第16話 永遠の憧れの人と!

文字数 6,847文字

部屋のドアを開けると、小中可南子の顔が見えた。
掘り炬燵に座っていた。こっちを見て微笑んだ。
床の間の花を背にして座っていた。白い花が小中可南子を引き立てていた。

小中可南子は一輪の白いバラの花のようだった。
開きかけようとしている大きなバラのようだった。
うすい化粧をしていた。
少し上向きの口にはほんのり赤い口紅がついている。
大きな目には黒い瞳がいっぱいに輝いていた。
頬の小さなえくぼが可愛さを増している。
可愛いと思うところがいっそう可愛くなっていた。
可愛いというより大人らしい女の色気も漂っている。
近づけないようなオーラのようなものを感じた。
もう手が出せないような美しさになっていた。

空想していた中学生の彼女は今日で終わった。
今日からは18歳の彼女に切り替える事ができる
相手にされなくても、今日からはこの姿で心の中で生き続ける。
今までよりもっと強く生きられそうな気がしてきた。
もっと辛抱できる気がしてきた。
「早川、小中さんに挨拶は?」
「ああ、そうか、小中さんしばらくです」
加藤に声をかけられて、我に返った。
もしかしたら何分も彼女を見つめていたのかもしれない。
時間の経過を感じなかった。

気がつくと、自分の貧相な姿が恥ずかしくなってきた。
ワイシャツの襟や袖口が薄汚れていた。
履いていたズボンもバス旅行の時の酒のシミが付いていた。
靴下も臭いだろうと気になった。どこに座ろうか迷った。
隣に座ればこの臭いまで伝わる。咄嗟に小中可南子の正面に座った。
加藤は私の右側に座った。村岡良子は私の左側に座った。
掘り炬燵に4人が揃った。小中可南子はいつでも微笑んでいる。
「加藤君こんにちは、もうあれから3年経ったんだね」
「早いよな、もう3年か」
「加藤君は、今なにしているの?」
「大工の見習いさ、小中はなにしてるん?」
「今、大学2年生なの」
「あ、大学に行ったんだ、誰かに聞いた事があるよ」
「誰でも入れるような女子大なの」
「それでもすげえな」

女子大って聞いてなぜか安心した。
自分が聞かれたら何て答えようか考えていた。自分も何かかっこよく答えたい。
やはり、小中可南子が聞いてきた。
「早川君はなにしてるの?」
「うん、千葉県にある石油化学工場の独身寮にいるんです」
「成績よくて評判だったのに、もったいないね」
「うん、実は来年は大学受験しようと思ってるんだ」
かっこいい事が言いたかった。初めて他人に自分の思いを話してしまった。

加藤が驚いた。
「なに、早川、大学を目指してるんか」
「うん、国語の先生になりたいんだよ」
「やっぱりな、何で千葉までいくんか、おかしいなと思ってたんだよ」
「独身寮なら、思い切り勉強ができるんだよ」
「そうか、どこを狙ってるん」
「うん、それはまだ恥ずかしくて言いたくないよ」
「言っちゃえよ、そこまで言ったんなら」
「うん、都の西北だよ」
「えええ、早稲田か?いくらお前だって入れるわけねえよ」
「だから、言いたくなかったんだよ」
「まあ、希望だけなら誰でもいえるんだから、いいんじゃねん」

小中可南子も驚いたようだった。小中可南子の顔がまた優しい顔に戻った。
「そうなの、早川君ならできるわよ」
「うん、今、1日6時間くらい勉強してるんだよ」
「早川君って、頑張り屋ね」
「うん、受験勉強には独身寮が一番いいと思ったんだよ」
「そうね、早川君なら絶対受かるわよ、頑張ってね」
この言葉をずっと心に残しておこうと思った。

小中可南子にいった事でもう後には引けなくなった。
みんなの前で話した事で決心がいよいよ固まった。
この時点で目標がはっきりした。自分の人生の目標って単純なものだった。
好きな人からかっこいいと思われたいだけだった。
一度は誰かに話したかった。小中可南子の前で話す事ができた。
見えない力が働いているような気がした。思いがけずに口から出てしまった。
村岡良子も私の顔をじっと見つめて聞いていた。
「加奈子ちゃん、そろそろ出かけない」
「うん、行こうか」

<女子高の文化祭へ>

外はよく晴れ渡っていた。4人で女子高の文化祭へ歩いていった。
加藤と村岡良子が前を歩いていく。
二人は幼馴染だ。親しく話ができる間柄だった。
その後を小中可南子と歩いていく。嬉しいけど緊張した。
憧れの人と並んで歩いている。こんな日が来るとは夢にも思っていなかった。
手の振りと足の振りとが一緒にならないように気をつけた。

頭の中で話題を探す。小中可南子は何か歌を口ずさんでいた。
快い響きだった。一緒に歩いていて楽しいのかなと思って安心できた。
歌を口ずさむのは、彼女の優しさだった。
会話のない緊張感を和らいでくれた。道沿いの林には所々に藤の花が咲いていた。
小中可南子が声をかけてくれる
「藤の花の紫色っていいね・・・」
「うん・・」
その時から紫色が好きになった。
「早川君、これからどうするの」
「今日は夕方、千葉へ帰るよ」
「ふ~ん、帰るんだ」
「何で?」
「特になんでもないけど・・」
また会話が途切れる。小中可南子はまた歌を口ずさむ。
「会社には可愛い子いっぱいでしょう」
「そうでもないよ・・・・」
また途切れる。
・・・可南子さんより可愛い子なんていないよ・・・
・・・今ならこう言える。もう時間は戻らない。

彼女の一言ひとことは誘いの言葉だったかもしれない。
それに気が付かなかった。そういう環境に育っていなかった
「早川君、なんに興味あるの・・・」
「うん。特に今はないけど・・・」
「ふーん、特にないんだ・・・」
また空振りだ。彼女がつけた会話の火をまた消してしまった。
「会社には、友達はできたの?」
「うん、中学のときの同級生の、清水が一緒なんだ」
「へえ~、あの清水君ね」
「うん」
・・・まだ、できないんだよ。可南子さん友達になってくれない・・・
・・・今ならこう言える。もう後の祭りだ。

時々ほのかに彼女の匂いがしてくる。
香水の匂いではない。汗の匂いでもない。
なんともいえぬ甘酸っぱい香りがしてくる。
彼女の匂いなら汗の臭いでもいい。
気付かれないようにそっと息を吸い込んでみた。
生まれて初めての快い甘酸っぱい匂いだった。

話題はいつも小中可南子からだった。
「ブラスバンド部って面白かったね」
「うん」
「早川君って、真面目なのよね」
「どこが真面目なのか、自分ではよくわかんないんだよ」
「だって、女の子が声をかけたって、あまり返事をしなかったんだよ?」
「うん、何て言っていいかわからなかったんだよ」
「知っている?」
「なにを?」
「早川君って、けっこう人気があったんだよ」
「そんな事あるわけないよ」
「あのね、野村さんとか、鈴木さんとか早川君の事好きだったんだよ」
「え、あの子が、うそだろ~」
「もしかしたらだけど、良子ちゃんもそうだったらどうするの?」
「それはないよ、だってまだ何回も話してないよ」
「ウフフ、」
「なになに、ウフフって」
「言えない・・・」
「教えてくれる、気になるからさあ」
「誰かさんがねえ・・」
「うん」
「早川君って”うん”しかいわないでしょ」
「うん」
「だからねえ、”うん子”って言ってたよ、ウフフ」
「うわあ、信じられないよ」
「絶対に私じゃないからね、だって私ね」
「うん」
「ほらね、うんしかいわないでしょ」
会話には問いかけが隠されている事が多い。
それを感じ取る事ができなかった。
感じても、それを気の効いた会話で返す事ができなかった。

生活も性格もすべてに自信がなかった。
将来へつなぐ会話をする事もできなかった。
運命かもしれない。
会話が途切れると彼女は歌を口ずさむ。優しい心遣いだった。

時々、彼女の甘酸っぱい香りがそよ風のように流れてくる。
その匂いは紫色の花のような香りだった。
・・・うすむらさきの 藤棚の
・・・下で歌った アベ・マリア
・・・澄んだひとみが 美しく
・・・なぜか 心に残ってる
・・・君はやさしい 君はやさしい 女学生
・・・はるかな夢と あこがれを
・・・友とふたりで 語った日
・・・胸いっぱいの しあわせが
・・・その横顔に 光ってた
・・・君はステキな 君はステキな 女学生
この歌もバスの中でよく聴いた歌だった。

高校の建物が見えてきた。村岡良子が振り返る。
「ねえ、何から見る?」
「体育館で吹奏楽があるんじゃない」
「じゃあそれから見よう!二人とも楽しそうね」
「うん、良子ちゃんありがとう」
ありがとう。何のことだろう。
時々意味がわからない会話がある。会話は何かの続きになっている。

時々だが横に並んで歩いている彼女の手が触れる。
それがたまらなく嬉しかった。はっとして自分からそっとよけてしまう。
気が小さかった。手をつなぎたかった。それで運命が変わっていたかもしれない。

会話よりちょっと手をつなぐほうがいいかもしれない。
手をつないで歩けば会話は必要なかったかもしれない。
手から手へ、心から心へ、気持ちが通じていく。

高校の文化祭へ着いた。彼女は村岡良子のほうへ行った。
天国のようなひと時は終わってしまった。
将来へつなげる会話ができなかった。
そのかわり、彼女の匂いが心の中に残った。
匂いも思い出として残る。小中可南子の体から出てくる甘酸っぱい匂いだった。
もうこれで悔いはないと思った。

村岡良子が近づいてきた。耳のそばで小さな声で囁いた。
村岡良子もほのかな匂いがした。
小中可南子とは又違う甘い優しい香りがした。
「文化祭が見終わったら、もう一度私の家に来てくれない」
「うんいいよ」
「車の免許取ったの。少しでいいけど助手席に乗ってもらいたいの」
「わかった。俺一人で?」
「そう、一人で乗ってもらいたいの」
「じゃあ、そうするよ」

加藤がチャチャを入れてくる。
「二人で何を相談しているん」
「加藤君はあっちへ行って」
「秘密の話か、わかった、わかった」
また悩みが増えてしまった。どうすればいいかわからなくなってきた。

高校の文化祭は始まっていた。
正門から入っていくと、校庭の周囲には、奥までずっとたくさんの屋台が出ていた。
たこ焼き、焼きそば、ソースせんべい、チョコバナナ等が並んでいた。

・・・・・・
小学校の頃、村の神社のお祭りが好きだった。
お祭りの時は父ちゃんから50円の小遣いがもらえた。
何を買うか、迷いに迷って焼きそばを買った。
焼きそばは20円だった。ソースせんべいは10円だった。
食べ終わると、たこ焼きのほうがよかったかなと後悔した。
でも、たこ焼きは50円した。
・・・・・・

各教室ではいろんなゲームや金魚すくいがほとんど無料だった。
体育館では軽音楽や行進曲を演奏していた。
最初にブラスバンドの音楽を聴くことにした。
小中可南子は私の隣に座った。加藤の横には村岡良子が座った。
小中可南子はいつでも微笑んでいた。村岡良子は涼しい顔をしている。
二人ともそれぞれの別の味の魅力を持っていた。

お昼頃体育館の横に並んでいる食堂に入った。
村岡良子から食券を渡された。
カレー、うどん、ラーメン、助六寿司などの中から一品選べる食券だった。
長テーブルに4人が座った。加藤と私が並び、彼女達は相向かいに並んで座った。
係りの女高生がやってきた。小中可南子はカレーを注文した。私は狸そばを頼んだ。
「たぬきそばをください」
彼女はウフフっと笑った。また女のウフフだった。何で笑ったか意味がわからない。
「なに、なに、なにが面白いん」
「カレーとそばだって・・・ウフフ」
「彼のそば? ああ、駄洒落なのか?」

彼女の食べ方は魅力的だった。
食べ方にも人間性って出るんだなと思って見ていた。
スプーンでカレーを口に運ぶ時、彼女の舌が見えた。
見てはいけないものを見てしまったような感覚がした。
すぐに目をはずした。小さな可愛い舌だった。
やばい!村岡良子の視線を感じた。

加藤はわれ関せずという顔で食べている。
加藤は動き回る女高生の姿をキョロキョロ眺めている。
「早川、今日何時までいられるん」
「寮に今日のうちに帰れればいいんだから、午後8時ごろまでかな」
「じゃあ、久しぶりに金山でも登るか」
「うーん・・・・」ためらった返事になってしまった。

村岡良子からはドライブに誘われている。小中可南子とはもっと一緒にいたかった。
どう答えていいかわからなかった。4人の会話の間が空いてしまった。
村岡良子は機転が効く子だった。
「加藤君ちょっと待って、みんなでもう一度家に来てもらえない」
「なんで・・」
「お母さんが、早川君の千葉の話しを楽しみに待っているんだから」
「じゃあ、金山は又にするか、なあ早川」
「あと、私が車でね、順番にみんなを送っていくよ」
「ああ、そうか良子ちゃん、車の免許取ったんだっけ」
「そうね、乗ってみたいな良子ちゃんの運転で。私も免許取りたいな」
村岡良子の一言で全てが解決した。村岡良子の家から一番遠いのが私の家だった。
一瞬ですべてを解決する言葉だった。村岡良子の頭の良さを感じた。

村岡良子とのドライブはこれで確定した。同時に何を話していいかの不安が増えた。
文化祭の帰り道も小中可南子が横に来てくれた。
「早川君、もしかして、良子ちゃんの事が好きなの」
「嫌いじゃないけど、どうして」
「うん、早川君ってよくわからない」
「うん、なにが・・・・・」
「ううん、いいの。今度いつ来るの?」
「次の連休は、夏休みになるんかな」
「ふ~ん、又良子ちゃんちへ来るの」
「うん、まだわからないな」
「早川君ねえ、私のうちどの辺にあるか知ってる」
「うん、加藤のうちの近くだろう」
「そうなの、知っているんだ、早川君ちってどのへん?」
「うん、17号国道から東のほうへ、2~3kmかな・・・」
「なんていう所?・・・・」

うすうす気づき始めていた。もしかしたら自分に興味があるのかと・・・・。
家は汚いあばら家だ。ガサツで体裁の悪い両親。
姉ちゃんも兄ちゃんも、中卒で町の工場で職工をしている。
あまりにも家庭環境が違いすぎた。積極的にはなれなかった。
友達として交際しても結果はすぐに見えるような気がした。
小中可南子はそれでも笑顔は絶やさなかった。
会話がなくなると歌を口ずさむ。こんな状況は予想していなかった。

見えない力からの贈物だったのかもしれない。一生心に残るの思い出の日となった。

再び村岡良子の家に戻った。
もう4時ごろになっていた。同じ部屋の同じ所に座った。
加藤が中心になって中学時代の思い出で話が弾んだ。
やはり、小中可南子の笑顔はどんなに見ていても飽きなかった。
心の中にいっぱい貯めこんだ。

村岡良子のお母さんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
「どう、早川君、文化祭面白かった?」
「ええ、女子高に入ったのは初めてです」
「いっぱい、可愛い子いたでしょ」
「そこまでは見なかったんですけど」
「どう、うちの良子のほうが可愛いでしょ」
「うううん・・それは」
「それとも可南子ちゃんのほうがいい?」
「うううん・・・それも」
「ははは、両方ともかわいすぎて目移りしちゃうか」
「お母さん、冗談辞めて・・・」

村岡良子が赤くなっている。小中可南子は微笑んでいる。二人とも魅力的だった。

「うちの子もね、消極的でね、なかなか彼氏でできないんだよ」
「私、まだそんな年齢じゃないわよ」
「ほんとはね、忍君が彼氏になってもらいたかったんだけどね」
忍は加藤の下の名前だ。
「忍君はもう他の子と出来ちゃったみたいだからね、そうだよね」
「おばさん、その話は後にしてよ」
「そうだね、今日は早川君が主役だからね」
「ええ、自分がですか?」
「そうですよ、わざわざ、千葉から来てくれたんだからね」
「ほんとに、色々ありがとうございます」
「もしかしたら、良子の彼氏になるかもしれないしね」
「お母さん、もうやめてよ、失礼でしょ」
「良子、じゃあそろそろみんなを送って行ったら?」
「ええ、じゃみんな裏の駐車場に行ってくれる」

裏の駐車場にはトラック2台と小豆色の乗用車が停まっていた。
もう小中可南子と二人で話すチャンスは無くなっていた。
次に会う約束も出来なかった。村岡良子が好きなのかなと思われる事が心配だった。

村岡良子が車の鍵を持ってやってきた。
「じゃあ、最初は可南子ちゃんね」
「ええ、ありがとう」
「早川君は最後だから助手席に乗ってね」

小中可南子の家には5~6分で着いた。2階建ての大きな家だった。
代官屋敷のような門構えだった。左右に開閉する門があった。
「じゃあ良子ちゃん、又連絡してね」
小中可南子は大きな門の横の通用口から入っていった。
また、小中可南子は遠い人になってしまった。別の世界に入っていってしまった。
目の前にあっても手が届かない物がある。小中可南子の後姿もきれいだった。

「次は加藤君ね」
「うん、ちょっと家によっていけよ」
「でも、早川君が今日中には帰らなくっちゃならないでしょ」
「そうか、早川、又連絡くれよな」
「うん、又連絡するよ、今日はありがとうな」
加藤の家の前についた。加藤は車が走り去るまで見送ってくれた。
振り返ると、加藤がニヤッと笑ったような気がした。

運転している村岡良子の横顔を見た。私の視線を感じてはにかんでいる。
小中可南子がいなくなると、村岡良子がきれいに見えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み