その12 日本SFの御三家
文字数 5,163文字
『幻想の未来』でファンになったんだ。異形の人々が暮らすようになった1億年後の未来を描いたSFは高校1年の私にとって強烈なイメージだったし、表題作だけでなく収録された他の短編もそれぞれ全く違う内容で、個性を放っていたよ。
コース料理を堪能するような長編よりも、当時は勉強の合間に味わう点心みたいな短編小説が絶妙に美味かったんだ!もともと「士農工商SF屋」と自分たちを皮肉る人だから、笑いもブラックユーモアたっぷりなんだ。
奇抜なアイディア。タブーを恐れぬパロディ精神。駄洒落のセンス。それに落語や漫才に通じるオチ。そういった筒井節ともいえる短編小説に、高校生の頃はずいぶん笑わせてもらったよ。ちょっと下ネタが過ぎるところはあるけどね
自衛艦が「しらくも」とか「ふらつき」って名前だから、なんとなく想像はつくだろう。(笑)
まぁ読んでみて……と言いたいところだけれど、今はこの作品が収められた『わが良き狼(ウルフ)』が手に入らないのが残念だけど
『郵性省』なんて、当時の省庁の名前から取ったダジャレだし、作品名はパロディーのオンパレードって感じだね。
『ペスト』に対して『コレラ』、『蟹工船』に対して『蟹甲癬』……もちろん蟹工船とは関係のないSF。『万延元年のフットボール』に対して『万延元年のラグビー』……これも大江健三郎とは無関係な、井伊直弼の首でラグビーをする話で、フットボールの起源を皮肉ってる。
『日本沈没』が売れれば『日本以外全部沈没』、『サラダ記念日』が流行れば『カラダ記念日』、『バカの壁』に対して『アホの壁』と言った具合にね
例えば、「CONGATURATION(祝辞)」は「礼儀正しく表現される嫉妬」。その隣の「CONGRESS(議会)」は「法律を反故にするために会議する集団」といった具合に、皮肉タップリな辞書のパロディで、悪魔や悪魔学とは関係ない。
パロディ文学のバイブルとも言うべきこの作品は、彼自身が注釈したものが『筒井版悪魔の辞典』として講談社から出版されている
彼の『無人警察』という小説が高校の国語の教科書に収録されることになったときに、作中のてんかんの記述が差別的だと抗議を受けた。
それがマスコミや文壇で大騒ぎになって、家族まで巻き込みたくないと、一時筆を折ることになってしまったんだ
自分も含めて小説や作家そのものを皮肉っている「あなたも流行作家になれる」なんて思わずニヤッとするし、なかなか面白いよ。でも、辞典の部分は今の時代には難しいかな? ちょっと皮肉が強すぎるから。
これも講談社だけど、残念ながら今は古書でしか入手できないんだ。
実際に書店で買えるものとして、エッセイやショートショートはどうだろう?
エッセイなら『狂気の沙汰も金次第』かな
良いことを言ってくれた。話題が筒井康隆ばかりになってしまったからね。
星新一が登場するまで、小説家の原稿料は文字数に対して支払われてた。それを、ショートショートとして価値を認めさせたのは星新一の功績だよ
彼も根底にブラックユーモアがあるけど、筒井康隆と違って下ネタはあまりないし、毒気も少ない。ペッパーじゃなくジンジャーの辛さかな? 子供やお年寄りでも大丈夫。(笑)
小松左京に話を戻そう。
『果てしなき流れの果てに』や『継ぐのは誰か?』は日本SFの代表作でもあると思うけれど、私は短編集の『神への長い道』や、ゴエモンという変なおじさんが登場する『明日泥棒』も好きだな。
『明日泥棒』は、笑って読んでいるうちに恐ろしくなる。
実は、小松左京はその昔、いとし・こいし(夢路 いとし・喜味 こいし)っていう上方漫才の時事ネタの台本を書いていたこともあるんだよ
京大を卒業した後、物乞いをしていた時代もあると何かで読んだ気がするけれど、そんな経験が生きてるのかな?
筒井康隆もそうだけれど、マスコミで名前が売れて、「小説を読んだことはないけれど顔を知ってる流行作家」になってしまったことで、逆に小説家としてはちゃんと知られていない気がするんだ。
今あらためて、そんな彼らの作品を読んでみると新しい発見があるかもしれないよ
三島由紀夫の『美しい星』は、SFのアイディアを借りた三島文学かな? アーサー・C・クラークにかなり心酔していたらしいけど。
一方で森見登美彦の『四畳半神話体系』は、パラレルワールドを描いているのに、あまりSFに括られることはないように思う。でもSF小説として読んだら実に面白かったよ