第9話 もうひとつの人格

文字数 4,394文字

「敵軍が控えている場所は、この山の先だよ」
 メルクは先ほどシュスタが奪った地図を見ながら、前を見上げる。山といってもそんなに険しいものではない。だけどもう日は沈んでしまった。辺りは薄暗くなっている。
「さすがに今からのぼるのは、シュスタたちには酷だろう。今日はこの辺で野宿しよう」
 グリムはそういうと、周囲の枝や葉を集めライターで火をつける。メルクはライターに驚きながらも、バッグから食料を出した。
「これ、村長から。みんなの食事だよ。パンとヤギのチーズね」
 みんなも焚火を囲むように座ると、メルクから食料をもらって食べ始める。マッドだけはいつものポクラムだ。
無言で食べていると、メルクがちらちらとシュスタを気にしていることに気づいた。理由はわかる。やっぱりあの使者の男と何があったのか知りたいんだろうな。
そんなメルクの視線を、キュレは見逃さなかった。

「ふああ……じゃ、俺は寝るぞ」
「うう、外で眠るのは独房で寝るよりきついですな」
 食事を終えると、グリムとマッドは横になる。シュスタもだ。ボクも目をつぶり、眠った振りをする。キュレも眠ったように見せかけているみたいだけど、寝息が聞こえない。
キュレのあの表情……。あれを見た後、必ず何か起こる。しかも相当面倒くさいことが。今夜はその、『何かが起こる』日。それを防ぐには、眠っちゃダメだ。
 案の定、みんなが寝たと思ったら、カサリと音がした。そして何か大きなものが空を切る音。ボクは素早くナイフを抜くと、キュレの振りかざした鉈を止める。
「なっ、リスタ!?」
「はぁ、予想通りだね。キュレ、ダメだよ~? メルクを殺すなんて」
「え、ええ!? な、何が起きたの?」
メルクに襲いかかろうとしていたキュレに、それを防いだボク。ガキンッ! と大きな音がしたせいで、眠っていたメルクが目を覚ます。
 一旦鉈を下ろすと、ボクをにらんで距離を取る。肝心のシュスタは今夜もよく 眠っ
ている。昨日徹夜だったみたいだから、なおさらだよな。ん~……これはまずいかも。
「リスタ、どきなさい! 私はこのガキを殺す!」
「僕を!?」
「大丈夫、メルクはボクが守るから」
「リスタ……うわああああっ!!!」
 キュレは頭をかきむしると、目を閉じる。彼女の本気はここからだ。
「私は……わたしは……あたしは……ああああ」
 きた。キュレの本当に怖いところは、冷静で淡々と物事を片付けていくところではない。
彼女の本性……もうひとつの人格が出てきたときだ。
「はは……きゃはっ……キャハハッ♪ 殺っちゃうぞ~!!」
「え……?」

◇◆◇

「メルク、隠れてて!」
キュレの豹変に驚いて、ぽかんとしているメルクを突き飛ばすと、ボクは暴走を始めた彼女の相手をする。
「それそれそれそれそれそれ!! キュレはメルクを殺すのっ! リスタなんかに負けないんだから♪」
 リミッターが外れたキュレは軽々と鉈を振り回す。ボクはそれをなんとか当てないようにナイフで軌道を逸らすので精一杯だ。
「シュスタを汚い目で見る男は全部殺っちゃう! メルクも、邪魔者リスタも殺してやるのだ~♪」
「あわわわ……」
「平気ですか! メルク殿」
「やっぱり入ったか、スイッチ」
 尻もちをついたまま動けないメルクを、騒動で起きたグリムとマッドが引きずって木陰へと逃げる。
困ったな。キュレがこうなったら、止められるのはただひとり。しかしその救世主は、この騒ぎの中でも平然と眠っている
「シュスタ、起きて! キュレが暴走した!」
 ボクが大声を上げても目を覚ましてはくれない。
「……殺す……ぐう」
挙句の果てに寝言まで……。仕方ない。
「グリム、シュスタを起こして!」
「わ、わかった!」
「させないよ♪ シュスタには絶対に触れさせないんだからっ!」
「キュレ、キミの相手はボクだよ? 逃がさないからね」
 グリムを襲おうとするキュレだが、近づけないようにボクが遮る。
「あ~ん、鬱陶しい~!! リスタ、邪魔っ!」
「そりゃそうだよ。邪魔してるんだから」
 ボクとキュレが戦っている隙に、マッドがシュスタの肩を揺さぶる。
「シュスタ、起きろ。キュレがまずい」
「ん……キュレ? ああ……」
 なんとか起きてくれたシュスタは、ボーッとしたまま目をこすり、キュレの近くに立つ。
「ひゃあ、シュスタ! 今キュレね、シュスタのために……ぐふうっ!!」
「……うるさい。睡眠妨害はキュレでも許さない」
 シュスタは容赦なくキュレの腹にパンチを食らわせる。パンチを受けたキュレ は、その衝
撃でフラフラしながら倒れこんだ。
 木陰に隠れていたマッドとメルクも、ようやく焚火の近くへと戻って来た。
「……キュレ、大丈夫なの? あれ」
 メルクの問いかけに、軽くうなずく。
「オーバーヒートしただけだよ。一晩眠ればいつものキュレに戻る」
「兄さん、これでいい? 私、寝るから」
「うん、ありがと。シュスタ」
 役目を終えたシュスタは、横になったと同時に眠りにつく。マッドとグリムも元の位置でまた目を閉じる。
 ボクも今度こそ寝ようかなと思っていたら、メルクが小声で話しかけて来た。
「リスタ、キュレが暴れたのって、やっぱりシュスタが原因でしょ? 本当に彼女、平気なの?」
「多分シュスタは昨日、あの使者の男に襲われたと思う」
「や、やっぱり!? でも、本人は平気そうだったよ!?」
「うん、襲われたってだけでしょ。返り討ちにしたんだよ」
 ボクはシュスタが昨日とったと思われる行動を、メルクに説明する。
 シュスタは男と部屋に入った。そこで襲われたが、持っていた釘バット代わりの木の棒で殴ったんだろう。あとは男が起きないように見張って、起きる前に適当に服を剥ぎ、横に添い寝でもしていれば勝手に勘違いするという寸法だ。
「ま、これでだまされた男は、かなりのバカだとは思うけどね。最悪殺しちゃってもよかったけど、村で殺るわけにはいかないでしょ?」

「じゃあキュレは完全に勘違いして?」
「というか、キュレはシュスタのことになると目の色が変わるからねぇ~」
「何か理由があるの?」
 寝ようと思っていたけど、メルクは座ったままで焚火に小枝を投げ入れている。ボクも同じように座り直し、持ってきた飲み物に口をつける。
「うーん……」
 少し考えたのち、ボクは口を開いた。これからしばらくメルクと一緒に行動するなら、キュレのことも教えておいたほうがいいかもしれない。いつスイッチが入るかわからないから。
「キュレはさ、親を早くに亡くして、お姉さんに育てられたんだよね」
そのお姉さんの仕事というのがいわゆる売春だった。そんな苦労している姉を見て育ったキュレは、勉学にいそしんだ。そして見事一流商社の秘書として就職。
しかし、唯一の家族で、大切に思っていた姉が男に殺された。ようやく仕事から足を洗い、本当に理解してくれる恋人と結婚できそうだというときだったのに。犯人は姉の昔の客。すぐに捕まりはしたが、キュレはショックで自暴自棄になった。
仕事を辞め、街をフラフラしているとき――
「うちのシュスタに出会ったんだ。路地裏で男を殺してる最中のね。キュレはそれを見て、シュスタに惚れこんじゃったみたいでさぁ」
「キュレはある意味男性不信だったってことなのかな?」
「……お姉さんはやっと人並みの幸せを手に入れたのに、最後には元・客なんかに殺された。キュレはね、お姉さんの仕事もあまりよく思っていなかったんだ。お姉さん、ボロボロだったからさ。男ばかりを
狙う殺戮人形は正義のヒーローだったのかもね」
「それなら、そのシュスタはなんで殺しを始めたの?」
「シュスタは殺しに向いてたんだよ。ボクと同じだ」
 ボクはそれだけ言って少し黙った。メルクは不思議そうにボクを見やる。メルクはなにも知らないから、そんな純粋な瞳でボクを見つめるんだね。
ボクは正直に話し始めた。
「……シュスタが人を殺したのは、ボクが原因だったんだ」

                                   ◇◆◇

殺人鬼として捕まってしまったあと、当然その親族だったシュスタは社会から疎外された。いじめにもあったし、それ以上の屈辱も受けた。だからその身を守るために、殺しを覚えたんだ。
 最初はボクを恨んでたんだと思う。兄のせいで自分の一生が台無しだ。殺したいほど憎いのに、残念ながらその兄は鉄格子に守られている。当時中学生だったシュスタが、ボクを殺す手立てはない。ボクも獄中自殺をするような人間じゃなかったしね。死刑になるまでずっと、ボクという枷がシュスタを苦しめることになっていたんだ。
 ボクの裁判が終わってすぐに、シュスタは殺人を犯した。そこまで追い込まれてしまったんだ。それですべてが終わりだったらよかった。逮捕されるか自白するか、もしくは逃げるか――
 でもシュスタは、わざわざボクのいる拘置所に面会へ訪れた。そして言ったんだ。『兄さん、私も才能あるかも』と。
「それで……リスタはなんて返したの?」
「ボク? まあ普通だよ。『さすがボクの妹だね』って」
「それ、普通じゃないような……」
「メルクにとって普通じゃないことでも、ボクらにとっては普通ってこともあるんだよ」
 パチパチと飛び散る火の粉を眺めていると、すべてがどうにでもよくなってくる。こうやっていつまでも炎を見ていたい。元のセカイでも、焚火の炎は変わらない。だったらずっとこのセカイにいてもいいんじゃないかって気もしてきてしまう。
 メルクは頭を抱えると、ボクに言った。
「グリム以外のみんながどうして犯罪に走ったのか、わかるような気もするけどやっぱり理解はできない」
 言いたいことはよくわかる。でもね、ボクらはただ人を殺してきたんじゃないんだ。家庭環境がどうとか、社会がどうとか、そういうレベルではない、もっと根本的なもの。
「メルクはさぁ、殺人鬼は悪いヤツだと思ってる?」
「君たちはどうかまだわからないけど……やっぱり殺しはいけないよ」
「それは世間一般のものさしで計ったら、だよね。ボクらは違う。自分たちで正義も悪も判断する。それだけだよ。だからたとえ他人に悪者だと言われても、ボクらは笑ってる。意見が違うだけなんだ」
「そんなもんかな……。僕にはわかんないよ」
「ん~……理解する必要なんてないんじゃない? 頭で考える前に、案外人って行動してるもんだから」
「むぅ……」
 余計に混乱してしまったのか、メルクはあごに手を当てて考え込む。悩むことなんて何もないのに。
「……じゃあさ、リスタはなんで、殺人鬼になったの?」
「ハハッ、なんでだろうね?」
ボクは小枝を投げ込むと、横になった。
「明日敵軍に討ち入りするんだし、早く寝たほうがいいよ」
 納得していなさそうな顔のメルクをちらりと見て、ボクは目を閉じる。

 ボクが殺しを始めた理由なんて、聞くだけ時間の無駄だよ――メルク。

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