわてて、この文献が会社の製品AのPRに活用できると曖昧に言うと、村下君、事前に勉強してこなかったのかと、怒られたのだった。そんなに怒る事でもないと思っていたので困ってしまった。この業界は競争が激しくて、会社の製品の優位性を、短時間に、要領良く、説明できなれば競争には、勝てないんだぞと活を入れられた。

 村下は、目を白黒してわかりました。次回から事前に、もっと勉強して。まとめてきますと謝った。これから病院で、活動すればわかるが、この業界は、弱肉強食であり、我が社の様な中堅企業は、大手企業を食っていかねば、やっていけないんだ。この事を肝に銘じて活動する様にと、ハッパをかけられた。

 勉強会は、これとは別に、営業所で土曜日一回が義務づけられていた。係長がもう一回、土曜に営業所独自の勉強会を企画していたのだった。なんて厳しい営業所に、来てしまったんだろうと内心ついてないなと思う村下だった。毎日、朝早くから、夜は七時半に帰社し、その日の営業日報を書いて、上司との面接して、家に着くのは、22時過ぎの日が多かった。

 病院、先生の思い出を書く事にしたい。まずはEKS病院の吉田院長。彼は、10年以上の船医の経験があり、当直の日に、訪問すると、いろんなエピソードを話してくれた。東南アジアのある航海の時に、海賊風の反政府勢力の小船に、追いかけられて、ついに、海賊が、船に上がってきていた。

 ピストルを持っていたので、非常に焦ったと話した。海賊の首領と思われる男が、英語で、きれいな女はいないかと迫ってきた。しかし、この船には、女は、いないと言うと、次に酒はないかと言われ洋酒を数本、渡した。金、銀、宝石も要求してきたが、もってる紙幣と腕時計を渡した様だ。

 なんだ、これっぽちしかないのかと、怒っていたとの事だった。最後に、お前は、何をやっているか聞かれ、医者だと言うと、意外にも血止めと下痢止め解熱薬、頭痛薬を要求され、渡したそうだ。そして商売がら、使用量と使用上の注意を丁寧に、英語で教えた。すると熱心に説明するので、海賊の首領が、感心し、礼を言った様だ。

 さすがに、この時は、驚いたと話してくれた。その後、この船が大型タンカーということもあり、直ぐ降りて行ったそうだ。実際には料理・洗濯・炊事をするために2人の中年のおばちゃんがいたが、倉庫に閉じ込め見られない様にしていたため助かったと話した。その他、台風に遭遇して、九死に一生をえた話なども聞かせてくれた。

 先生の宿直の日は、そんな話を楽しみに訪問した。数日後、吉田先生の外来後、面会しようと外来で待っていた。この当時は、生活保護の患者さんや日雇い人夫の患者も多く、外来待合室中、衛生的でない体臭が、充満して臭かったのだった。少し待っていると、温厚な吉田先生が診察室で大声でどなっている声が聞こえた。 

 耳を澄まして聴いていると、患者が足が痛いから、内服鎮痛剤と軟膏とシップを一ケ月分くれと言っていた。それに対して先生は、お前そんなに、薬をどうするんだと詰問していた。
 患者が使うですよと返答すると、嘘つけ、生活保護で医療費無料なのを良い事に、処方した薬を、帰りの橋の先で業者に売るんだろうと言った。
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