淫雨-1 曖昧な闇は、抱き合うのに都合がいい
文字数 1,430文字
その意識は、頭の隅にずっとあった。でも、あえて深くは考えなかった。
驟を信じたのは自分の判断だから、自分の責任である。騙されているかどうかは、虹子にとって、重要ではなかったのだ。
はじめて逢ったその夜以来、現実的には、虹子の部屋に驟が居ついた。
しかし、同時にそれは〝驟の生活に虹子が居ついた〟とも言える状況で、むしろ、そう言ったほうが正しいように思われた。
***
驟は常に放浪していた。
ウィークリーマンションを1週間単位で転々としたり、狭間に1日か2日はカプセルホテルに泊まったり、給料日前はキャンプ場で過ごしたり。
一年中、そんなふうに居場所を移動させていた。
はじめて逢った日の翌日、虹子は有休をとって会社を休み、丸一日、ふとんの上で驟と過ごした。驟も仕事を休んだのか、そもそも休みだったのか、虹子は知らない。
外はずっと雨だった。
昼間だか夕方だか
「そんなふうに放浪していて、疲れないの。不便じゃない?」
「いやもう、慣れてるから。次の日の仕事場の近くに泊まれば、かえって楽だよ。ビルの清掃なんかは、早朝の場合もけっこうあるしね」
言い訳のように驟は語り、それが虹子にはおかしかった。
「定住なんかしたら、やばいじゃん。そこは毎晩、雨が降っちゃうんだぜ?」
ふざけた調子で悪ぶって、枕に頭をのせたまま、驟は左右の手のひらを上に向け、肩をすくめて見せたのだったが、それもまたおかしくて、虹子は「たはは」と変な笑いを返してしまった。
「いいヤツだね、驟くんは」
毎晩雨が降っていても、驟自身は全然平気(かどうかは知らないが、しかたがないと受け入れているのは確かだ)なくせに。
そんな自分が他人の心配をしていることに、自分自身で照れている。そういうところが虹子には、おかしくてたまらなかった。
おかしいというのは、つまり、好ましく感じていたということだ。
騙されているのかいないのか、いまが昼なのか夜なのか、そんなのはどうでもいいことで、そのどうでもいいことを、ほんとうにどうでもよくしてくれる曖昧な暗さが、虹子には好都合だった。
こんなふうに、時間を忘れて、お互いのほんとうのことを曖昧にしたまま、いつまでも抱き合っているのには、まったく都合がいい、と思えた。
「でも、住所は必要でしょう? 派遣の登録をするにしても。どうしてるの」
抱き合う合間に、しつこく聞くと、やがて驟は白状した。
実は北綾瀬に、激安の狭いアパートを借りている。
「荷物置き場にしてるだけ。ほとんど帰ってないから」
なにが後ろめたいのか、弁解じみた言い方をするのがおかしくて、虹子はなかば意地悪に、いきなり体を起こして驟の上に馬乗りになった。
「連れて行って」
「いいよ、狭いし、汚いし」
「だめ。連れて行きなさい」
「なんで」
「どうしても。お願い」
それ以上は否定させずに、虹子のほうからくちびるをふさいだ。
そういうわけで、その週末、虹子は驟に連れられて、北綾瀬のアパートを訪ねることになったのだった。