私雨-2 信じられない、信じたい

文字数 2,328文字

 焼き鳥を、赤木は(はし)できれいに串から外して食べている。虹子(にじこ)は串のまま、ポンポチにかじりついた。
「いいッスねえ、その見かけによらず肉食な感じ、ヤバイですよ」
 満足げに、赤木は2杯目のジョッキに口をつける。仕事帰りに誘われるまま、田町駅そばの居酒屋にやってきた。
「ヤバイってなに」
「いやヤバイはヤバイでしょ」
 こういう会話は苦手だ。どんな反応を期待されているのか、さっぱりわからないし、わかりたくもない。虹子は自分のジョッキに手を伸ばし、泡の消えかけた生ビールを飲み干した。
 「あ、生、おかわりね」
 すかさず赤木が、頼んでもいないのに虹子の分のオーダーを入れる。
 隣のテーブルから、黄色い声があがった。
 二十代くらいのOLらしき女が三人、何の話か夢中で盛り上がっている。無邪気(むじゃき)だな、と虹子は思う。あんなふうに騒げる女友達は、自分にはいなかった。
「肉食かなあ、私」
「またまた、俺知ってますよ。トンカツとか焼肉定食とか、ぺろりと食うじゃないですか。いいなあと思って」
「あ、まあね。大食いなのよ、昔から」
 なんだそういうことかと虹子は(ほほ)をゆるませた。赤木はうれしそうに目を三日月形にして、再びジョッキを傾ける。

 月曜に社員食堂で相席(あいせき)した。
 火曜はランチに誘われて、会社近くのトンカツ屋へ行った。その席で、こじゃれた焼肉屋の昼定食がすごい(内容が充実していて安くておいしいという意味だ)と聞き、さっそく翌日の水曜、一緒に行った。
 自分の勘定(かんじょう)は自分で払うという雰囲気が、初回から自然にできていて、おごる・おごられるという気づかいがないのが楽だった。
 木曜の昼は誘われなかった。
 金曜の今日も、やはり誘われなかったなあと思っていたら、帰りしな、一階のロビーで出くわした。偶然なのか、赤木がこっそり待っていたのかはわからない。ともかく、「いま帰り? んじゃ、居酒屋でも行きますかッ」と当然の顔で言われ、断る理由もないのでついてきてしまった。

「ここは俺がおごります。好きなの食って、飲んでください」
 メニューに目を落とし、実にさらりと赤木は言う。ちょうど、虹子はせせりにかぶりつき、串を引き抜いているところだった。
 割り勘にしようって言うべき?
 咀嚼(そしゃく)しながら思案する間にバッグの中でスマホがふるえた。
《虹、いま何してる? 金曜の夜、男とデートしてるのかな。ユキト》
 くず男だ。虹子は反射的に眉をひそめた。
《一人でいるなら、返信してほしい。ユキト》
《どうした? やっぱり男と一緒なのか? ユキト》
 気づかないうちに何本も、くず男こと道馬(みちば)幸人(ゆきと)からのSMSが届いていた。
「なんスか? ちょっと失礼……」
 虹子の顔がこわばったのを見てとって、赤木が身を乗り出して、スマホをのぞきこんできた。

   ***

 耳たぶが、ちくりとした。
 日曜日。出かけるあてもなく、なんとなく久しぶりにピアスをしてみたら、痛かった。ミイラ病になってから、ずっとしていなかったせいだろう。すぐ抜いて、耳たぶを触ってみると、指先に血がついた。
 さみしい――。
 血を見た拍子(ひょうし)に、どういうわけか、ずっと閉じこめていた感情の封印が切れた。さみしさが音を立てずに湧いてくる。
 窓の外は秋晴れである。寒くはないのにちくちくと冷たい針に全身を刺されている感じを覚え、虹子は自分の手でなにかを確かめるように左右の二の腕をつかんだ。

 (しゅう)がいないと、部屋が広い。驟からはまったく音信がない。
 赤木からも、週末の誘いはなかった。金曜の夜に一緒に飲みに行ったから、土日もアクションがあるかと虹子は若干構えていたが、すでに日曜の昼過ぎである。
 居酒屋で、ユキトなんて書いてあるモト彼・道馬のSMSを見せたから、面倒くさい女と思われて、早くも幻滅(げんめつ)されたのかもしれない。
 誘いがないのがふつうなのに、なぜか腹が立ってくる。
 いつもそうだ。ゼッセイノビジョとか言う男は、だいたい!
 虹子は内心、毒づいた。
 絶世の美女だと、幼いころからたびたび言われた。だけど虹子は、その言葉になんら価値を感じていない。むしろ迷惑なくらいだ。
 容姿を絶賛する人は、外見から勝手に虹子の中身を想像し、勝手に期待して、やがて虹子の言動が想像や期待と異なると、勝手に幻滅して去っていく。
「驟……」
 声に出すと、その響きは、どうしようもなく懐かしい。

「だれだって雨男より、晴れ男を選ぶよ。虹子さんはもの好きだね」そう言って暗闇を温めてくれた、あれは愛じゃなかったのか。
 封筒ごと消えた10万円は、笑えるくらい中途半端な金額だ。どうしてそんなふうに、彼を試してしまったのか。そもそも、信じた先は自分の勘で、裏切られても驟のせいなんかじゃないと、覚悟を決めていたはずなのに――。
 虹子は煩悶(はんもん)する。
 顔の痛痒(いたがゆ)さをまぎらわせたくて、驟の雨を利用した。助けると言って、寄り添ってくれた男を、利用したのは自分のほうだ。愛がないのは、自分のほうだったのだ。
 でも、愛がない? ほんとうに?

 昔、男に言われた言葉が、ふと脳裏(のうり)(よみがえ)った。
「君は愛に()えているんだ。愛を求めてる」
 そう言われたとき、違うと言い返したくてできなかった。
 認めるのが、痛かったからだ。
 愛に飢えているわけじゃない。愛を求めているのでもない。
「私は……」
 愛を信じられない、そして、信じたいのだ、と。
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