第9話 村岡良子の手紙には!

文字数 4,724文字

寮に辿り着くと、玄関の郵便受けには手紙が一通入っていた。
白い封筒、白い便箋、青いインク、村岡良子からだった。

夜12時を過ぎていた。ようやく自分の部屋たどりついた。長い1日だった。
村岡良子からの手紙を開けてみた。便箋2枚に丁寧な字で書かれていた。
1枚目は「お元気ですか」から始まっていた。内容は明るい話題だった。
今、自動車教習所へ行っている事。福祉大学へ合格し福祉関連の仕事に進みたい事。
弟が太田高校に入学した事が書かれていた。
先日送った私の手紙でお母さんが喜んでいた事も書いてあった。
2枚目には自分も手紙をもらって嬉しかった事が書いてあった。
テープの事については触れていなかった。
手紙を洗ってしまった事についても書かれていた。
「早川君らしいですね、それを聞いて安心しました」とあった。
「内容はたいしたことではないから気にしないで下さい」とあった。

それから一瞬目を疑った。信じられない内容だった。
村岡良子の母校である太田女子高で5月6日~5月7日に文化祭が開催される。
もし帰ってこられるなら一緒にいきませんかと誘いがあった。
5月7日は連休最終日の日曜日だった。

・・・・・・・
私は友人の小中可南子さんと行きます。
早川君は加藤君と二人で来て下さい。
一度私の家に集ってそれから4人で歩いていきませんか。
お返事お待ちしています。   村岡良子
・・・・・・・・

繰り返し何度も読んだ。初めての女子からの誘いだった。
しかも憧れの初恋の人の名前がそこにある。
加藤は高校時代のたった一人の友人だった。
加藤のお母さんと村岡良子のお母さんは親しい友達だ。
その関係で加藤と村岡良子は仲のいい友達だった。
しかし小中可南子が私の初恋の人だということは誰も知らないはずだ。
加藤にも話したことがなかった。いや、一度くらいあったかもしれない。

手紙に初恋の人の名前がある。信じられなかった。
それを知っていて誘ってくれたのか。それとも知らないのか。
複雑な気持ちになってきていた。小中可南子は名前を見るだけで胸が踊る人だった。
二人の顔が交互に浮かび、なかなか眠りに付く事ができなかった。
思考が先に進まない。勉強なんか忘れてしまった。
明日の日曜日にゆっくり返事を書いてみることにした。

今日は日曜日。
昨日遅くまで飲んだせいか目が覚めたのは8時だった。
お腹がすいた。急いで食堂に行った。賄いの伊藤さんがいつものように働いていた。
「おはようございまあ~す。お願いします」
伊藤さんはトレーにおかずを用意してくれた。
「あんたお人形さんみたいだね・・」
「お世辞を言わないでくださいよ」
いくらなんでもそんなに可愛い筈がない。伊藤さんには少し慣れてきていた。
「ウフフ、あんたいつも同じものしか着ていないからだよ」
「そういうことですか、あんまり冷やかさないで下さい」
そういえば入社して1ヶ月、同じ学生ズボンをはいていた。
上は2枚の白いワイシャツだけだった。休みの日はいつもこれしか来ていなかった。

「それからね・・・あまり言いたくないけどね」
「はい、なんですか」
「あんまりへんな遊びしちゃだめだよ」
「何のことですか」
「あんた、昨日、杯一に行ったでしょう」
「えええ~、何で知っているんですか」
「うちの父ちゃんが言ってたよ、あんたの顔見たって」
「伊藤主任もいたんですか?」
「まったく、男ってやんなっちゃうよ、鼻の下伸ばしてさ」
「ちょっと友達に誘われたんです・・・・」
「付き合いだからって言い訳してさ、高いお金払っちゃうんだから」
「ああいうところ、僕には合わないみたいです」
「あんな所、子供どうしで行く場所じゃないよ」
「はい、気をつけます。もう行かないと思います」
「何でもいいけど、お金を無駄にしちゃだめだよ」
「ハイ、気をつけます」

世間は狭い。どこに誰がいるかわからない。
悪い事がばれたようで恥ずかしくなってきた。
おかずの味もご飯の味がわからなかった。
早く食べて食堂を逃げるようにして帰ってきた。

1ヶ月前まではまだ高校生。
丸坊主の頭からまだ髪が伸びきっていない。
髪を七三に分けているが、どうもまだ不自然な感じがする。
確かにまだ子供だ。床屋のおじさんそれでニヤッと笑っていたんだな。

あ、そうか。
賄いの伊藤さんは飲みに行くお金より、着るものでも買えっていうことなんだ。
遠まわしに言えば角が立たない。人を傷付けないための優しさなんだ。

4月30日 日曜日
今日から9連休になる。
5月2日から1泊2日の職場の慰安旅行がある。
南房総の「鯛の浦」へのバス旅行だった。
社宅前までバスが来るので、それに乗っていけばいいといっていた。
それよりも、こんなに休んでは給料が少なくなるのが心配になってくる。
働かなくてもお金をもらえるということが理解できなかった。
月給だから大丈夫とは思うが現金を見るまで心配になってくる。

部屋に帰って村岡良子への返事を考える。
家でも連休には帰ってくると思っているだろう。
加藤も帰ってくる前には連絡をくれよと言っていた。
問題は小中可南子の事だった。降って湧いたような幸運。
誘ってくれたのは村岡良子。どう考えたらいいんだろう。
4人で一緒に歩く時横一線で歩くわけには行かない。
誰と誰との組み合わせになるのだろう。自分の気持ちは小中可南子。
いいか、なるようになるしかないな。複雑だなあ。

何とか色々知恵を絞って当たり障りのない手紙を着てみた。
・・・・お手紙ありがとうございました。
・・・・村岡さんもお元気そうで安心しました。
・・・・文化祭へのお誘いありがとうございます。
・・・・加藤と一緒に行きますのでお願いします。
・・・・明後日から会社の社員旅行で鰺の浦に行ってきます。
・・・・その後、5月5日には実家に帰ります。
・・・・車の免許が取れたら助手席に乗せてください。
・・・・お母さんにもよろしく伝えて下さい。
小中可南子のことには触れなかった。

食堂の横に電話がある。10円玉でかけられるタイプだった。
5月7日の件加藤に話しておかなければならない。
加藤は同じ高校を卒業して近所の工務店に勤めている。
自宅から声が届くくらいの距離だった。今日は日曜日自宅にいるはずだ。
加藤も自分以外に友達がいない。どっか人間的に共通している所があった。

加藤と友達になったのはきっかけがあった。
中学生2年生の時、ワルで評判の不良中学生とつまらないことで喧嘩になった。
いつもナイフを見せびらかしているような最悪の不良だった。
水道で手を洗う順番かなんかでもめたと思う。
今はその気力はないが、その頃はワルに立ち向かう危ない所があった。

小沢健―といった。最後は殴り合いの喧嘩になってしまった。
私のほうが弱かった。倒されて、上から押さえつけられて、殴られていた。
必死で殴り返したが大勢は逆転する事はなかった。
その時助けてくれたのが加藤だった。小沢を殴り倒し押さえつけた。
加藤は小沢が謝るまで締め上げた。迫力があった。
加藤とはそれまでは普通の同級生の一人だった。
「小沢、これから早川と喧嘩するときは俺が相手をするからな」
「わかったよ・・・・」
不良の小沢は加藤の気魄に負けた。

加藤はいつもおとなしくて目立たない性格の人間だった。
その時になれば一瞬で強くなる。その度胸はどこから出てくるのかわからない。
これも親から受け継いだ遺伝なのか。それとも経験で身に付けた強さなのか。
どんな分野にも上には上があるんだなと感心した。
私のほっぺたは、次の日にお多福のように腫れていた。
母ちゃんに聞かれた時「野球のボールがあたったんだよ」と誤魔化していた。

それからは時々加藤の家に遊びに行って雑談をして過ごした。
ほんとに気が合う人間だった。一本気というかお互いにいい加減さがなかった。
「何であの時俺を助けてくれたん」
「俺が転校してきた時にな、早川が最初に声をかけてくれたんだよ」
何気なく声をかけただけだった。それが嬉しかったらしい。
さりげない言葉がその人の心の中にいつまでも残っている。
何が幸いするか災いするかわからない。
言葉には力がある。言葉は体から離れても人を動かしているいる。

加藤のお母さんが夕方帰ってくると簡単な夕飯を食べさせてくれた。
加藤の家に行くのが楽しみになっていた。
その時に時々村岡良子のお母さんも来ていた。
「たまにはうちにも遊びに来てね」と誘ってくれた。
面白半分で一度二人で行った事があった。
それから時々村岡良子のうちに遊びに行くようになった。
村岡良子は加藤と親しそうに話をする。
村岡良子は加藤のことが好きだと当然のように思っていた。

加藤に寮から電話した。
「加藤か?」
「おお、早川か元気でやってるんか」
「うん、元気だよ」
「どうしたん、珍しいな電話なんか」
「うん、じつはな、今度の連休なんだけど」
「帰ってくるんか?」
「うん。5月5日に帰ろうと思うんだ」
「じゃあ、うちに寄れよ」
「うん、行くよ。あとさあ5月7日なにか予定ある」
「別にねえけど、どうしたん」
「村岡良子から誘われたんだよ」
「へえ~、やっぱりな」
「やっぱりってなんだよ」
「俺が言ったんだよ」
「何て言ったんだよ」
「早川を誘ってみろって」

加藤は村岡良子のお母さんから相談されたらしい。
早川さんに出した手紙の返事が来なくて良子が悩んでいる。
なにか知っている事があれば教えて欲しいと言われたそうだ。
「早川は、女に無関心だからな」
「そうじゃないよ、関心を持つ余裕がないんだよ」
「何で手紙を出さなかったん」
「作業服と一緒に洗っちゃったんだよ」
「へへえ~、早川らしいな」
「その事を手紙に書けばよかったんだよ、傑作だよ」
「ばか、ふざけんなよ、みっともなくって言えないよ」
「早川は、カッコばっかりつけているからだめなんだよ」
「そんなことより、小中加奈子も来るっていうんだよ」
「それ俺が言ったんだよ、小中の名前を出せば早川は絶対来るって」
「ウソ言うな、何で小中加奈子と俺が関係あるんだよ」
「忘れたん、一度言った事があるよ、初恋だって」
「まいったな~、俺と釣り合わないよ」
「別に自分の彼女にするわけじゃないだろ」
「うん、5月7日さ、朝9時ごろに加藤んちへ行くよ」
「それとさ、手紙もらったら3日以内に返事を出せよ」
「うん、それは悪かったと思っているよ」
「相手は無視されたと思うぞ」
「うん、それは反省しいているよ」
「うん、じゃあ、待っているからな」

生まれて初めてのデートが確実になった。気持ちが落ち着かなくなってきた。
憧れの人として片思いしているうちは勉強のはりあいになる。
急に身近な存在になってくると、気持ちが浮ついて勉強に身が入るだろうか。
恋しさが増してその後の勉強がおろそかにならないだろうか。

大事なほうは大学受験だ。断って後悔したらもっと勉強が身につかない。
頭の中で堂々巡りしている。会いたい、いや、あきらめよう。
人はなぜこんなに異性に翻弄されるのだろう。
もともと大学受験しようと思ったのは、
今の貧しいままでは相手にされないと思ったからだ。
片思いの人にかっこよく見せたいという低次元な目的だった。

断ったら嫌われてしまうかもしれない。それは一番避けたいことだった。
身近な異性として職場には宮原澄子もいる。
身近な人と仲良くなるだけならこんな思いまでして努力するだろうか。

今の努力は貧乏から抜け出すためにしているのだ。
片思いは途中で挫折しないための心の支えなのだ。

自分の中の小中加奈子は中学3年生のままだった。
思い出は成長しない。あの頃の姿形、声やしぐさは中学生のままで止まっている。
もし会えば新しい小中加奈子の思い出を胸に刻み込める。
そして18歳の小中加奈子をしっかりと胸に焼き付けておきたい。

このまま予定通り会いに行くことにした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み