第18話:新潟の気候と長野へ転勤

文字数 1,550文字

 夕食は懐石料理で、順番に出てきたので、大人たちは喜んだが、子どもたちにとっては、ハンバーク、ポテトフライが、付いていないので今一つの反応だった。その晩は長いドライブで、疲れたせいか、すぐ床についた。翌朝、旅館の前の路地沿いに、地元で取れた魚の露天が並んだ朝市が、開かれていた。

 ひものも多く、早速いくつか買い込んだ。散歩した後に、朝食をとり一休みしてから、花見のできる風呂へ入る事にした。入ると天井が硝子張りになっており、そこから上手い具合にお花見ができる様に設計されていた。温泉に入りながら、花見ができるなんて、夢の様と、女房と二の娘は大喜びだった。 

 その後、旅館の精算を済ませ、新潟の我が家へ帰ることにした。車中で、女房がいろいろ調べたらしく、10月過ぎに、村上の名物、鮭づくしを食べに、連れて欲しいと、言いだした。わかったと、生返事したが、残念ながら実現する事はできなかった。5月、ゴールデンウイークが過ぎて、梅雨、そして夏。

 北の国なので、夏は、涼しいと思っていたが、見事に裏切られる事になった。新潟のフェーン現象である。急に高温になって、35度、湿気もあるので、体感的には鋳物工場の中にいる様な、蒸し暑さだった。ひどい時には、新潟の市街地で、歩道のアスファルトが溶け、靴にへばりつくのである。それを過ぎると、10月の稲刈りシーズンになる。
 
 黄金の穂が、風になびいて、それはそれは、きれいな風景です。お米は、もちろん美味しい。おにぎりにすると絶品であり、おかずは漬け物だけでもいけるという意味が良くわかった。特に中越、十日町は、六日町は、魚沼米の産地で、米の旨さで、定評がある。夏は万代橋の近くのさかなセンターで、真イカ、スルメイカ、アジ、いわしと、新鮮なさかなが店に並ぶ。

 特に私はイカが好きで、しょうが醤油や、醤油のづけ丼にして食べる。刺身にしても、甘さがあり最高の味である。この夏も何回もさかなセンターへ足を運んだ。素手で、いかの表面を触ると、色が変わるって知ってますか? 機会があったら、是非、試してみて下さい、面白いですよ。やがて、冬が到来し、11月、12月となり、雪も舞い始める季節を迎えた。

 話は変わるが、冬の稲妻という歌謡曲があるが、新潟で本当に、冬の稲妻を経験する事になったのである。それでなくても、うら寂しく、もの悲しい、冬なのに稲妻が光ったら、余計落ち込んでしまう。しかし、営業実績は、着実に伸びて来て、明るい見通しがついてきた。新潟営業所も村下の今年の臨時ボーナスは、過去最高の100万円、業績伸び率全国2位になった。

 そのため報奨金も20万円と、通常ボーナスが100万円、給料が380万円、出張+外勤手当が100万円、合計700万円と増えた。仕事は大変だが、給料増えたのを見て、村下は、笑いが止まらなかった。しかし、翌年の2月の下旬、所長から村下に長野県への転勤の辞令が出たと知らされた。3月から、早速、担当交代を始めてくれと言われた。
 
 その頃、後輩の佐藤君とは彼の病院へ私の仲の良い先生が赴任し、同行訪問したりして、親しい関係になっていた。仕事の相談をしてきたりして、私を慕ってくれた。そこで長岡で内輪の送別会を二人だけで、行う事にした。最初は有名なラーメン屋で腹ごしらえをした。佐藤君の希望で、とにかく派手に、やる事にした。

 そこで若者が、良く集まる踊れるパブへ行った。夜21時頃、入店すると若者の熱気で、パブは、むんむんしていた。まずカクテルで乾杯。腹ごなしに、ディスコミュージックで、佐藤君に踊って見せた。彼は踊れないというので即興で、うまく踊ってる様に見せる方法を教えた。酒が回ってきたのか、彼も積極的にナンパをはじめたが、なかなかうまくいかない。
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