第12話:孫に留学とマリアの死

文字数 3,608文字

 1996年、3人の孫が米国の高校に留学に旅立ち寂しくなったがファミリーの店の経営も順調で金回りは良かった。翌年の1997年、ブルーナが、米国、西海岸のカリフォルニアのシリコンバレーの近くの5つの大学に、受験資料を送り、受験して、チャップマン大学のコンピューターサイエンス学部に入学できた。

 ブルーナは、コンピュータ・ソフトウェアを勉強したいと思っていた様で、その夢が叶い大喜びだった。その大学はオレンジカウンティにありロサンゼルスやサンタモニカにも近い場所で、アジアからの留学生も比較的多かった。翌年1998年はセルジオの大学受験の年であり6つの大学に入学資料を送り受験した。彼は、経済、投資に興味を持っていて希望通り、サンディエゴ大学のファイナンス学部に入学しできて、大喜びだった。

 その大学は自然豊で暖かいサンディエゴの高台にある白亜の大学でありサンディエゴの中心街も近く便利な場所にある。その翌年1998年はアマンダの受験の年で彼女も寒い米国東海岸より西海岸、カリフォルニアをめざした。6つの大学に入学資料を送り受験した。その中のメンロー・カレッジに合格した。彼女は、経済の中で市場調査に興味を持っておりマーケティングを勉強したいと思い、この大学のマーケティング学部に合格した。

 これによりマリアファミリーの孫達、全員がアメリカの1流大学に合格してファミリー全員が喜んだのは言うもでもない。ところで話は変わってLTCM破綻事件の話をしよう。1998年、2人のノーベル経済学賞受賞の学者を擁したLTCMはロシア国債が債務不履行を起こす確率は100万年に3回だと計算して、アジア通貨危機による新興国に対する投資家の動揺が数時間から数日の内に収束すると予測したが見事に、その予想を外し経営破綻した。

 内訳は50億ドルを25倍のレバレッジをかけて1290億USドルの資金を運用しており、さらには1.25兆USドルにのぼる取引契約を世界の金融機関と締結していた。当時のFRB議長アラン・グリーンスパンは短期金利のFFレートを1998年9月からの3ヶ月間で3回引き下げという異常な迄の急速な対応をとりLTCM破綻危機により拡大した金融不安の沈静化を図った。

 その後の世界経済は再びバブルの様相を呈し海外旅行客も増えてきてレフの3つのレストランも忙しかった。1999年にポルトガルも含む11の国の通貨が全てユーロに変わった。スペイン、フランス、ベルギー、イタリア、ドイツ、オランダも同じ通貨ユーロとに統一された。しかし商売の世界で全く変わりがなくなった。ヨーロッパの近隣諸国への出入りが自由になった。

 2000年、ネットバブルが崩壊し続いて20001年9月11日にアメリカ同時多発テロ、アメリカ合衆国の経済は深刻な不況へ突入した。世界的な不景気は2002年過ぎまで続いた。2002年にブルーナがチャップマン大学のコンピューターサイエンスを良い成績で卒業し念願のグーグルに入社してきたと連絡が入り長い間レフの経済的に支援に感謝していると話してくれた。

 2003年にセルジオからサンディエゴ大学のファイナンスを卒業し米国の名門銀行、ウェルズ・ファーゴに採用されたと連絡が来た。彼も、レフに今までの経済援助のお礼を書き、今後、自立してやっていけるので経済援助を辞退すると書いてきた。2人がこんなに逞しい若者に育ってレフのファミリーは喜んでいた。レフが、また、長期休暇の時にリスボンに来るように手紙を書いた。

 2004年にアマンダから、メンロー・カレッジのマーケティングを卒業し、憧れのアマゾンに採用されたと連絡が入った。これらの連絡を受けレフは新しい時代へのバトンタッチの時期が近い事を悟った。2003年になりマリアも88歳になり歩くのが辛くなってきた。そこで良かったら素敵な老施設に入らないかと奨めたがレフに達と一緒に暮らしたいと言った。最近は心臓の調子が悪くなり、近くの病院にかかるようになった。

 それでも、調子の良い時はレフと町のファド・レストランへ行き、ファドを静かに聞いて喜んでいた。2004年の海風が寒さを増してきた12月マリアの看病でレフとアリサが付き添っていたがある朝、レフのリスボンのマリアの部屋のベッドに近づくと息をしていない。大慌てで、近くの医者を呼んできたが、既に息を引き取っていた。近くの葬儀場で荼毘にふされリスボンで葬式を行った。

 生前、マリアが仕事の手を休めちゃいけないと常々言っていた通りに仕事の関係で葬式に出席できない人は、後日、マリアの墓石にお参りすると言う事にした。葬儀を取り仕切った息子のレフは時代の変わりゆくのを肌で感じて、母マリアの死が、レフに、これから、お前がファミリーを引っ張って行く番だよと言ってる様な気がした。2005年の10月、レフの孫のブルーナとセルジオとアマンダが一緒にリスボンに帰ってきた。

 着いた直後に電話してきて、空港のレストランで食事をする事になった。レフトアリサが、車で空港へ行き、久しぶりに会うと、すっかり一人前の大人になっていた。食事をしてマリアの墓参りにきたと言ので、食後、車で行く事にした。食事しながら、彼らの近況を聞くと、仕事では忙しそうでだったがプライベートではブルーナもセルジオも彼女ができて、近いうちに結婚するかも知れないと教えてくれた。

 アマンダも同じ大学時代でアマゾンに入社した人と、つき合っていると言った。セルジオがレフに1986年にPCTにプライベートバンクの口座を作り、その後ファンドに投資していた話を聞いた様で興味深いので米国に帰る前に是非教えて欲しいと言われた。そこでザックリとダイヤの原石を数十年前にシベリアの奥地で探した事から今までの話をした。セルジオが良くだまされずに、あの時代のソ連を出てブリュッセルの宝石会社までたどり着けましたねと言った。

 その上、一流の金融機関を教えてもらい大成功でしたねと言い、まるで冒険小説みたいな話ですねと笑った。その後、投資先をリスクの少ないXファンドだけに投資したのも立派と言いレフが、それはPCTの人に教えてもらったのだと言うと流石にPCT、最高の投資先でしたよと言った。レフさんが高齢でしょうから大変になったらいつでもファミリーの金庫番を交代しますよと言ってくれた。

 するとブルーナとアマンダが本当に信用できるのと大笑いした。失礼な金融マンとしては許しがたい侮辱とやり返した。でも米国では税務上、良い投資先がないのでPCTのプライベートバンクの方が良いのも事実だと言った。レフが、わかったよ体力に自信がなくなったら君たち3人に、これから先の資産運用とファミリーへの投資を任せるかも知れないと言った。もし運用を交代すべき時が来たら3人に同じ書面を送るから3人で交代する人を決めてくれと言った。

 今回のポルトガル旅行の概要を聞くと特に決めてないと言い、後3日で帰らなければならないと言った。そこで、ファミリーの保養施設、ポルトにあるコスタズメラルダを紹介した。マリーナとホテルが一緒に楽しめる施設だから、ゆっくりしていったら良いと言った。 3人は、それはありがたいと言い、明日から2泊したいので連絡しておいてくれれば助かると話したので電話しておいた。

 長話の後、車でリスボンの海の見える小高い丘にあるマリアのお墓を、みんなでお参りした。するとアマンダがマリアのお墓が海の方向を見てるので西の方向だからアメリカの方を見ているわと言い私たちの事を見守ってくれているんじゃないのというと、みんなが黙りこくった。アリサは涙を流し男性達は、じっと耐えるかのようにしていたが目に涙が浮かべていた。話した本人のアマンダは葬式の時に来られなくて本当にごめんねと言い回りを気にせず大泣きした。

 それを見ていたアリサが彼女の肩をしっかり抱いた。お墓参りを終えるとブルーナがレフにレンタカーの店で下ろしてくれますかと言うので了解と言い店の前で下ろし別れた。帰る時に見送るから知らせろよとレフが言った。セルジオはわかりました電話しますと答えて別れた。3日目の昼12時の便で帰るというのでレンタカーの店で朝9時に待ち合わせて孫の3人をのせてリスボン空港へ向かった。

 飛行場に到着後、搭乗手続きを終え戻ってきたので珈琲を飲みながらアマンダが楽しい旅ができ本当にお世話になりましたと言ってくれた。セルジオが、なかなか素敵なマリーナで驚きましたと言い、もちろん精算は自分たちで済ませておきましたと笑うとブルーナが、そんなの当たり前、じゃないか、とおどけて言った。アマンダがレフさんもアリサさんも、お元気でねと言い、また来ますとアメリカへ帰っていった。
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