第10話 戦争は嫌だ

文字数 1,474文字

嫌だ、僕は兵士になんかなりたくない
本物の血で遊ぶなんてごめんだ
だってこれは遊びじゃない
二度と戻れない
水鉄砲とは違う

僕らはもうただの遺体袋と同じ
僕らはどうなってしまったんだ
(Lennu訳)

梅雨の夜にまたスヴェン・イルマリネンとキッチンで一緒になった。スヴェンはiPadで音楽を聞いていた。僕を見ると、五月蝿いかな、ごめんと言った。
いいえ、と僕は答えた。だってスヴェンは静かな夜11時過ぎ、ほんの低い音で動画を聞いていただけだったから。何の曲ですか?
「2023年、『水鉄砲(ウォーターガン)』という今年のユーロビジョン・ソング・コンテストのスイス代表の楽曲だよ」
子供のときは水鉄砲で遊んでいたけど、大人になって気づいたら前線にいた。それは遊びじゃない。隣にいる戦友が、あっという間に死体になってしまう世界だ。
「スヴェン、あなたは戦争に参加したことを後悔していますか?」
僕は尋ねてみた。凄腕狙撃手としてミルトラントのみならず、世界中で有名になったなんてことは、スヴェンの喜ぶことでも、望んだことでもなかった。歌うときも、すぐ隅に行きたがるスヴェンは、何度も中村さんに真ん中に押し出されていた。
「君はうちの合唱団一の美貌の持ち主で、女性のお客さんのお気に入りだ。いっぽう男の聴衆はそんな君がニコリともせず、真剣に歌うのを見て魂を感じるんだ」
と褒めまくったので、内気なスヴェンは耳まで赤くなった。
共用部分の掃除も、早朝のゴミ出しも率先して行うスヴェン。職業がら気配を消すのがうまくて、アール・グレイの館でたくさんの人(つまりスヴェンを除く4人)がいるところにはめったに姿を表さず、いてもすみっこに立っていて、普段はほとんどしゃべらないけど、必要なときは、ホームの訪問コンサートのミーティングのときみたいにはっきり発言する。
「後悔はしていない。ベナヤ(ミルトラント語でロシアのこと)が侵略してきたから、武器を取ったまでだ。狩猟で動物の命をいただくときと、侵略者を追い出すとき以外、銃を取る意味はない」
と素っ気なく答える。でも国はあなたの働きに農場をくれたんですよね? 凄いなあ。
だが、僕が凄いとか言うとスヴェンはあからさまに嫌な顔をした。
「ベナヤの人間だって、僕たちと同じだ。独裁者に命じられて来たくもない戦場に来た。弾が当たれば僕たちと同じように痛いし、血も流す。ミルトラントは戦ってsisu(負けじ魂)を敵に見せることでバルト諸国のような占領を逃れた。だから意味がないとは言わないが、僕は自分のやるべきことを他の人と同じようにやっただけだ」
とどこまでも素っ気ない。
「長年ベナヤに遠慮して、軍隊も大幅に減らされた。ベナヤの連中は僕を死神と呼んで酷く嫌ってたから、農場でゆっくりするなんてことは許さなかった。国からもらった土地で射撃練習をしていたとき、奴らに襲われたんだ」
それがスヴェンがミルトラントを捨てて日本に来た本当の理由なのかと僕にはピンときた。
スヴェンはしゃべりすぎたという顔をして黙り込んだ。
「中村さんの京都のお土産の八ッ橋が二つ残っていますよ、僕らでひとつずつ食べちゃいませんか? 生だからそろそろ賞味期限だし」
と言うとスヴェンは機嫌を直してちょっと口角を上げた(今ではスヴェンの仕草を僕は完璧に翻訳できる。好意を示してニッコリ笑ったということだw)。スヴェンがたくさん入れたコーヒーを一緒に何杯も飲んで、僕らは静かで暗い食堂のすみっこに座り、ミルトラントと日本の文化についてよもやま話をした。暗い窓の外では雨がしとしとと降っていて、庭のカエルの鳴き声がしていた。
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