驟雨-1 日々これハランバンジョー
文字数 1,418文字
生まれてこのかた23年、雨のなかで生きてきたと、その男は言った。
「ササヤシュウ、名前からして雨音みたいだもんね。ほら、霧雨 とかの」
思わず、からかうような口調になってしまった虹子 に、
「あなたのだって、なかなかですよ」
信じられないほど厭味 なく彼は笑い、不覚にも虹子は一瞬、〝もっていかれた〟。
そう、たとえるなら。
その感覚を表す言葉を虹子は探し、そして、あれだ、と思い当たった。
小雨の町を吹き抜けていく、春の風だ。人肌くらいにぬるくて、軽やかで、親しげに近寄ってくるくせに、つかめない。
それなのに、胸にしたたる濁 ったしずく――成分は不安や後ろめたさで、ぬぐってもぬぐっても、ぬぐい去れない――を、あっさりとさらっていく。
***
7月と8月は、顔じゅうがかさかさになる。
毎年、梅雨が明けたあとの2か月は、虹子にとって地獄の連続ミイラ月間だ。
地獄と呼ぶのは大げさではない。かさかさ度合いが半端じゃなくて、というより、かさかさどころの話じゃないのだ。
頬 も、額 も、口の周りやえらまでも、とにかく顔全体の皮膚が白く乾いて浮き上がり、ところどころひび割れて、まさに地顔で、白い包帯を巻いたミイラそっくりなのである。
5年前、はじめてそうなった朝はうろたえて、頬や額を掻 きむしった。
ちなみに前の夜は、なにも変わったことなどしなかった。いつも通りにメイクを落としてシャワーを浴び、化粧水と乳液を手早くつけ、寝酒に一杯、レモンを絞ったジンをロックで飲んで(これももちろん、いつものこと)眠りについただけだったのに、一夜明けたらミイラだった。
朝、鏡を見て、茫然 とした。
次に当然、「嘘 だ」と思った。
けれども。
じっとしていられないほどの痛痒 さが、嘘ではないのを物語っていて、猛烈な怒りが湧いてきた。
「なんで?」
怒りにまかせて掻きむしったら、痒みは増し、とりあえず白い皮ははがれたものの、その下には、よりかたく乾いた皮膚が、白く浮きかけていただけだった。
そこでふと、気がついた。我に返ったと言ってもいい。
この心境、本か何かで前に読んだ、キューブラー・ロスの『死の受容に至る5段階』に激しく似てない? と。
余命宣告を受けた人が、死を受け入れていくまでにたどる心のプロセスの5段階である。最初は〝否認〟、次に〝怒り〟、それから〝取引〟と続いて、ええーと4段階目はなんだっけ――考えたけれども、出てこなかった。とにかく最後は、〝受容〟である。
当時、虹子は24歳。
どうせ〝受容〟に至るなら、とっととそうしてしまえと腹をくくった。
あきらめたのとは、ちょっと違う。いや、まったく違うと虹子自身は思っている。
身にふりかかってきた事実は、事実として受け止めたほうが、冷静に状況に対処できる。そしてそのほうが、事態を好転させられる可能性がある。
なんにせよ〝嘆 いてばかりいたって、なにも改善されない〟という真理を、虹子はすでに知っていたのだ。
現在、虹子は29歳。もはや、それは信条になっている。
たった29年の人生でも〝日々これハランバンジョー〟に生きてきた虹子のそれは経験則であり、身についてしまったサガであった。
望んでそうなったのではないけれど。
「ササヤシュウ、名前からして雨音みたいだもんね。ほら、
思わず、からかうような口調になってしまった
「あなたのだって、なかなかですよ」
信じられないほど
そう、たとえるなら。
その感覚を表す言葉を虹子は探し、そして、あれだ、と思い当たった。
小雨の町を吹き抜けていく、春の風だ。人肌くらいにぬるくて、軽やかで、親しげに近寄ってくるくせに、つかめない。
それなのに、胸にしたたる
***
7月と8月は、顔じゅうがかさかさになる。
毎年、梅雨が明けたあとの2か月は、虹子にとって地獄の連続ミイラ月間だ。
地獄と呼ぶのは大げさではない。かさかさ度合いが半端じゃなくて、というより、かさかさどころの話じゃないのだ。
5年前、はじめてそうなった朝はうろたえて、頬や額を
ちなみに前の夜は、なにも変わったことなどしなかった。いつも通りにメイクを落としてシャワーを浴び、化粧水と乳液を手早くつけ、寝酒に一杯、レモンを絞ったジンをロックで飲んで(これももちろん、いつものこと)眠りについただけだったのに、一夜明けたらミイラだった。
朝、鏡を見て、
次に当然、「
けれども。
じっとしていられないほどの
「なんで?」
怒りにまかせて掻きむしったら、痒みは増し、とりあえず白い皮ははがれたものの、その下には、よりかたく乾いた皮膚が、白く浮きかけていただけだった。
そこでふと、気がついた。我に返ったと言ってもいい。
この心境、本か何かで前に読んだ、キューブラー・ロスの『死の受容に至る5段階』に激しく似てない? と。
余命宣告を受けた人が、死を受け入れていくまでにたどる心のプロセスの5段階である。最初は〝否認〟、次に〝怒り〟、それから〝取引〟と続いて、ええーと4段階目はなんだっけ――考えたけれども、出てこなかった。とにかく最後は、〝受容〟である。
当時、虹子は24歳。
どうせ〝受容〟に至るなら、とっととそうしてしまえと腹をくくった。
あきらめたのとは、ちょっと違う。いや、まったく違うと虹子自身は思っている。
身にふりかかってきた事実は、事実として受け止めたほうが、冷静に状況に対処できる。そしてそのほうが、事態を好転させられる可能性がある。
なんにせよ〝
現在、虹子は29歳。もはや、それは信条になっている。
たった29年の人生でも〝日々これハランバンジョー〟に生きてきた虹子のそれは経験則であり、身についてしまったサガであった。
望んでそうなったのではないけれど。