序章 青春の走馬灯プロローグ

文字数 3,795文字

「青春」響きのいい言葉である。自我に目覚める頃だった。
「甘酸っぱい青春」あま~い思い出が浮かんでくる。異性を意識し始める頃だった。
老秋(ろうしゅう)」今の私を言うならこれがふさわしい。自我を眠らせる頃になった。
「ほろ苦がい老秋」異性に相手にされない頃である。世間の風当たりも強い。
だから意地を張らず、「老醜」にならぬように自我を眠らせて生きている。
年は老いても異性に対する関心は変わらない。心の内は人には見えない。
あの楽しかった青春の甘い思いはいつでも思い出せる。私はそれでいい。

青春・・・・遠い昔のようだが私にとってはそんな昔ではない。
月日は経ったが青春の魂はいつも心の中にある。いつでもあの日の事が思い出せる。
青春の頃に志した豊かな人生への決意がそのまま継続している。
青春の頃から今日までずっと、充実した人生を過ごせた事をかみしめて生きている。


誰もが共通に通り過ぎる青春。誰の心の中にもある甘酸っぱい青春の思い出。
この青春の過ごし方で、その後の人生が大きく変わっていく。
青春の生き方で未来は決まっていく。青春は自分の能力や志が見える頃である。
希望に燃える青春と、希望を捨てる青春がある。
こんなもんかとあきらめる人と、よ~し頑張ろうとする人に分かれていく。
人生の豊かさと貧しさの差はこの頃から始まっている。その差は大きく開いていく。
人の一生の「原点」はこの青春の過ごし方によって形成されるように思う。

私の人生はどうだったのか、振り返ってみると懐かしい思い出が浮かんでくる。
昔の事はよく覚えている。中学や高校の卒業写真、運動会や旅行などの写真を見る。
その写真の前後の事が走馬灯のように流れ始める。声や仕草まで浮かんでくる。
18歳の頃に自我に目覚め、異性を意識するようになった。憧れの人ができた。

声なんかかけられない。自分の姿かたちのみすぼらしさが気になってきた。
自分の家の生活の貧しさと、自分の心の貧しさに気が付きはじめた。
代々貧しい家庭だった。何もしなければ、運命の連鎖は私にそのまま受け継がれる。
憧れの人と口が聞けるような人間になりたかった。ここにいては無理かもしれない。
私の青春は、この両親の運命の連鎖から、決別したいという妄想から始まった。

これから始まる物語は私の18歳の頃の「甘酸っぱい青春」の思い出です。
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昭和42年3月。所得倍増計画という、歴史的な経済成長の幕開けの時代だった。
家は貧乏だった。大学に入りたかった。本を読むのが好きだった。
いつまでも読んでいると、父ちゃんに怒られた。
私の家では勉強するのも本を読むのも遊びとおんなじだった。
思い切り本が読める職業になりたい。それは学校の先生だろうと思った。
大学行けるような生活レベルではなかった。高校もやっと行かせてもらった。
兄ちゃんと姉ちゃんは中学を卒業してすぐに働き、給料はほぼ全額家に入れていた。
兄弟四人の貧しい家では、大学の事なんて話題にさえできなかった。

どうしても大学に入りたかった。それを心の中に秘めて勉強していた。
父ちゃんは高校を卒業したら就職して、家に生活費を入れろという。
家では受験勉強はできない。本を読んだり、勉強をしていると父ちゃんに怒鳴られた。
「本を読む暇があったら、母ちゃんの内職を手伝え」が口癖だった。
父ちゃんは知識や情報が、生活を豊かにするなんて言う事は考えてもみない人間だ。
父ちゃんは、額に汗して働くのが最高の労働だと思い込んでいる。
学校の先生のような職業を馬鹿にしている。
「頭で生活しようなんて奴は、ろくなもんじゃねえ」
このままでは父ちゃんと同じになってしまう。

この家の生活の貧しさと、人間性の貧しさという運命の連鎖を断ち切りたかった。
夫婦喧嘩も絶えなかった。原因は父ちゃんの競艇と母ちゃんの気性の激しさだった。
貧乏人は一攫千金を考える。日々の積み重ねが大きな財産になる事が分からない。
夫婦喧嘩が多い家庭は兄弟喧嘩も多い。幸せとは縁の遠い家庭だった。
そんな家から1日でも早く逃げ出したかった。

家出の決意は高校3年生の頃から始まった。色々な方法を妄想していた。
どうしても一人になりたかった。思い切り勉強ができる環境が欲しかった。
高校2年の頃になると、漠然と大学にでも行って見たいなという夢が芽生え始めていた。
この、貧乏な生活の繰り返しは、このままだと親子代々永遠に続くような気がした。
何とかこの運命をどこかで断ち切りたいと思い始めていた。
大学へ行けば、もしかしたら変わるかもしれない。
もし大学に行くとすれば、私立でもいいから有名な所へ行ってみたかった。
国立大学なんか夢の夢、自分の世界ではないと、もともと眼中になかった。
どこの大学に行きたいかの目標は決めておいた。
場所は都の西北のほうにある。憧れに近い私立大学だった。
私立大学の入学試験は3科目だ。働きながらの国立5科目の受験はきつい。
大学に入れれば、あとはアルバイトをしてでもやっていける。

季節になると書店には大学の入試要綱が並び、大学ごとの受験対策の本も並んでいた。
入学金、授業料は早稲田大学の文学部が一番安かった。
それでも、入学金25万、授業料、前期6万、後期6万だった。
授業料はアルバイトをすれば何とかなる。
しかし、入学金だけは最初に準備しなければどうにもならない。
家にいてはできない。家では、自分の思い通りには行かない。
だんだん妄想が広がり、家を出なければ自由にならないと思い始めた。
親には言えない。相談する友達もいない。自分なりに、色々方法を考えた。
妄想は現実の形になっていく。
・・・家出して独身寮のある会社に勤める。
・・・夜、受験勉強をしながら給料を貯める。
・・・それを入学金にすれば大学にいける。
そうだ、入学金は何年かかけて自分で貯めようと決心した。
これしかないと妄想が行動に変わっていった。
妄想が、希望に変わり
希望は、目標に変わり
目標が、決心になり
決心は、行動になり
行動は、現実の形になって変わっていく。

昭和42年3月21日。
群馬県の太田市にある高校を卒業した。
どうしても家を飛び出したくて、体裁のいい家出を決意した。
千葉県にある石油コンビナートの会社に就職する事にした。3交代制の工場だった。
3交代制の勤務は給料が高かった。父ちゃんはお金に弱い。
父ちゃんは簡単に許可してくれた。近隣の就職先よりずいぶん高い給料だった。
「1ヶ月に1回は給料を持って家に帰ってくるんだぞ」が条件だった。
「うん、そうするよ」と言って安心させた。父ちゃんに私の心の中はわからない。
父ちゃんは単純だ。子供が親の言う通りにすれば満足する。逆らわないことだ。

遠くへ行ってしまえば家に帰ってこなくてもいいという思いだった。
その工場は、石油からポリエチレンを作る会社だった。
その会社には独身者用の社員寮があった。魅力的な条件が揃っている。
その会社の給料は1ケ月15,000円位だった。
ボーナスも年に2回と書いてあった。寮では朝と夜に食事が用意されている。
工場では昼飯が支給される。風呂もある。小さいが図書室もある。
その時はまだ、工場の仕事が危険を伴うものだとは知らなかった。

寮生活は誰にも煩わされる事はない。
朝8時には工場のバスが来る。それに乗って工場に行く。
昼間8時間働いて、夕方6時に帰ってくる。残り14時間が自分の時間だ。
いくらでも自由に使える。煩わしい雑事がない。兄弟喧嘩からも解放される。
父ちゃんの怒鳴り声も、母ちゃんの内職の手伝いも無くなる。全て受験勉強に使える。

1年間、思い切り受験勉強ができる。参考書なんか各1冊ずつあればいい。
その本が破れて使えなくなるまで読めばいいのだ。
その参考書が、鉛筆で真っ黒になるまでやればいい。時間は十分ある。
其々の学習科目の参考書を丸暗記するつもりでやれば何とかなるだろう。

昭和42年3月25日 家出の前日
家を出る時の手荷物は1個だった。1泊2日の旅行程度の手荷物だった。
3枚のパンツとシャツ。タオルと歯ブラシ歯磨き、靴下2足それにセーターが1枚。
それを見すぼらしい黒いナイロンバックに詰めこんだ。
何冊かの詩集や小説も詰めた。その中に高校の教科書や参考書も紛れ込ませた。
布団は体裁のよさそうなものを、母ちゃんが千葉県にある独身寮に送ってくれた。
服装は高校のときの学生服。靴は薄汚れた運動靴。頭は虎刈りの丸坊主だった。
母ちゃんが切れないバリカンで坊主刈にする。それでも恥ずかしいという気持ちはなかった。
貧乏暮らしになれているせいか、人の目はそんなに気にならない。

明日から工場へ行くという前の晩だった。母ちゃんがご馳走を用意してくれた。
稲荷寿司やかんぴょうと、おぼろの海苔巻き。それと好物の固めのキンピラだった。
父ちゃんがビールを飲ませてくれた。苦くてこんなもの一生飲まないぞと思った。
酒も飲ませてくれた。腐っているような味がして吐き出した。
タバコも吸ってみろと言った。のどが痛くなって目が回り、気持ちが悪くなった。
これも体に合わないなと思った。それが父ちゃんの精一杯の優しさだった。

高校時代には親しい友達はいなかった。誰にも言わずに千葉まで働きに行く。
特に寂しいとは思わなかった。一人になれる。思い切り勉強ができる。
来年は大学に合格する。それを心の中に秘めておいた。

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