その13(最終回)『結晶世界』とJ・G・バラード

文字数 3,973文字

『結晶世界』J・G・バラード(お薦め度☆☆☆☆☆)
先生こんにちは!
こんにちは!
待たせてしまったね
お忙しいことは存じておりましたので
さて、いよいよ最終回だ

その最終回はJ・G・バラードなんですね。

それも☆5つ!


実はこの『結晶世界』は翻訳が古いので、日本語の表現でちょっと引っかかる部分もあるんだ。ハンセン病はライ病と表記されているし、土民とか、若いフランス女とか……。
それで☆4つにしようか迷ったけれど、二十代の頃に遡って5つ付けることにしたんだ。
間違いなくJ・G・バラードの代表作だし、純文学好きでSFが苦手な人でも読める作品だと思う。SF好きの人にとっても、SFに不可欠な「センス・オブ・ワンダー」的な要素も彼の小説の中では比較的感じられる作品だからね
何作も映画化されてる作家って仰ったから、映画好きな子に聞いたら、「間違いなくフィリップ・K・ディックでしょ」って言われたんです。でも、フィリップ・K・ディックは前に紹介していらしたから、誰だろうって……
「何作も……」は私の思い過ごしだったよ。
スピルバーグが監督した『太陽の帝国』、クローネンバーグが監督した『クラッシュ』、2016年に映画化された『ハイ・ライズ』の3作だけだった。

でも、映像的に情景を丹念に描くのが彼の作品の特徴だから、映画を観たような気分になっていたんだろうなぁ

先生、以前にスペキュレーティブ・フィクション(思索的小説)っていうSFのことをお話しされたときに、このJ・G・バラードのことを代表的って仰ってましたね
よく覚えてるね!

あ! 思い出した。

奥さんの頭にリンゴを載せて銃で撃った人


それはバロウズだ。
彼もニューウエーブと言われたけれど、SF作家として出発したバラードとは立ち位置が違う。
バラードと比較的近い位置にいたのは同じイギリス出身のブライアン・オールディスかもしれないが、オールディスがそれまでのSFを基盤にして新たな方向を見出していったのとは違って、バラードはもっと純文学に近いといったらいいのか、スペキュレーティブの言葉通り思索的な印象が強いな。
SF的なガジェットを否定して、彼自身がインナースペース(内宇宙)と呼んでいた内的な世界に踏み込んでいく作品が特徴かな?
宇宙は出てこないんですね
出てきても従来のSF小説的な描き方とはかなり異なる
空想科学じゃないんですよね
空想による自然現象を扱ってる作品も多いから、SFの潮流の一つと言って間違いないけれど、アイザック・アシモフは、バラードたちの新しい流れに対して『サイエンスのないサイエンスフィクションは純文学だ』というような批判的なコメントを残している
純文学って言葉が何度も出てきますけど、SFと何が違うんですか?

SFやファンタジーやミステリーを純文学と対比させたり、ジャンルを区切ることには私も正直抵抗があるけれどね。
バラードの場合、科学や技術に問題解決の糸口を見つけようとする従来のSFと対称的な内容が多いのは確かかな?
この作品もそうですか?
比較的長編になるこの作品では途中で科学的な説明を試みてはいるけれど、科学的というより哲学的だと思うよ
哲学的……って、難しそう

この作品はバラードの中でも特に純文学に近いと思うけれど、その一方でエンタメ要素というかサスペンス的な展開もあるから、バラードの長編としては楽しめる方だと思うよ。

長編と言うより中編くらいの長さだしね

それじゃ、読んでみようかな
実は、バラードには短編小説も多いんだが、その中に「溺れた巨人」という作品がある
へぇ?
ある日、巨人の溺死体が海岸に打ち上げられる。
最初は遠巻きに眺めている人たちもだんだんその死体に近づき、興味を持った主人公は度々海岸をを訪れる。
しかし、死体はやがて腐敗し、解体されていく。その様子を主人公の目で観察してるんだ
巨人はどこから来たのかとか、説明はないんですか?
巨人がどういう存在なのか、何故溺れたのかなどの説明は全くない。
カフカの「変身」のようにね
なんだかシュールリアリズムみたいですね
当にその通り!
科学的に探求するわけでもなく、だからといって不条理を強調するわけでもなく、時に科学や医学の観察眼を交えながら、現実には有り得ないことを淡々と克明に描き出していく。
バラードにはそういうタイプの作品が多いかな。だから、アシモフじゃないけど、SFを期待して読むとガッカリするかもしれない
前にこの方のことを調べたら、破滅の三部作ってあったんですけど
『沈んだ世界』『燃える世界』、それにこの『結晶世界』の三作がそう呼ばれてるね。
実はその前に『強風世界』という初の長編作品があるんだ
もしかして『沈んだ世界』って、ツバルみたいに海に沈んじゃう話ですか?

そうなんだよ!

ツバルのことよく知ってるね。

その通り地球が高温多湿になって主要都市が海に沈んでしまった未来を描いている

地球温暖化ですか?
小説が書かれたのは1962年で、温室効果ガスや地球温暖化が論じられるよりずっと前の時代なんだ。だから原因も「地球物理学的変動」ということになっている。

へぇ?
それじゃ『燃える世界』は?
『燃える世界』は『沈んだ世界』の3年後に書かれた小説だが、地球が高温化、乾燥化して、火災が頻発し、大地は砂漠化していく
世界中で砂漠化が起こってるって、テレビの特集で見たことがあります
確かにどっちもありそうな未来ですね
この人って予言者ですか?
どちらも空想の産物ではあるけれど、脳天気な文明礼賛的なSFを批判する意味は持っていたと思うよ。
『強風世界』も観測史上最大の台風やハリケーンや竜巻が続く今世紀を予測していたと言えなくもないしね
小松左京さんの『復活の日』もそうですけど、文字通り「事実は小説よりも奇なり」ですね!
それで、この『結晶世界』はどんな作品なんですか?
『燃える世界』の翌年に書かれたこの『結晶世界』ではもう少しイマジネーションを膨らませている。
植物や動物、さらに無機物まで、あらゆる物が結晶化してしまう世界を描いているんだ
燃えたり沈んだりっていうと悲惨な印象を受けますが、結晶というと綺麗なイメージが浮かびます
結晶化していく情景の描写は美しいし、悲惨なだけではない滅びゆく世界の美しさを描きたかったんじゃないかな

結晶化の原因は?

宇宙からウイルスを持ち込むとか……ですか?


そうだったらSF的なんだけどね。(笑)
先に言った通り、この作品はSF的純文学と言っても差し支えないと思うし、一番描きたかったのは主人公の心の内じゃないかな
それがインナースペースなんですね?
それもあるけれど、「白」と「黒」、「光」と「影」、そして「時間」によってもたらされる「生」と「死」。そうしたコントラストがインナースペース的なテーマとして描かれている
なるほど。それは哲学的ですね
決して壮大なスケールじゃないけれど、情景は美しいし、主人公に感情移入しやすい。
だから映画を観るようにイメージを描きやすいんだ。
それに、あっさりと描かれているけど恋愛要素もあるしね
へぇ?
恋愛やセックスという、かつてのSFではタブー視されていた要素を盛り込むのも彼らの特徴だけれど、この作品にはそんな過激な描写はないから安心していいよ
でも……最後はみんな滅びていくんですよね?

そこはちょっと違うかな?
破滅って、みんな滅びてしまうんじゃないんですか?

ネタバレになるから言えないけど、抗うことの出来ない現実を受け容れていく終末の美学ってことにしておこう
へぇ? 面白そう!
わかりました。
でも、この人はどうして破滅的な小説を書いたんでしょう?
少年時代に多くの死と向き合ったことが原体験としてあるからかな?
大戦前の上海で生まれ育ち、戦争中は日本軍の捕虜収容所でかなり過酷な経験をしてるんだ。
幼少の頃の経験をベースにして『太陽の帝国』という小説を書いている。SF作家が書いたからSFとして売られているが、その作品も☆5つ付けたいくらい素晴らしい純文学、戦争文学だと思うよ
スピルバーグ監督のその映画観ました!
私も観たけれど、あの映画は原作にはちょっと遠い感じがする
そうなんですか……残念
実はその後の経歴もユニークなんだ。
戦後に帰国して初めて目にした故国イギリスに驚き、その後大学で医学と文学を学びながらも中退して、様々な職に就いた後に空軍でパイロットになるんだ。
そして除隊してから小説を書き始めた
サン=テグジュペリの経歴に似てますね
そう言えばそうだね
サン=テグジュペリ?
『星の王子さま』って知ってる?
あ、その人か!
『夜間飛行』とか『人間の土地』とか、パイロットとしての経験を生かした作品もずいぶん書いてるね
でも二人の作品のイメージはずいぶん違います
違いは幼少期の体験かな?
やっぱりそうですよね。
私は児童教育を専攻してますけど、子供に画を描かせると幼児期の特異な経験は必ずそこに現れてきます
作者が育った背景や環境を知ると、作品を理解する助けになることもあるね。
例えば、メキシコの画家でフリーダ・カーロって人がいるけど、彼女の壮絶な人生を知って作品の意味をより深く理解することが出来た
勉強になります!
また脱線してしまった。(笑)
いえいえ。
次は……って言いたいんですけど、ほんとにこれが最終回なんですよね?
申し訳ないけれど、これで打ち切りにさせて欲しいんだ
なんだか寂しいです……
ほんとに……もっといろいろ教えて欲しかった
今までにいくつか話題に出した作品もあるから、興味があったら読んでみて欲しい。
☆は付けてないけど、実際のところSF小説は星の数ほどあるしね
はい!
今までありがとうございました!
ありがとうございました!

私の方こそお礼を言うよ。

二人ともありがとう。

そして読んでくださった皆さま、どうもありがとうございました!
  とりあえず……完
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登場人物紹介

長谷川裕美

女子大の家政学部で児童教育を学んでいる。

本が大好きで、3大ファンタジーや『ハリーポッター』は特に好き。
でもSFはちょっと苦手かも

馬場俊祐
都立高校普通科の2年
中2までは漫画以外自分から読んだことなかった。
ラノベはよく読むけど、最近純文学や文芸小説にも興味を持ち始めたところ

森谷幸弘
インペリアル・カレッジ・ロンドンでロボット工学とAIの研究を進めている工学博士。

実はSFをはじめ小説は大好き。

自身も若い頃にSF小説を書いたことがあるとか?


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