凍雨-4 世界を呪うくらいに、彼女は望んだ

文字数 1,893文字

 (しゅう)がいなくなると、待っていたかのように、毎日晴れた。
 驟から連絡はなく、虹子(にじこ)からもしなかった。
 日は刻々(こっこく)と短くなっていき、仕事帰りに(よい)の空を見上げると、
〝あなたは、それでいいの?〟
 北極星(ポラリス)が、静かに瞬いて問いかけてくる。

 いつだったか、半分ふざけて驟に聞いたことがあった。
「ねえ、どうしてこんなに雨男なの? 考えたこと、ある?」
 抱き合ったあと、ふたりとも妙に寝つかれなくなり、シュラフで――ということは、その日は北綾瀬(きたあやせ)の驟のアパートに泊まっていたのだ――横になったまま、だらだらとしゃべり続けた夜だった。
「母が、雨を望んでいたんだよ。それはもう、世界を(のろ)うくらいに」
 刹那(せつな)、小ぶりだった雨が、ものすごい勢いで屋根や地面を叩き始めた。驟の答えをかき消さんとするように。

   ***

 山形(やまがた)県の米沢(よねざわ)市の生まれだと、驟は語った。
「市のはずれの、田んぼばっかりのど田舎(いなか)さ」
 実家は米作り農家だった。しかし母親は、なにやらワケありで都会から嫁に来た人らしく、農作業に出るのを嫌い、一年中、そして四六時中、雨を願っていたという。
 驟を妊娠しているときも。
 驟自身は、もちろん当時を覚えているはずもなく、祖父母や親戚などから断片的に聞いた話を、パッチワークのように(つな)ぎ合わせて、自分の記憶(に似たもの)にしているのだった。
 それによれば、母親が病院で驟を産んだその日から、彼女――赤ん坊の驟とともにいる――のまわりには雨が続き、家に戻っても雨続きだった。

 一週間、二週間と過ぎるうち、家族のだれもが「変だ」と思い始めた。母親本人すらも、である。
 疑われたのは驟だった。
 ためしに祖母が驟を預かり、父親と母親を外出させてみると、驟と祖母がいる家はずっと雨。一方、母親たちは、車で10分も走ったころには青空の下にいた。
 その逆に、だれかが驟を連れて出かけると、行く先々でにわか雨に見舞われる。一方で、驟を含む外出組が戻ってくるまでの間は、家のまわりはきれいに晴れているのだった。

 はじめは、氏神(うじがみ)様を(まつ)る神社でお(はら)いをしてもらった。
 次は、その方面で名を()せるお寺に除霊をお願いした。
 市内にあるキリスト教会にも相談してみたら、
「お祓いはやっていませんが、驟くんのためにお祈りしておきますね」
 と、牧師にやんわり断られ、毎週日曜の礼拝に出るようすすめられた(一度、母親だけが行ってみて、それきりになったらしい)。
 最後は、近隣で有名な占い師を頼った。
「あらあら、この子は生まれながらの雨男だわね。一生を雨のなかで暮らすでしょう。どうしてそんなはめになっちゃったかというとね、そうね、お母さんの望みを受けてなの。お母さんが、望んだのよ。この子がおなかにいるときにね、雨ばっかり降ればいい、降って降って降りまくればいいって、世界を呪うくらいにね。なんでそんなこと、願ったのかしらね。きっと、よっぽどのわけがあったのね、ええ、そうでしょうよ、人生いろいろあるものね。だから、ダメよ、ご家族はお母さんを責めちゃダメ。そして、お母さんもご自分を責めちゃダメ」
 それが、占い師の答えだった。

 信じた母親は、家族の前で号泣(ごうきゅう)し、離婚を申し出た。
 引き留めたのは、父親だった。
 世間体(せけんてい)のためなのか、妻への愛着のためなのか、真意はわからずじまいだが、とにかく父親は(がん)として離婚に応じず、その結果、驟の放浪(ほうろう)暮らしが始まったというなりゆきだった。

 驟は飄々(ひょうひょう)と、歌うように説明した。
「たまに実家に何泊かして、たいていは父さんか母さんと近場へ旅行に出たり、親戚んちに泊まったり、一時的に施設に預けられたり。そんで中学のときに、もういいやって思ったんだ。いろんな人に迷惑かけて、面倒みられるのが面倒で、一人でなんとかしてやるって、まあ、生意気(なまいき)にも思ったんだな。その勢いで東京に出て、それからはもう、実家には戻ってない」
「学校は? 小学校とか、どうしてたの」
 どんな反応をしていいかわからずに、とりあえず虹子は尋ねた。
「行ったり、行かなかったりだったよ。なんせ俺が行ったら、必ず雨が降るわけでしょ」
「運動会や、遠足は?」
「ぜーんぶ欠席」
 夜の闇へ、紙吹雪でも舞い上げるみたいに、高らかに驟は言ったのだった。
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